第2話 虎の威を狩りたかった狐
私は女狐だ。誰に言われたわけでもないが、そうとしか表現しようがない。まず、目が鋭くとがっていて、鼻が他の人に比べ高い。まあ、容姿が狐っぽいのは仕方がないとして、問題は中身だ。私は学校では容姿端麗成績優秀の万能少女ということになっている。だが、私は本当はそんな奴じゃない。弱虫で臆病で怖がりで、勉強だって猛勉強して上位に食い込むのがやっとだし、スポーツだって親がたまたまインストラクターだっただけであって、そうでなければ全くの運動音痴だ。それに、いつも周囲に笑顔を振りまいているが、心から笑っているわけではなく、ただこの場面では笑った方がいいだろうと思うから笑っているだけであって、中には喜びや嬉しさという感情はないのである。みんなこの偽物の私を信じ込んで「すごいね」なんて褒めてくれ、ちやほやするけど、それはなんだか本当の私を否定されている気がして無性に虚しい。
君に出会ったのは3ヶ月位前、二年生に進級したときだ。メンバーががらりと変わった教室で、私はいつものように笑顔を振りまいていた。そのとき、仲間内でクラスみんなに挨拶しようということになり、順番に回った。みんな私を見ると、特に男子は顔をほころばせて挨拶を返してくれ、女子も嫉妬して逃げる女子以外はちやほやしてくれた。そして、一番最後、窓際の一番後ろの席に君は座っていた。私は最後ということもあり、とびきりの笑顔で挨拶した。すると、どうだろう。君は私の方を見て、なんてことない顔で「よろしく」とだけ返すと目を伏せてしまった。私は初めてのことに固まってしまった。今まで私が話しかけて反応の薄い人なんていなかったからだ。一緒に回ってた子たちが「感じ悪ーい」「やっぱ張り合いないよねこいつ」 と口々に愚痴を吐きかけているが、私はそんな感情より恐怖と、そして何故か嬉しさを感じた。本当の自分を見透かされているんじゃないかという怖さ、それは本当の自分を見てくれる人がいるという嬉しさでもあった。
私を見ても特別扱いしない君と、私はずっと話してみたかった。でも君はいつも一人で、みんなとの付き合いをしなければいけない私はなかなか君に話しかけることができなかったんだ。
今日はそろそろ追いつけなくなってきた物理をなんとかするために、自主的に補習に参加した。そして教室に戻ると、教室には君一人しか居らず、君はオレンジ色の光線に照らされながら帰りの支度をしていた。話しかけるには今しかない。私は音を立てる心臓を抑えながら、できるだけ何気ないように話しかけた。
「くまくん、まだいたんだ。補習?なら私と同じだね」
話しかけると君は摩訶不思議な魔法でも目にしたかのように目を大きく見開いた。そんなに私の言動がおかしかっただろうか。私は強請られるんじゃないかとハラハラしながら、それを表に出さないように確認する。
「……?どうしたの?」
「な、なんでもないよ」
すると君は私を凝視するのをやめて、再び帰りの支度を始めていた。やっぱり私の勘違いか。
「くまくんじゃあね」
私は落ち着きを取り戻すと、いつものようにできるだけ気さくに見えるように別れの挨拶を言って教室を後にした。
下駄箱で靴を履き替えていると、急に階段からドタドタと急いで走ってくる音が聞こえ
た。何ごとかと思っていると、現れたのはなんと息を切らした君だった。
「あれ?くまくんどうしたの?」
私が首を傾げると君は右手の中に握ってたものを私の前に差し出した。それは私がいつも着けているはずの小さい白い貝殻の連なったブレスレットだった。確かに腕を見るとそれは着いていなかった。どうやら教室に忘れてしまっていたらしい。
「私ったら置き忘れてきちゃったんだ!ありがとう、これお気に入りなの。わざわざ届けてくれたんだね」
君から受け取ったブレスレットをすぐに腕に着ける。君が握っていたから生暖かくなっている。……君って意外に優しいところがあるんだ。
「白い貝がらのブレスレットを届けてくれるなんてほんとにくまくん、熊さんみたいだね。イヤリングじゃないけど」
ある日 森の中
くまさんに 出会った
花咲く 森の道
くまさんに 出会った
お嬢さん お待ちなさい
ちょっと 落とし物
白い貝がらの 小さなイヤリング
歌詞を思い浮かべると、そのかわいい歌が君にミスマッチで思わず笑った。君はまた不思議そうな顔で私の顔を覗く。
歌詞の通りだと次は、私と踊ることになる。まあ、踊ることはないにせよ、一緒に帰ることくらいは出来るだろう。
「そうだ!どうせだから一緒に帰る?帰ろ!」
私が手を引っ張ると君は笑ったような、困ったような表情をした。否定も肯定もしなかったけど、私はその無言を了承と捉えて、横に並んで歩いた。初めて知ったことだが、私と君の家は同じ方向だったらしく、しばらく一緒に歩くことが出来た。
一緒に歩いてても、君はむっつりして何も言わないし、私も私でなんだか気恥ずかしくて口を閉じていた。沈黙を破ったのは、意外にも無口な君だった。
「あんまり僕に関わらない方がいいよ。君まで無視される」
唐突に飛び込んできた言葉に理解が追いつかない。
「無視?」
「ほ、ほら、僕、前からその、いじめられてるだろ?ここんとこずっと無視されてるし、一緒にいると、あの、だから、一緒にいじめられちゃうかも、しれない、よ?」
私は片言でのカミングアウトを聞いて、腹が立った。いじめられてたの?何で助けを求めないの?何でいじめられてるのにそんなに普通でいられるの?聞きたいことはいっぱいあった。でも、そんなこと言われたら困惑するに決まっているから、ひとつひとつ言葉を選んで喋った。
「いじめられてるの!?じゃあいじめに立ち向かわなきゃだめだよ!そうじゃないとなくならないよ?」
確かに立ち向かえばなくなるなんて、そんなの甘い考えかもしれない。でも、行動を起こさなければ何も変わらないのは事実だ。それに、君は熊と呼ばれるくらいの巨体だ。本気で戦えば勝てるよ、きっと。
「熊さんには爪もキバもあるんだから仕返ししてやらなきゃ」
すると、君は深くため息をついて空を仰いだ。
「熊は何もしなくても悪者扱いされて、猟師に撃たれて殺される。熊が死ぬと村人たちは声を上げて大喜び。そういう世界に生きてるんだ、僕らは」
それを聞いて私は愕然とした。君はこの世界の全てを敵だと認識している。いや、実際そうなのかもしれない。私とつるんでいる奴らが君と関わってるのを私は一度たりとも見たことがない。
でも、私はいてもたってもいられなくて、つい口が動いた。
「もう、くまくんの弱虫」
私がそう言うと、君は本当に悲しそうな顔をする。そんな顔しないでよ。もっと自信を持って――。
「しょうがないから、私がついててあげる」
「は?」
君が素っ頓狂な声を上げる。多分君と同じくらい、私も驚いていた。
「これから毎日、私と帰らなきゃだめだから。わかった?」
私が変な理屈で変なことを押しつけてるにも関わらず、君はまた否定も肯定もしないで、すこし微笑むだけだ。私はそんな君と手を繋いでオレンジ色の住宅街を歩いて帰った。
次の日から、できるだけ私は君の傍にいようと努力した。君が煙たい顔してもかまわない。私がそう決めたのだから、そうするだけだ。
私が君と話していると、いたるところから異様な視線が飛んできた。空気読め。そう言ってるのだろう。本当に君には味方がいないんだな。私はなんだか胸が苦しくなった。
いつも私と行動を共にしているメンバーは私と君を遠巻きに見て何やらこそこそ話している。他の人たちも私を「裏切り者」という目で睨んできた。もちろん、そんなことで私はへこたれない。私は君の味方になる、そう決めたから。
放課後、昇降口で降りてくる君を待っていると、急に背中に衝撃が走った。転んですぐに後ろを振り向くと、私を殴った手をもう一度振り上げる虎太郎の姿があった。
「お前、なんであいつと話してんだよ」
ローションで固められた髪の毛がいつもよりも逆立って見える。
「そんなの私の勝手だし」
気にしていないフリをして立ち上がる。
「調子乗んな」
声の高い虎太郎が声を低く低くして一言一言確かめるように言った。
「私はあんたなんか怖くないから」
私も負けじと虎太郎の目を睨む。
「あっそ。女だからって容赦しねえからな」
虎太郎は用意していた拳骨を肩まで引いて、思いっきり私目掛けて振り下ろした。こめかみに当たって、視界が真っ白になる。全身の力が一気に抜け、背中から廊下に倒れる。頭が、目が、体が痺れて思うように動かない。私は女狐。ずるいだけで、賢くない狐。くまくん、ごめんね。力になれなくて。
記憶が飛ぶ寸前、目の前に誰かが駆け込んできた気がした。
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