第5話

 ある日の昼休み、初めて日比野君は教室でお弁当を食べていた。でもその日はいつもの特大お弁当ではなくて、学食で買ったコロッケパンだった。

 その頃は私も日比野君と同じく、グループではなく一人自分の席でお弁当を食べるようになっていた。

 あのメールの一件以来そうしている。

 それに、私は森さんたちからシカトの対象になっているらしかった。でも、あまり気にならなかった。メールの噂の大半は本当なのだ。いや、全部事実なんだ。でも、私が森さんたちを前にそれが事実だなんて認める必要もない。

 私、けっこう強くなった気がする。

 そんなときだった。

「よう! スゲー珍しいんじゃないのぉ〜? この光景」

 言ったのは何かと小うるさい有田。有田が席も近い日比野君にからんでいた。

「おいおい、コタツが教室で食ってるぜぇ。なんだよ、どういう心境の変化だろうなぁ」

 そんなことを言いながら、なぜか有田は意味ありげに私の方にいやらしい目を向けた。

「なぁ? コタツと早瀬ができてるってマジなのかよぉ~。ネコはコタツで丸くなるっていうよりも、ネコとコタツはベッドの上で丸くなってんじゃねぇ〜の? いいねぇ~お二人さん!」

 日比野君は有田と有田の友達に四方を囲まれ嘲笑に晒されている。そして、冗談めかして言う有田の声はしっかりと私の所まで届いていた。

 すると、今までシカトしていた森さんが私のそばにやってきて慣れ慣れしく肩を叩き、耳元で囁いた。

「有田に言われっぱなしになったらまずいわよぉ。認めたことになっちゃうしさぁ。コタツのこと何とも思ってないなら何か言い返した方がいいんじゃないのぉ? 有田のヤツおしゃべりだからさ、学校中にあることないこと言いまくるわよぉ〜」

 でもそんな森さんの声はどこか面白がっている様子もあり、まるで悪魔の囁きのようだった。クラスの方々からはバカにしたような笑い声だけがよく聞こえる。私は机の下で拳を握りしめていた。私の中を駆けめぐる感情は怒りだった。あまりの怒りに声が出なくて、ただ体の中が真夏の太陽みたいに熱くなり、段々教室の声が聞こえなくなっていく。

 それはそんな時だった。

「うっせーんだよっ! てめーらっ!」

 もの凄い怒号が教室に響き渡って、ほぼ同時に机がひっくり返る派手な音が起こった。

 その一瞬、教室では時間がとまったかのように凍った静寂が訪れた。

「俺が教室で食っちゃいけねぇのかよっ! なぁ! 言ってみよろ、有田!」

 それは日比野君の声だ。顔を真っ赤にした日比野君が有田の制服の襟首を掴んでいた。

 有田はその日比野君の態度に驚いて声も出ない様子だった。喧嘩になるのかと、教室にいた生徒が二人から退いたけど、そうはならなかった。

 日比野君が有田の額に自分の額を押し当ててそのまま黒板の方まで押しやり、有田はその気迫に負けたようだった。

「早瀬に謝れよな」

 日比野君は虚を付かれて固まった有田を傍らに投げ出し、早口に言うと教室から出ていった。

「なにアレ! コタツって超恐い! まじでキレてんの! あいつってば本気で早瀬さんのこと好きなんじゃん!」

 森さんは色めき立って叫ぶように言った。

 しばらくしてまた何事もなくいつものランチタイムが訪れたけど、私にとってはそこは昨日までの場所ではなかった。

 私は森さんの前に立った。

「森さん、私のこと好き?」

「いきなり何よ。私そういう趣味ないわ。それに……どっちかといえば、あんたなんか嫌いよ」

 それはきっと、今の森さんの素直な心の声に違いなかった。

「モリッチ、何まともに聞いてんのよ。早瀬さんのいつもの天然ボケじゃない。もはや天然というより、単なるボケかもしんないけどね」

 すかさず前田さんが森さんにつっこんで、私を見上げ不適に笑った。

 私は前田さんの方を向き、彼女の目を見て言った。

「あなたのキャラじゃないかもしれないけど、もう少し人に優しくしてあげた方がいい」

「そ、そんなこと、あんたに言われる筋合いない!」

 前田さんらしくなく、その返事には少し時間を要した。

 私はそんな前田さんの声を背中で聞いて教室を出た。

 最初はただ席が空いているというだけで居心地のよかった教室。でも一人になってよくわかった。自分の席は自分で探さなくちゃいけないんだ。今は私にはもっと大切にしたい場所がある。

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