第4話 Sランク

 高級車なためか、車特有のあのがたがたとした不快な振動は感じなかった。移りゆく景色を一瞥して、円香は佐倉へと向き直る。


「一体、この車はどこに向かっているんですか?」

「一から説明します。到着までには間に合わせますので、ご安心を」


 佐倉は一切こちらを見向きもしない。手元のタブレットを操作しながら、何てことの無いような軽い口ぶりで唐突に言い放った。


「今向かっているのは、多くの影人が在籍している高校です」

「――は?」


 その言葉に、円香は間抜けにも大口を開けて呆けてしまった。


 ――影人は、常人とは遥かにかけ離れた超能力を持つ。

 影人特務機関〈シュテルン〉の支援や対策は講じているものの、まだ幼い子供の場合、上手く力をコントロール出来ないケースが非常に多いとされている。彼ら一人一人としてもその力は強大だ。これが複数に集まってしまった場合、暴走した際に非異能力者たちに多大な被害を被らせてしまう可能性があった。

 それぞれが非異能力者たちに害をなす力を持っているとは限らないが、最悪の事態を幾重にも想定し、三人以上の影人が同じ学校に通わすことは政府によっても原則的に禁止されている。そのため、『影人と判断された子供は同じ学校に三人以上在籍しない』というのが影人たちの間で周知の事実となっているのだ。


「どういうことですか?」


 円香の声色には、戸惑いの色が込められていた。

 佐倉の発言を『影人が三人以上・・・・在籍している』と仮定するのならば、これは政府の意向に大きく外れていることになる。そもそも、根本的に大勢の影人を一つの建物に収容するというのはハッキリ言ってあまりにも危険過ぎる。


「その通りです。あの校舎には、七人の影人・・・・・が在籍しています。その全員全てがSランクの異能力・・・・・・・を所持しています」

「――は、」


 今度こそ、円香は返す言葉を失った。

 〈シュテルン〉では、生まれながらに影人の力を持った子供たちを能力差で四つにランク分けしていた。Cランクが最も弱く、B、A、と徐々に強くなり、最も政府から危険視されている強力な力を持つのが、Sランクの異能者である。

 佐倉はタブレットから視線を外し、この事態に目を見開く円香を冷静に見つめた。


「……貴女から見れば、我々は異常だと見えるのでしょうね。しかし、Sランクの影人は他府県に存在する〈シュテルン〉支部ではあまりに抑えられないのです。その為、政府の意向でもありますが、彼らを設備、対策、支援が完璧に行える我々〈シュテルン〉本部の管理下に置くしか方法がなかったのです」

「……」

「地方で産まれたSランクの子供でも、例外なく家族ともども〈シュテルン〉本部のある首都へ引っ越して頂き、万が一のことも備えて幼少期のうちから我々の指定した学校へ通って頂いているのです。恐らく、七人の影人全員が少なからず面識はあるでしょう。結束力はなくとも、互いの仲間意識によって力の一端を抑えられるだろう、という我々の推察も含まれています」

「……話の筋としては分かります。けど、一緒に通う一般生徒の安全はどう保障されているのでしょうか? あまりに危険過ぎはしませんか」

「それもSランクの影人が誕生した時点で、想定の一つでした。高エネルギー反応には、高エネルギー反応で相殺する。その理論の元、〈シュテルン〉の技術開発部が三年の月日をかけて開発した、この銀の腕輪で問題は解決されました」


 佐倉はタブレットを軽やかに操作すると、その画面をこちらへと向けてくる。何だか妙に自信ありげな表情が垣間見えるが、もしかするとこの男も開発の一端を担っていたのだろうか。

 難しい文字の羅列と数学記号のようなものが幾重にも並べられており、素人目には何がどう凄いのは円香にはとても理解出来ない。恐らくその腕輪の構造について書かれているのだろうが、残念なことに全てが暗号のようにしか見えなかった。

 断片的に流し見た情報をまとめると、腕輪から強力な電磁波を発生させ保持者の異能を相殺しているとのことだった。


「彼らが腕輪をして十年以上経過していますが、軽い異能の漏洩程度で、日常生活に支障をきたすことは全くありませんでした」

「……へえ」


 こうしてじっと画面を見つめていると、その文字の羅列の中央に表示されている銀の腕輪の画像がやはり一番目に留まる。これこそが、恐らく佐倉の言っていた腕輪とやらなのだろう。

 銀に塗られた非常に簡素な腕輪。小さな調節ネジが一つ付随されている以外は余計な物、余分な装飾は一切無し。完全に性能一点のみに集中して開発されたものなのだとこれには素人目にも分かる。Sランクの異能力を抑えることの出来る腕輪が存在しているのなら、きっと一般生徒にも被害も危険も及ばないのだろう。更に〈シュテルン〉からのバックアップがあるのなら、もう怖いものなしと言っても過言ではない筈だ。


「これがあれば囲の人間にも危険は及ばない、と」

「……その、筈なのですが」

「何か問題でも?」

「円香さん。君は最近、自分の身体に何かおかしな異変はありませんでしたか?」


 息を呑む。心臓が大きく脈動する。身体の動揺を悟られずに、円香は努めて冷静に答える。


「……いいえ。特にはありませんでした」


 円香の返答にほんの僅かに考え込む素振りを見せた佐倉だったが、すぐに顔を上げる。


「……実は、一年ほど前から影人である彼らの様子が少しおかしいのです」

「おかしい? 具体的には?」

「彼らの異能が度々周囲で発生していることが観測されているのです」

「あの腕輪があれば日常生活には支障は無いのでは?」

「はい、勿論です。腕輪の故障かと何度もメンテナンスを行ったのですが、腕輪には何一つ異常は見当たらなかったのです。つまり、彼らの身体に何らかのイレギュラーな事態が起こったと考えるのが妥当でしょう」


 佐倉の話が本当ならば、強力なSランクの影人の異能が漏洩し、周囲の人間に大きな被害が度々発生しているということだ。そのイレギュラーな事態、とは一体何だというのだろう。昨今、ニュースで挙げられている影楼と何か関係があるのだろうか。ぐるぐるといくら考えを巡らせても、ただの一般人に等しい円香に何かできるとは到底思えない。


「現時点では周囲の生徒に被害は出ていませんが、放っておけば、学校全体が危険に晒されるどころか、死人が出る可能性も出てきます。最悪、彼らの意思とは反しSランクの強力な異能がコントロール出来ずに、世界すら脅かされてしまうかもしれません」

「……」


 その非情ともとれる冷めた声色に、嫌な想像が一気に脳内を駆け巡った。逃げ惑う人々の叫び声、自分の意思とは関係なく力が暴走してしまうことへの影人の表情。阿鼻叫喚の街を脳裏に描いて、円香は痛烈な思いで胸を抑えた。


「そんなことになる前に何か対策は無いんですか?」


 悲痛な感情のままそう尋ねると、佐倉は赤フレームの眼鏡をぐっと押し上げこちらを見据える。沈む日の光が窓の外から差し込んで、反射した眼鏡で彼の表情はますます読み取れなくなった。


「そこで対応策として、貴女という存在が露見したのです。貴女の、その影人としての能力を使うのです」

「私の……?」


 まさか、ここで円香の名が出るとは思わなかった。円香の身体にそんな災厄を止めるほどの力があるとは到底思えないが、この男はどう考えているのだろう?

 まるで何かを確かめるように、佐倉は己の右手をきつく握り締めた。


「この結論に至った時、正直私も貴女のように目を疑いました。まさか、このような異能を持った子供が存在するとは到底思いもよりませんでしたので。ですが、確かにこれが現実です。円香さんは人から異となる影人で、その力はまた他の影人とは異となるものでした」

「能書きはいいです。結論は?」


 じっと窺うように見つめていると、梨倉さんはさながら私を誘うかのように手のひらをこちらに向け、ゆっくりとその言葉を告げた。


「貴女の力は――影人の異能を消す異能・・・・・・・だったのです」

「は?」


 開いた口が塞がらないとは、まさにこのことだ。この真実は、あまりにも円香の理解の範疇を易々と超えるものだった。だが、冷静さを欠くほど円香は落ちぶれていない。ゆっくりと気持ちを落ち着けるように息を吐く。


「……どういうことですか?」

「異能漏洩についての原因究明に一手する確証は、残念ながら未だ得られていません。しかしながら、その異能が漏洩しつつある彼らを放置する訳にもいきません。そのため同時進行として、貴女には影人の彼らと接触し、被害が広がる前にその異能力を消滅させて欲しいのです」

「……ちょっと待って下さい」


 知らず知らずのうちに勝手に話を進めていく佐倉を、円香は咄嗟に押しとどめる。まるでこちらの意見を聞こうとしない佐倉に頭痛がしてくるのは、きっと気のせいではない。


「……佐倉さんの話が本当だとすれば、私の能力は『影人の異能を消す能力』ということになりますが。そんな常識外れの影人が実在しているとでも?」

「貴女の疑問は最もです。高エネルギー反応が体内にあるのにも関わらず、何故かそれが発生しない。円香さんの検査結果を見た時から、もしかしてと想像していましたが……『力が発生しないのではなく、力を消滅させる力』という理論が提唱された時は、流石に驚きました」

「冷静に言うことじゃないでしょう……」


 円香の影人としての能力が『影人の異能を消滅させる力』だとするなら、非異能力者たちにとっては喉から手が出るほど欲しかった救済だろう。なにせ、自分たちの身の危険が私の存在によって安全に変わるのだから、これ以上無い待ち望んだ異能力は無い。

 影人たちからすれば、自分が影人であることも、周囲に危険が及ぶ力をわざわざ抑えることも、全ては消滅させれば何も隠さなくて良いことになる。この力が政府によって公認されれば、円香は影人消滅に世界を奔走することになるのだろうか。そこではた、と気が付いた。


 ――もしかして、自分はとんでもない力を生まれ持ってきたのでは?


 影人と認定されたにも関わらずほとんど一般人と変わらない生活を送っていた円香は、冷静に努めながらも幼い頃から心のどこかで期待していた。

 『もしかしたら、影人である私には、何か凄い力が秘められているのかもしれない』と。けれど現実は残酷で、こうして十六年間生きてきた中でも、何一つとして他の影人のような凄い力を持ってなどいなかったのだ。そんな自分に失望した時期も少なからずあった。

 あのファミレスで女子高生たちが話していた通り、『生まれながらに超能力を手に入れた人はラッキー』というのは、あながち円香自身にとっても間違いではない。正直に言えば、ほぼ人間と変わらない円香にとって彼らの影人らしい凄まじい異能は、喉から手が出るほど手に入れたかったものだった。まさかこんな形で自分の身体に異能力が宿っているとは思いもしなかったが。

 まるで物語の主人公のようだと円香は思った。こんなにも円香にとって都合の良い話が転がり込んできて、ほんの少し恐怖を覚える。

 ずっと昔から欲しかった異能の力。それが判明したというのに、円香の心には今すぐにでも喜びたい気持ちと薄暗い暗闇が迫ってきているような、妙な不安が込み上げていた。


「大丈夫ですか」


 佐倉の無機質な声に円香ははっと我に返る。

 そうだ。これから円香は、きっとこの異能でSランクである影人の彼らと対峙することになるのだろう。ぼんやりする暇などありはしない。人間と影人を同時に全て救える唯一の存在として、円香は前に進まなければいけないのだ。

 一度大きく息を吸うと、これまでとは全く異なった視界の中で、円香は佐倉を見上げた。


「はい、大丈夫です。一つ、質問いいですか?」 

「ええ、どうぞ」

「私が影人の異能を消滅させる能力を持っているのは分かりました。だけど、その能力を消す方法というのは一体――」


 ――その時、近くで何かが爆発するような振動が車内を激しく揺らした。


「うわ!」


 何が起こったのかも分からず、円香はたまらず窓の外へと体を向けた。

 視線の先にあったのは、ごく普通の校舎だった。それはもう、円香の高校とそう変わりないひどくありふれた学校だ。肉眼でも確認できるほど距離が近くなってきた校舎。恐らく、あの校舎が先ほど佐倉の言っていた目的地なのだろう。

 しかし、円香の視線は校舎にではなく――上空へ向けられていた。視線の先のその光景に訳が分からず、円香の喉元は僅かに震えていた。


「あれは――何?」


 空へ突き上げる眩いばかりの光。

 否――それは光と呼ぶには、あまりにも熱を帯び過ぎた光だった。

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