第8話
袋小路だった。僕はただ、行き止まりの壁に貼られた、黒い無地の紙にとても長い幻想を抱く。空はまだ夕焼けだった。僕がここに佇んでからそんなに時が経過した訳でもなかった。僕の前に道はなかった。壁だけがあった。僕はその壁の先を見てみたい気持ちでいっぱいだった。でも、いくら眺めてもそこに扉が現れるはずもない。
……あくまで、想像なんだ。光なんて子は、僕の想像の及ぶ範囲で創り出せて……それ以上想像できないままにただ消えて行くだけの、幻想。
僕は踵を返した。今度は本当に帰路につく。帰りたくはない家に帰るんだ。
「あッ!」
一瞬、眼つぶしを食らったのかと思った。僕は地面に両手をついて呆然と座り込んでいた。ある日突然頭突きを食らわされた時のようにだ。あの時、このすぐ後に起ったのは、さざめく忍び笑いだった。それに一体どんな意味があったのか、誰も教えてくれなくて、僕は考えあぐねることになった。でもその直後に起こったのは忍び笑いではなかった。
「ごめん! 大丈夫? 立てる?」
僕の視界に手が差し伸べられる。僕にしてはあまり聴き慣れない類の言葉だった。
僕は顔を上げ、手を差し伸べている人物を見た。見知らぬ少年だった。その子は僕と目が合い、ニコッと笑った。
「あのさ……君、そこの路地から出てきたんだよね? その先に何かあった?」
その子は戸惑いながら僕にそう訊ねた。
「何かって……何もないよ。ただの行き止まりだったけど」
「そっか。行き止まりか。……そっか」
「探しものでもあったの!」
僕は思わず口走ってみた。
その子は、おや? というような表情を一瞬見せて、頭をかいた。
「うん……そうなんだ。そうなんだけど……」
「何を探していたの?」と僕が訊ねると、その子はやおらズボンのポケットから小さな箱を取り出した。
「これの開け方を探してるんだ……って言ったら、君は信じるかい?」
その子の掌にのっているのは、幾何学模様の側面を持つ、小さな木箱だった。
「これ、カラクリ箱だよ。開け方がわからないんだ。振ると音がするから、中に何か入ってるみたいなんだけど……」
「それ、どうしたの?」
「昨日ね、この路地の先で拾ったんだ」
「でも、そこは行き止まりだよ」
「そうだよ。でも、ボクはそこで拾ったんだ。君は何か見つけたのかい?」
僕は首を振った。そこには何もなかった。あったのは黒い貼紙だけだ。でも、本当に何もなかったのだろうか? 僕の目は当てにならないかもしれない。
「ねえ、君はこの中に何が入ってるかわかる?」
その子はカラクリ箱を僕に向けて振ってみた。カタカタと鳴っている。きっと、空想の中の僕ならわかったのだろうけど……。
「わかる訳ないだろ。僕は超能力者じゃないんだから……」
少し嫌味な言い方になったかもしれないと、言ってからいつものようにドキドキした。でも、その子は「そうだよね」と言っておかしそうに声を出して笑った。
「たぶん、開けない方がいいんじゃないの」
僕はおずおずとその子に言ってみた。
「どうして?」
「逃げていくかもしれないから」
「何が逃げて行くの?」
やっぱり、僕はドキドキしている。でも、いつものドキドキとは違うドキドキだ。
「何かが……」
僕の弱々しい声を、その子は聞き逃さなかった。
「そっか、何かがねぇ。そうかもしんない……うん、そういうことだな、きっと」
その子は何かに合点がいったように大きく頷いたけど、僕は首を傾げた。どういうことかわからなかったから。ただ、安心した。心底安心した。
僕とその子は途中まで一緒に歩いて帰った。それで、道の途中でその子が言った。
「ねぇ、写真撮らない?」
「写真……?」
「そう。ホラ、あそこにあるだろ、証明写真を撮るアレでさ……ね、撮ろうよ。記念に」
それは、とっぴょうしのない提案だった。何が記念なのかも僕にはわからない。そして別れ際に、その子はまたもやとっぴょうしなく僕に言うのだった。
「このカラクリ箱、君にあげるよ。開け方がわかったら教えてよ」
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