第5話 孤虎

 俺は悪いやつなのか?まあ、暴力ふるったりしてるわけだから確かに悪いやつなのだろうが、境遇を鑑みれば、根っからの悪いやつではないんじゃないか?いや、境遇のせいで根っからの悪いやつになった可能性もあるのか。まあ細かいことはいい。俺が言いたいのはつまり、俺がこうなったのには理由があるってこと。ただそれだけだ。

 俺はそもそも暴力をふるう側ではなく、むしろふるわれる側だった。その、俺に暴力をふるったやつってのは、他でもない俺の母親だ。もちろん、俺はもうそいつを母親だなんて思っちゃいないが、ガキの頃は母親が全てだと思ってた。だから何をされても我慢したし、やることなすこと全て母親の言う通りにした。

 でも、ある時俺は気付いたんだ。周りのやつらは親から暴力なんかふるわれていないことに。うちの親がおかしいことに。最初はそれに対する戸惑いが大きかったが、次第にそれは今まで虐げてきた母親への怒りへと変わっていった。そして、中学校へ上がる直前、俺は初めて母親に手を出した。椅子を投げ飛ばして食器棚をなぎ倒して、壊れた棚から取れた木の棒で殴りかかろうとした。そしたら、今まで俺を散々馬鹿にして、コケにしてきた母親が一瞬で涙目になって謝罪してきたんだ。その時ほど気持ち良かったことは、その後にも先にも一回だけだ。母親はそれから俺とはあまり話さなくなって、せいせいした。飯だけ作ってりゃ、それでいい 。お互いにそれっきり暴力や暴言を吐くことはなくなった。俺の思い通りになったわけだ。

 それからというもの、俺は周りを力ずくで従わせた。教師もクラスメイトも誰も俺に刃向かうやつはいなかった。それを、俺は周りより自分が秀でているからだと思っていた。やがて、俺はその力を自分の欲のままに働かすようになっていた。ムカついたら殴る、壊す、盗む。何をやっても何も周りは言ってこない。元々自らを守るために使った力が、そんときはもう既に暴走していたんだ。

 警察沙汰にならない程度に暴れまわり、やがて近くの高校に進学した。勉強は元々できない方じゃなかったし、面接だって口が達者な俺にとっちゃ何でもなかった。そしてそこで初めてあいつと、熊と出会ったんだ。

 あいつは全然知らない中学の出身で、周りと一切のコンタクトを取ろうとしてなかった。話しかけられても「うん」とか「ああ」とか生返事しかしない。なんつーか、見てるだけでイライラしてくるような、そんなやつだった 。

 入学して一週間くらい経ったあたりに、初めてあいつを殴ってみた。でも、殴っても殴ってもあいつは何一つ言葉を発せず、殴られながらそのままいつも通りに生活しようとするのだ。はじめこそやせ我慢かと思っていたが、他のやつにやれば卒倒するような殴り方をしても、あいつは飄々と立ち上がり、次の授業の準備をし始めていやがった。

 力が通じない相手は、あいつが初めてだった。全く動じないで、ちっとも泣き言を言わない。それに不思議なことにチクりもしなかった。そんな舐めた態度を取るあいつが俺は嫌いで、というか苦手で、なんとかしてあいつを従わせようと思った。それで思い付いたのが、クラス全員による無視だった。

 俺がクラスのやつらに無視しろ、話しかけたやつも一緒に無視する、と命令したら瞬く間に見事にクラス全員があいつを無視するようになっていた。元々、あいつは好かれているやつではなかったから、自主的にやってるやつもかなりいたんだろうと思う。

 それでもあいつは誰とも話さずにそのままいつも通り日常を過ごしていた。誰も話しかけてこなくてもあいつは戸惑うどころか、むしろ独りになろうとしてるみたいだった。俺たちも手応えがなく、何かしてやりたかったが、一度やり始めたことを途中でやめるのはなんだか癪で、無視をやめるわけにはいかなかった。

 そして無視を初めて3ヶ月くらいたった一昨日、千香があいつに話しかけたのだ。ちゃんと警告しておいたのに、何で話しかけたのかは俺にもわからない。命令通り、周りは千香を無視した。少しばかり成績がよく、美人なだけじゃ力の支配からは逃れらんねえ。それでも意固地にあいつと一緒にいる千香に、俺は制裁を加えることにした。

 俺が最後のチャンスを千香に与えた。ここで話しかけるのをやめさえすれば、許してやるつもりでいた。だが、千香は俺に向かってこう吐きやがった。『あんたなんか怖くないから』。もちろん俺の腸は煮え返った。最後のチャンスだったのに。蔑みの目線を投げかけながら、千香を殴った。そしてもう一撃加えようとズカズカと近寄ると、目の前に誰かが飛び出して来た。

「お?熊、何か言うことでもあんのか?さっさと森に帰った方が身のためだぜ?」

 飛び出してきたのはなんとあいつだった。俺に楯突こうとはいい度胸してんじゃねえか。これ以上言ってくるのなら構わず殴るぞ。

「なんで、千香を殴った」

 あいつは泣きそうな顔で俺を精いっぱい睨んでくる。他人のそういう表情を見るのはやっぱたまんねえな。

「なんでこいつを殴ったか?んなこと知ったこっちゃねえよ。うざかったからに決まってんだろ」

 それにしたって俺に勝てるわけねえのに楯突くなんて哀れだな。同情してやるよ。

「違うだろ、千香が僕に話しかけたから。そうだろ?」

 まあ、こいつでもそれくらいのことが分からねえバカではないか。

「なんだ、わかってるじゃねえか。わかってるんだったらさっさと森に帰んな、熊」

 あいつの身体はブルブルと震え、手で顔を抑えている。弱虫が。

「それともなんだ?お前、何か不満があるのか?あ?」

 ここで不満があると答えたら、もう容赦なく殴ってやるからな。右の拳を固める。

「……ははっ」

 ……?

「あはははっ、はははっ」

 ……何がおかしい。さっきまでうずくまってた弱虫がよ。気でも違えたか?

「お前、バカだよ」

 笑いながらあいつはそう言った。

「自分が一番だと勘違いしてやがる。ほんとおめでたいやつだよ。よほどの自信家さんなんだなあ、あははっ」

 ……っ!こいつ、バカにしやがって……。

 俺は言葉に反応して握った拳を振り下ろした。が、感触はなく、変わりに腹に鈍痛が響いた。

「がはっ」

 まさか、あいつが殴ったとでもいうのか?あの大人しく端っこの席で座ってたあいつが……?

 あいつはよろめいた俺の胸ぐらを掴むと壁に叩きつけた。そして 左手で胸ぐらを押さえながら右手で何度も何度も俺の顔を殴ってきた。俺もやり返そうとしたが、あいつの力がとてつもなく強くて、びくともしなかった。

 もう顔の感覚はなくなって、手の力も入らなくなっていた。そして、朧気になった記憶に鮮明に残っていたのは、悪魔のような、楽しそうなあいつの顔だった。意識が飛ぶとき、俺はようやく分かった。

 こいつは俺と同じだ――。


 次に目が覚めたときには、俺は保健室のベッドで横になってた。顔面血だらけで、肋骨は骨折、救急車も来る大騒ぎになっていた。

 胸が痛くてうまく息ができない中で、俺はさっきまでのできごとを思い出していた。――そうか、熊に殴られて……。

 あいつは常に一人だった。だからこそ俺が標的にしたのだが、それは自ら進んで一人になっていたのだろう。そして、俺に何かされるときも、自分が本気になれば勝てることを知っていてやられていたのだ。何故力を持ちながらそらを誇示しないのか。到底俺には理解できない。

 何にせよ、これで俺はもう力で他人を従わせる資格を失った。いや、元々資格なんかないが、学年に俺より強いやつがいたんじゃあ、誰も言うことを聞かない。

 ……俺、力を失ったら何にもねえな。力だけが取り柄だったのに、力だけが俺の存在意義だったのに。脱力感に打ちひしがれて、担架に乗せられながら大きく溜め息をついた。

 その後、生活指導のセンコーから事情を聞かれた。基本的には誰にやられたかということだ。だが、俺は熊にやられたとは答えなかった。そう答えたら負けな気がしたし、あいつがそれを隠しておきたいのならそれをわざわざ公表する必要はない。自分が強いと思いこみ、巻き込んでしまったせめてもの償いだ。その代わり、「階段から転げ落ちました。迷惑かけてすいませんっした」と答えた。もちろん、見え透いた嘘だったし、教師も嘘だと分かっちゃいたが、俺が何度質問を受けてもそうとしか答えないもんで、四回目で諦めて帰って行った。

 その後、どうにか熊とダチになる方法を考えていた。初めて現れた俺より強いやつだ。どんな人間か知っておきたい。それに、力があるのにひとりぼっちでは勿体なさすぎる。入院中はなんて声をかければいいのだろうか、なんて小学校に入学する直前の入学生みたいなことを考えながら過ごした。

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