ジャックの奇跡(いたずら)
小野 大介
本文
放課後の図書室。
趣味の読書を楽しんでいた彼は、最終下校時刻を知らせるチャイムが鳴ったのに気づき、ふと顔を上げた。
「あれ、もうそんな時間?」
受付の奥の壁に掛けられたレトロ調な時計を確認した彼。本を読むのに邪魔だと閉めきっていたカーテンの隙間から夕陽が漏れているのに気づき、しまったと思った。
「今日は特に遅いな。どうせ没頭して忘れてんだろうけど……」
小さな溜め息をこぼすと、本を閉じて席を立った。
彼がこんな時間になるまで図書室に留まっていたのは、なにも本を読むためではない。それはあくまで時間を潰すためであって、本来の目的は、クラスメイトが部活を終えるのを待つためだった。
クラスメイトとは家が近所の女子で、いわゆる幼なじみだ。同い年ということもあり、小学校の頃から毎日のように登下校を共にしてきた。もはや習慣で、彼女の両親に面倒を頼まれていることもあり、中学生になった今もその関係を継続していた。
秋になり、夜の訪れが早くなってきている。急いで帰らなければ彼女の親に心配をかけてしまう。変な勘繰りをされては困るので、急ぎ図書室を後にした。
彼女がいるはずの美術室にやってきた彼は、一応の礼儀とドアをノックし、「おーい、もう帰るぞー」と呼びかけた。だが、返事が無い。
「あれ? おーい、入るぞー?」
もう一度ノックしてからドアを開け、室内を覗いた。
夕焼けの色に染まる美術室。すっかり片付けられた室内の中央に机が一台だけ残されているのだが、そこに腕を枕に眠る一人の女子の姿があった。
「あー、そういうことか」
返事が無い理由を察した彼は、くいと肩をすくめた。
「どうせまた夜更かしでもしたんだろう。……あ、そうだ、せっかくだから寝顔を撮ってやろう」
意地悪な笑みを浮かべると、静かに部屋に入り、音を立てぬようドアを閉め、抜き足差し足で彼女の元へ向かった。その手には、ポケットから取り出したスマートフォンがある。
「……あ、落ちてんじゃん」
夕陽に同化していたので近づかなければわからなかったが、机のそばにカボチャが落ちていた。彼の頭よりも大きいのに片手で持ち上げられるほど軽いそれは、ハリボテの“ジャック・オー・ランタン”だ。
下向きに湾曲した二つの目と、両端が吊り上った大きな口があるので、不気味な笑みを浮かべているように見える。
そのジャックは、数日後に開催されるハロウィンパーティーのコスチュームで、眠り姫が二週間前から制作を手掛けているものの一つである。
「俺の頭なんだから大事にしてくれよ。……それにしても、ほんと器用だよなぁ」
自分がかぶる予定の頭に傷が無いかを確かめた彼は、その出来栄えに感心した。
「どんな感じかな?」
幸い傷が無かったジャックを、試しにかぶってみた。表はきれいに整っているが、裏はまだで、ちょっと動くたびに剥き出しの新聞紙がガサガサと耳障りな音を立てる。しかし、素人目から見ても素直に上手いと思える完成度ではあった。
「鏡は……無いか。残念」
学生服にカボチャ頭という今の姿を客観的に確認したくて鏡を探すも、見当たらなかった。窓ガラスを鏡の代わりにしてはと考えるも、逆光で見えなかった。
彼女が目を覚ましたら、スマートフォンのカメラで撮ってもらおう。そう思い、振り返ると、寝ていたはずの彼女が頭を上げていて、寝ぼけた様子でこちらを見つめていた。
「よっ、おはよう。ほら、太陽がもう真っ赤だぞ。早く帰らんと、おばさんにまた変に疑われて、夕飯に赤飯を出されるぞ」
カボチャ頭の下で苦笑する彼。一方の彼女も笑った。
「アハハ、あんときはびっくりしたよねぇ。ほんと困っちゃったよぉ……って、あひゃあっ!」
彼女は急に奇声を上げ、弾けるように席を立った。その勢いで椅子が倒れて大きな音を立てたので、彼は驚いてしまった。
「びっ、びっくりしたぁ。なんだよ、どした?」
「えっ!? あっ、いや、あの、その、えっと……かっ、顔! 顔を洗ってくんね!」
典型的なまでのしどろもどろ。下手な誤魔化しをしたかと思えば、逃げるように美術室を後にした。
「………………え? なに? なんで?」
独り取り残されたカボチャ男子は、なにがなんだかさっぱりわからず、開いたままのドアを見つめ、途方に暮れている。
「えー、俺、なんかしたかなぁ……?」
原因がわからず、小首を傾げる。するとカボチャ頭も傾き、また耳障りな音を立てた。彼はかぶっていたことを思い出し、すぐに外した。
「これ意外と蒸し暑いんだな。ゆるキャラの中の人とかどんだけ大変なんだよ。……ん?」
頭を外した際、裏側は後頭部の辺りが目に入ったのだが、なにやら文字が書いてある。逆さまなのでカボチャをひっくり返し、あらためて確認してみたところ、次のようなことが記してあった。
『幼なじみ専用(将来は恋人になる予定❤)』
「あ……!」
その一文をつい口に出して読んでしまった彼は、赤面した。
親同士の仲が良かったこともあり、二人は赤ん坊のことからの幼なじみだ。馬も合ったので、いつも一緒だった。もはや家族の一員。姉や妹に等しい存在だった彼女を、一人の女性として意識するようになったのは、小学校は高学年の頃だった。
誰にも相談できず、想いを打ち明けることもできず、ずっと胸に秘めてきた。告白を考えたことは何度もあったが、どうしても勇気が出なくて、行動に移せずにいた。
原因は、今の関係が壊れてしまうことへの恐怖と不安だ。家族にも等しいからこそ、なおさら難しかった。
いくじなし。
弱虫。
草食系男子。
そう自らを貶す日々を過ごし、今日に至る。
だがそれは、彼だけの悩みでは無かった。
「えっ、これって……マジで?」
何度も見返した。見間違えじゃない。目の錯覚でも無い。
それを確かめた彼の顔は、さらにも増して紅潮する。夕陽に照らされているのでわかりにくいが、彼の顔はいま、酔っぱらいのように真っ赤だ。自身でもわかるぐらいに耳が熱くなっていた。
嬉しくて、恥ずかしくて、居ても立っても居られない。
最後のハートマークが直視できない。
彼女が逃げ出したのも無理はなかった。
「どっ、どうしよう……」
カボチャを抱えたまま立ち尽くし、狼狽えてしまう彼。
そのとき、開いたままのドアが音を立ててガタガタと揺れた。ハッとして見れば、誰かの手がドアの端を掴んでいて、すぐに引っ込んだ。
ドアの向こうに誰かいる。もしかしたら彼女かもしれない。
そう思うと、心臓が痛いくらいに鼓動を打った。胃の辺りがキュッとして、胸がざわついた。緊張しているのだ。
時が来たと思った。このタイミングを逃すわけにはいかない。
うるさいくらいの脈動をその胸に感じ、ドアへと歩を進める彼。もう少しというところで、誰かの息遣いを感じた。興奮を抑えようとするも漏れてしまう鼻息に思えた。
彼女に違いない。そう意識すると、手が震える。足がすくむ。頭が勝手に混乱を始める。
どうしよう、行くしかない、行くべきだ、行こう、行きたい。
もうちょっとなのに、どうしても一歩を踏み出せない。勇気を振り絞ろうとするけれど、沸き起こるのは失敗するかもしれないという不安と恐怖ばかり。自分はなんと情けないんだと内心罵倒しても、なんら変わらず、変わってもくれず、ただ陽が暮れるばかりなり。
顔が火照ってひどく熱い。耳まで熱い。きっと赤面しているに違いない。
こんな顔で彼女に会うのか? 恥ずかしくはないか?
羞恥心が、弱虫を誘って悪さをする。
失敗するかもしれない。
恥をかくかもしれない。
嫌われるかもしれない。
どうしよう、どうしたら、どうすればいい。
悩みや迷いが過ぎて頭がパンクしそうになったとき、彼はふとその手にあるものの存在を思い出した。
俺をかぶれ。
ジャックがそう言ってくれているように思えて、気づけばかぶっていた。
狭まる視界。すると妙に緊張がほぐれて、心の締め付けが緩んだ気がした。鉛のようだった足も軽くなり、ようやく一歩を踏み出せた。
彼は誘われるように廊下へ出ると、扉を背にしてしゃがみ込んでいた彼女の前へと躍り出た。
「トリック・オア・トリートォ! お菓子をくれなきゃイタズラするぞぉ!」
頭だけとはいえ、ジャックに扮しての登場だ。これぐらいはおどけても大丈夫だろうと強気で挑んでみたのだが、当の彼女は戸惑い、どんな反応をすればよいものかと悩んでしまって、なんとも気まずそうにするばかりだった。見事に外したのは、言うまでもない。
彼女が苦笑いすらも浮かべてくれないので、彼自身気まずくなり、ジャックをかぶっていることも忘れて頭を掻いてしまった。
「……」
二人の間に沈黙が流れる。なんとも言えない空気が周りを取り囲んでいる。お互い、どうしたものかと悩んでいるのだ。
時間だけが無情にも過ぎ去る。
夕陽に夜の色が混じり始めた頃だった、彼が咳払いをした。何かを言い出そうとしているのだと信じ、彼女は待ち構えた。
「あ、あのさ、そのぉ……」
ジャックをかぶっているので、どうしても声がこもる。反響するので、彼にはうるさいくらいの音量で聞こえるが、彼女には小さくて聞こえづらい。
「うん!」
彼女は一言一句漏らさないようにと、集中して聴いている。その純粋なまでの眼差しに見つめられたことで、彼の心臓はまたも強く弾んだ。
あの嫌な緊張感がぶり返してきた。だが、もはや不安がどうのと言っている状況じゃないので気にしないことにして、“当たって砕けろ”の信念の元に意を決する。
「えっと……! あのさ、流れだからとか、勢いでってわけじゃないんだけど、その……将来の、っていうの、今すぐじゃダメかな?」
「え?」
なんとも微妙だが、告白とも取れるその言葉に、彼女はハッとした。――と、そのときだった。
ジャックが『ベリッ!』という音を立てて真っ二つに割れてしまったのだ。きれいに二分された頭は、開くように前後に分かれて床へと落ちた。そしてあらわとなった彼の顔は、まるで茹で上げられたように真っ赤だった。
「え……」
二人は思わず声を漏らした。タイミングがぴったり一致し、まるでステレオのようにシンクロした。
床の上で揺れている二つのお椀、もとい、ジャックの成れの果てを見つめ、そしてお互いの顔をうかがう二人。これまたタイミングが合い、二人同時に失笑した。
緊張の糸が切れた反動は大きく、廊下の端に届くほどの大声で笑った。涙まで流してしまった。
二人が落ち着きを取り戻した頃にはもう、窓の外は夜のほうが色濃くなっていた。
そのことに気づいた彼は、彼女に向けて手を差し伸べ、言った。
「じゃあ、帰るか」
「うん」
彼女は頷くと、その手を取り、支えられて立ち上がった。
二人は手を繋いだままに、割れてしまったジャックを片方ずつ拾い上げる。例の一文が書かれた後ろ側を拾ったのは彼女だ。
「それさ、修理するときに書き直せよ」
見るとどうしてもにやけてしまう一文を指差し、彼は言った。すると彼女はニヤリとし、「なんて書き直せばいいかな?」とわざとらしく問いかけた。
なにか洒落たことを、歯の浮くような、砂を吐くようなキザなセリフでも期待しているのだろう。そのことに感づいた彼は頭を捻るも、どうしても浮かばず、「……任せる」とだけ言ってしまった。
「えーっ!」
残念そうな声を上げる彼女だが、その顔は嬉しそうだった。それはそれで彼らしい、と思っているのだ。
照れくさそうに手を繋ぎ、二人はその場を後にする。だが、すぐに引き返してきた。美術室にカバンを忘れたことを気づき、慌てて戻ってきたのだ。
そそっかしい二人である。
見事なまでに真っ二つになってしまったジャック。修復するのは難しく、いっそ一から作ったほうが早いとのことで、パーティーには新しいものが用意された。彼はそれをかぶり、無事に参加を果たしたのだった。
それにしても不思議なのは、どうして真っ二つに割れてしまったのか。
彼女が、修復可能かどうかを調べる際に、割れた原因も探ってみたのだが、まるでわからなかった。あらかじめ切れ目でも入っていなければ、普通はあんな割れ方をしないのだが、そんなものはなかった。
原因不明の不可思議な現象に、二人は首を傾げるばかり。もしかすると、ジャックが生みの親のために一肌脱いだのではないか、はたまた単なる悪戯だったんじゃないか、そんな妄想を膨らませていた。
話題を独占する当のジャックは今、二人それぞれの手元にある。思い出の品として片方ずつを引き取り、大切に保管されていた。ちなみに、例の一文が記された後ろ側は、意外にも彼が所持している。
実はあの後、彼女が一文を書き直した上でプレゼントしたのだ。その文言の違いに気づいた彼は、いつぞやのように赤面してしまった。
そこになんと書かれてあったのかだが、そこまで語るのは野暮というものだろう。
とりあえず言えるのは、彼はまたかなりの時間を要したものの、あらためて返事をし、彼女を泣かせた。
もちろん、嬉し涙である。
【完】
ジャックの奇跡(いたずら) 小野 大介 @rusyerufausuto1733
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