第5話 少女よ、前を向け

 恐らく校舎から放たれているのであろう空を突き、目を焦がす眩い閃光――さながら雷のような激しい輝きを放つ光が、学校全体を覆っていた。否、覆っているというよりこれは光によって反射しているようだった。どうやらあの光は校舎を覆っているのではなく、校舎の近くで放たれている光が校舎を反射させているらしい。

 その光景に呆然としていると、背後で携帯のアラーム音が響いた。円香のものではない。恐らく佐倉の携帯であろう。思わず振り返ると、どこか焦燥した面持ちで携帯を取り出した佐倉が、それを耳に当てているところだった。


「はい、佐倉です」

『佐倉さ~~~~ん! 大変ですぅ~~~~!』


 こちらからでも電話の相手の声が、大音量で響いてくる。直接耳に当てていた佐倉のことを思うと、その実害は計り知れない。どこか甘ったるく、無意識に劣情をそそるような甘い女の声だった。声の女は涙声になりながら、佐倉に「大変です、大変ですぅっ」といった同じ単語を繰り返している。


「落ち着いてください、大内おおうち管理官。君から報告があったということは――影人の誰かの異能が、暴走しているということですね?」

「!」


 佐倉の告げた言葉に、円香の心臓がどくりと早鐘を打ったように加速していく。

 急速に全身から冷たい汗が流れ出してきた円香を他所に、佐倉と電話口の女の会話は勝手に、しかし確実に進んでいく。


『はい、そうなんです……! 朝からの体内の高エネルギー反応値は通常のバイタル値を大きく上回っていたので、もしかしてと想定していましたが……部活動の後、部員が全て下校してから校庭で発生が確認された為、恐らく今まで我慢していたのだと思われます』


 佐倉の静かな声色にようやく落ち着きを取り戻してきたのか、大内管理官と呼ばれた電話口の女はその甘ったるい声は変わらないものの、冷静に現状の状況を語り出していく。


「周囲の一般人は?」

『いません。部活動に残っていた生徒も、彼の高エネルギー反応値が上昇傾向と判断された時点で司令の指示で、〈シュテルン〉在籍の教師がすぐさま帰宅させた為、一般教師もいないかと』

「今日まで春休みなのは僥倖でしたね。それで――教会の反応は?」


 聞きなれない単語ばかりの会話が続く。聞き耳を立てているわけはないが、円香が今の状況を知るにはこの会話を聞いておく必要があるような気がした。というより、この男ははあえて円香に今の状況を理解させる為に聞かせているように見える。


『今のところはありません。これ以上被害が拡大して、面倒な教会が派遣される前に抑えたいところですね。あ、勿論周辺住民のフォローもバッチリですよ! 校舎の修繕工事として街には放送を流しておきました!』

「上出来です。『彼女』もこちらにいるので、後は二人で対処します。貴方たちはそのまま私たちのサポートに徹して下さい」


 『彼女』というのは、恐らく『影人の異能を消滅させる異能』を持った円香のことを言っているのだろう。けれど、対処と言われても何も知らない今の円香に一体どう動けと言うのだろうか。

 しかし、円香の不安を他所に電話口の女は明るく語っている。


『わぁっ本当ですか!? なら安心ですね、了解です!』


 ずしり、と重く苦しい何かが知らぬ間に円香の全身を覆ってくる。佐倉たちは一言二言交わした後、電話を切った。それと同時にタイミングよく車が停車する。窓の外をちらと見やると、やはりどこにでもある普通の高校だ。閃光煌めく校舎でなければ、だが。どうやら目的地に着いたようだった。


「では行きましょう、少しばかり急ぎますよ」

「あ、ちょっと――」


 円香の静止を耳にもせず、佐倉はそのまま無言で車から出て行った。

 行かなければ。そう思って車のドアへと手が触れる。その円香の手が酷く震えていることに気が付いた。自分でも驚くくらい、あの光景に動揺しているようだった。さっきまでの正義感とか、使命感とか、高揚感みたいな強い気持ちががらがらと瓦礫のように目の前で崩れていく。


「はは……馬鹿みたい」


 今更になって怖い、なんて円香は思っている。

 もう一度窓の外を見やる。ありふれた、円香の高校と相違ない平和な学校だ。しかし、そのありふれた日常の一部であった校舎はもう非日常の閃光に包まれ変貌しつつあった。

 視線を下げると、佐倉が鉄仮面のままに校門の前で円香が出てくるのを待って佇んでいる。小さく息を吐く。その息すら、震えたように感じた。

 戻る道はあった。自宅の前で、佐倉の提案を嫌だと無理だと強く突っぱねれば、きっと円香は今でもぬくぬくとした日常のぬるま湯に浸かっていられただろう。

 しかし、このドアを開けてしまったら。足を踏み出してしまったら。もう二度と元の温かで優しい日常には戻れないような、そんな気がした。

 親友の由紀と普通に話して、笑って、また明日。そんな当たり前の世界から、もう自分は切り離されてしまうのではないか、永遠に帰れないのではないか。そう考えると、身が竦む思いがせり上がってきて、円香は情けなくも躊躇ってしまう。

 だけど、円香はもう知ってしまった。自分が何者なのか、どうしてこの力を持っていたのか、その力をどう使えばいいのか、全てが明らかになってしまった。人間ではなく、影人としての自分の正体をもう知ってしまったから。

 他者を傷つける存在として隠ぺいされ続けた影人たちを、円香が救えるのだと知ってしまった。誰からも求められていなかった憎まれ役の自分が、初めて誰かに求められたのだ。

 全てを見て、聞いて、理解して。この胸にある思いは、一体何を叫んでいる?


「――やるべきことは、もう一つしかないでしょう」


 円香は一度大きく息を吸うと、震える手のひらでリムジンのドアを開けた。



 ◆ ◇ ◆



 〈シュテルン〉の管理下におかれる学校だと聞いていたのでサポートしやすい複雑な校舎の構造をしているのかと思ったが、どうやらそうでもないらしい。やはろどこにでもあるごく普通の校舎だ。校門前で立ち往生していた佐倉の元へと駆け出す。彼は酷く不機嫌そうな様子でこちらを睨んでいる。


「貴女は、この一刻を争う状況を理解した上で、この速度へやって来たのですか?」


 ……とても怒っていらっしゃる。

 怒気を含んだ言葉に、たまらず恐縮するしかない。円香は慌てて頭を下げた。


「すみません。Sランクの影人の力を見誤っていたみたいです。……少しだけ、怖くなってしまって」


 素直にそう口にすると、佐倉は纏っていた恐ろしげな雰囲気を潜め眉間の堀を少しばかり緩めた。


「……まあ、貴女は今までほとんど一般人と相違ない生活を送ってきましたから、恐れを抱くのは仕方ないでしょう。ですが、急を要する事態であることには変わりません。以後気を付けるように」


 すみませんともう一度頭を下げ、円香は先へと促す佐倉の後を追った。

 駆け足で開け放たれた校門を通り、そのまま校舎へは入らずに佐倉の先導で校庭へと向かった。彼の電話相手の話通り、光の発生源はやはり校舎ではなかったらしい。近付けば近付くほど、光とその振動音は一層激しさを増していく。


「……っいました! 彼が発生源です!」

「え? ――わっ!?」


 校庭のグラウンドの端――体育館倉庫の前に、光の発生源の主はいた。

 網膜を焼き尽くすほどの激しい光を放つ閃光――否、間近で感じればそれは生易しい表現であったことがよく分かる。青白く光る閃光は『光』なんてものではない。あれは自然を、建物を、人間を、その全て焼き尽くす力を持つ『雷』だった。

 熱い。眩しい。自分の肌が焼けてしまうような錯覚すら覚える。

 目を開けていられなかった。グラウンド一帯はまるで雲の中の嵐だった。どこからともなく激しい突風と共に雷撃が幾重にも地面に降り注ぎ、校舎は傷だらけ。彼の背後の体育館倉庫は、見る影もなく焼け焦げた無残な状態。そして発生源である影人の体は放電状態となっているのか、巨大な青白い光に包まれ、雷の力によって地面は巨大なクレーターが発生し、その光は校庭の半分以上を覆いつくしていた。

 恐らくあと一歩でも校庭に足を踏み入れれば、円香たち二人はまず間違いなくあの雷の格好の的となり、直撃は避けられないだろう。一体、この凄まじい雷撃の主は誰だというのか。こんな圧倒的過ぎる力の前に、影人としての自覚がついさっき目覚めたばかりの自分に一体何ができるというのだろう。暴風に舞い上がる髪を抑えながら、目を凝らして未だ放電する影人の姿を凝視してみる。

 しかし――

「……何で……拓馬たくまが――?」


 その影人は、円香にとってあまりにも――あまりにも、知り過ぎた相手・・・・・・・だった。


 彼の名は、橙堂拓馬とうどうたくま

 幼い頃から円香の隣の家に住み、家族ぐるみで仲の良い幼馴染だった。目の前が真っ暗になる感覚を感じる。


「どうして拓馬が……」

「落ち着いて下さい、円香さん!」

「……っ!」


 佐倉に両肩を掴まれ、円香ははっと我に返った。視線を上げると、佐倉がこちらを伺うような、ひどく気遣うような瞳と目が合う。

 円香の肩を掴む手が微かに震えている気がする。気のせいだろうか。まるで大切なものを扱うような優しい手つきで触れられているような。

 肩から感じる佐倉の手の温かな体温が伝わってきて、肩の硬直が解けていく。この男のことを円香は何も知らない筈なのに、どこか安心してしまう自分がいた。


「……佐倉、さん。私、」

「意志を強く持って下さい、円香さん。貴女にはそれが出来る人間の筈です」

「……、」


 その言葉に、口を付きかけた何かが喉元へ引っ込んでしまう。一体何を言おうとしたのか、自分でも分からなかった。

 何も知らない佐倉は円香の肩を今度はきつく掴むと、しっかりした口調で語りかけてきた。


「目の前の彼――橙堂拓馬君が君と深く繋がりのある影人であることは既に知っていました。貴女もご存じだと思いますが、影人には己の異能、存在を隠す義務があります。親族以外にそれを通達するのは混乱を招き、そしてあまりに危険だからです。……それが例え、幼馴染だとしても」

「……はい」

「拓馬君は幼い頃から異能のコントロールが苦手な影人でした。銀の腕輪で九割以上抑えたとしても、ふとした感情の揺らぎで簡単に漏洩してしまうほど危ういものだったのです。けれど、ずっと一緒にいた筈の円香さんは今まで一度たりとも気付かなかった。……どういうことか、分かりますか?」

「……、」


 唇が震える。佐倉の言うことが正しければ、それはあまりにも――


「――そう。彼は、力のコントロールが苦手にもかかわらず、己の精神力のみで・・・・・・・・異能を無理やり押さえつけていたのです。その精神力の源は――円香さん、貴女です」

「私?」

「拓馬君は異能が漏洩する度に、何度も言っていました。円香に怪我はないか、円香に知られてはいないか。円香、円香……口を開けば貴女のことばかり。拓馬君は一番近くにいる貴女を傷つけないために、貴女に最も知られたく無いために、これまで辛い異能の漏洩を必死に抑え込んできたのです」

「……拓馬」


 円香は、未だ放電状態の続いている拓馬へと視線を送った。遠目からでははっきりと視界には捉えられないが、その顔は明らかに苦悶に満ちている。苦しいのだ。辛いのだ。自分の意思とは関係なく抑えきれない異能が体外に飛び出し、誰かを傷つけてしまうことが。


「……馬鹿じゃないの」


 本当にあの幼馴染は馬鹿だ。本当は影人としての本来の自分、そして異能を隠しながら抑え込むということはかなりの精神的苦痛を感じているはず。この隠ぺいは政府から通達された影人たちの義務であり、責任だ。けれど、それとは別に――人を傷つけたくない、大切な人を守りたいという拓馬自身にある優しさに満ちた思いが、これまで拓馬を支えていた。円香は無意識に手のひらを握り締める。

 するりと両肩の手が離れていく。再び佐倉の顔を見上げると、彼はもういつもの無機質で冷静さに満ちた表情をしていた。


「これで分かったでしょう。このままでは、拓馬君はこれまで抑え込んできた異能を自分の意思とは関係なく漏洩させ彼の一番嫌いな――人を傷つける、という最悪な結末を迎えてしまうのです。……貴女のすべきことは、もう分かりますね」


 佐倉の言葉に頷くと、円香は真っ直ぐに拓馬へと向き直った。


「――はい。私の力で、拓馬の異能を消滅させること」

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