第6話
いつものベンチで日比野君を見つけるとホッとした。心底ホッとした。
私は日比野君の隣のベンチに日比野君と同じように横になった。私の頬を風がなぞっていく。夏の匂いを含んだ心地いい風。風に吹かれた私の髪が日比野君の顔に届きそうな距離で、私たちは同じようにぼんやりと空を眺めている。
「私、ネコ娘だってさ」
「俺のせいでそうなってんのか? よくわかんねーけど、悪かったな」
「日比野君は別に悪くないよ。それにネコ娘ってそう悪くないよ」
「そうかな。俺はイヤだけどね、ネコ娘なんて言われ方さ」
しばらく、黙っていた。
「いつか……図書室で私が日比野君のことコタツって言いかけたとき、日比野君コタツでいいって言ったよ」
「そうだったっけ?」
「そうだよ。そんで、私、日比野君に変なヤツって言われた。危険だとかさ……」
顎をぐっと上げて日比野君の方を見上げていると、彼はガバッと起きあがって私の顔を覗き込んできた。日比野君の顔が逆さまだ。
「ゴメン。前言撤回するよ。早瀬は全然変なヤツじゃないし、危険でもない!」
逆さまに見える日比野君は悪くなかった。意外にも私が描く落書きに似て二枚目だった。目の錯覚だろうか。そういえば、いつかのお返しをしなければとふと思い立った。
「ロミオ……おなたはなぜロミオなの」
「はぁ……?」
日比野君は首を傾げた。
「遅くなったけど、チョーク消しのお礼代わり」
ややあって合点がいったらしく、日比野君は頭をかいて照れたように笑った。
「早瀬、そんなこといちいち覚えてんのな」
「そりゃ覚えてるよ。衝撃的すぎるよ」
「俺……中学のとき演劇部だった」
「えっ!?」
意外過ぎて、私も跳ね起きた。
「へへ、意外だろう」
そう言って日比野君はまた寝ころんだ。
「なぁ……高校生活ってまだ始まったばっかりじゃん。こんなとこで時間つぶしてないでさ、早瀬は教室にちゃんと自分の居場所確保しとけよ。他のヤツにネコ娘なんて呼ばせてる場合じゃねーだろ」
居場所か……日比野君も、わかってんだ。
「ありがとう。でも本当に私ネコ娘でもいいんだ」
言って、私もまた寝ころんだ。
「じゃあ、俺もコタツでいっか」
と、私の頭の上から声がする。
「でもな……たぶん、今後は早瀬は俺と話さない方がいいぞ。変な噂とか流されるし。他の友達と仲たがいしてるなら、今のうちに仲直りしとけよ。どんどん居づらくなるぞ」
わかってる。わかってるよ日比野君。全部わかってるよ。何だか、涙が出そうになる。それは、日比野君に私が言いたい言葉だったから。
「日比野君と話さなくなると、私もう学校では誰とも話せないな……たぶん」
太陽が眩しくて目を閉じたのか、涙がこぼれそうだから目を閉じたのか。目を閉じても瞼の裏で空の青さを感じることができる。
「日比野君に知っててほしいことがあるんだ。私ね、屋上が好きなわけじゃないよ」
「じゃあ、何でいるのさ」
「屋上には日比野君がいるから……」
少し間があって、私の頭の向こうから「ふ~ん」というあくびにも似た声が聞こえた。
「あの雲、うまそうだな。できたての豆腐みたいだ……」
日比野君の声がして私は目を開けた。
「できたてのお豆腐って美味しいのかなぁ?」
「うまいさ! 最高に!」
「食べてみたいな。私、お豆腐大好きだから」
「俺も……豆腐は、好きだ」
少し変な会話だった。豆腐も好きだけど、コタツ君も好きだよ……とは心の中だけで呟いた。
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