熊の恋物語
前花しずく
第1話 熊の恋物語
何時見ても変わらないボロボロの校舎。ここに来るのは正直言って億劫だ。別段、勉強が嫌いなわけではなく、学校に来ること事態が面倒な訳でもない。単純に、いじめられてるからだ。
今はまだいい方だが、去年は平気で殴られたり蹴られたり、鼻から血が出たことも一度や二度じゃない。今年に入ってからは暴力よりも、無視をする、といった形態に変わった。男子どころか女子にまでも無視をされる。別に一人でいることが嫌いなわけじゃないが、「独り」と「一人」は違う。
今日は補習があったため、すっかり遅い時間になってしまった。腕時計を見ながらせかせかと自分の教室に荷物を取りに行く。机の横に掛かっているリュックに教科書を無造作に突っ込む。
その時、教室に誰かが入ってきたのが分かった。
「くまくん、まだいたんだ。補習?なら私と同じだね」
熊、とは僕のあだ名だ。熊野啓介だからなのと、図体がでかく、無口だからそう呼ばれている。最も、今は絶賛無視中なので呼ばれてはいないが。
しかし、このクラスにはまだ僕に話しかけてくれるやつがいたんだ。
この子は確か、狐坂千香だったか。いつもクラスの中心的存在で、スポーツ勉強なんでもござれの校内でも言わずと知れたハイパー少女である。顔立ちも端正で、いつもその長い髪を左右で結っている。
それこそ、僕なんかに話しかけてくるタイプではないと思っていたのだが。
「……?どうしたの?」
黙っている僕を変だと思ったのか、なおも話しかけてくる。
「な、なんでもないよ」
しばらく人と話したことがなかったので、声がくぐもってしまい、顔から火が出る思いだ。千香はそれで納得したようで、自分の鞄を掴むと「くまくんじゃあね」と手を振って教室を出て行った。
その直後、僕は千香の机の上に何かあることに気付いた。近付いて見てみると、それは綺麗で小さな白い貝の繋がったブレスレットだった。きっと千香が忘れていったに違いない。これが千香のものでなかったら何もしないところだが、千香はこのクラスで唯一僕に話しかけてくれた子だ。無視するのは僕の良心が許さなかった。
教室を飛び出して幾つもの廊下の角を曲がって、階段を何段も飛ばして千香のあとを追った。息を切らしながら下駄箱に着くと、千香は丁度靴を履き替えている途中だった。
「あれ?くまくんどうしたの?」
僕が息を切らしながらブレスレットを手渡すと千香は飛び上がって喜んだ。
「私ったら置き忘れてきちゃったんだ!ありがとう、これお気に入りなの。わざわざ届けてくれたんだね」
千香は嬉しそうに腕にブレスレットをつけた。
「白い貝がらのブレスレットを届けてくれるなんてほんとにくまくん、熊さんみたいだね。イヤリングじゃないけど」
そう言って千香は笑った。いつもにこにこしてるイメージだけど、それとは違うような笑顔。
「そうだ!どうせだから一緒に帰る?帰ろ!」
千香は半ば強引に決めると、僕の隣に並んで歩き始めた。女子と帰るなんて高校に入ってから、というか生まれて初めてだ。なんで千香は急に僕と関わる気になったのだろう。僕と関わったら千香まで無視されるようになるのは目に見えている。僕がそのことを気持ち悪さこそ感じるほどのコミュニケーション能力のなさで伝えると、何故か千香は怒り始めた。
「いじめられてるの!?じゃあいじめに立ち向かわなきゃだめだよ!そうじゃないとなくならないよ?」
どうやら千香はいじめのことを知らなかったらしい。さらに千香は続ける。
「熊さんには爪もキバもあるんだから仕返ししてやらなきゃ」
例え爪とキバがあったって何もできるわけがない。
「熊は何もしなくても悪者扱いされて、猟師に撃たれて殺される。熊が死ぬと村人たちは声を上げて大喜び。そういう世界に生きてるんだ、僕らは」
僕はとっくに諦めていた。この世界でいくら足掻いても、僕は一匹の熊でしかない。それは変えようのない事実だ。
「もう、くまくんの弱虫」
千香があきれたようにそっぽを向く。このまま僕に近付かないことが千香のためだろう。
「しょうがないから、私がついててあげる」
「は?」
「これから毎日、私と帰らなきゃだめだから。わかった?」
無茶苦茶な言い分に何か言い返そうとしたものの、千香が必死に言ってきたので、僕は黙っていた。
すると千香は無理矢理僕の手を自らの手に絡めた。その手はとても小さくて、すべすべだった。
そしてとっても温かかった。
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