幕間 一
七月半ば。そろそろ期末試験も迫ってきているこの時期に、私は試験勉強もせずにとある女の子と共に、屋上へと続く階段の踊場で向かい合って立っていた。
その女の子はぶっきらぼうというかなんというか、一ミリも仲良くするつもりがないと態度で表現している。まるでハリネズミのような女の子。
ここ最近、
「……こんなところに呼び出して、何の用?
教室では基本的に口を開かず、放課後もすぐに帰宅してしまう彼女を捕まえるのは至難の技だった。これでは私が邪魔しなくても、彼はこの子を捕まえられなかったのではないだろうか。
しかし彼はどうにかして米座さんとの接点を作り、少なくとも顔と名前を覚えてもらえるくらいの関係にはなったらしい。最近の彼は大人しいけれど、それは私にとって少々面白くない話であった。
「うん、ちょっと聞きたいことがあるっていうかサ。――話をしようよ、米座さん」
「それ、流行ってるの?」
はて、何のことだろう。
私の切り出しに彼女はややウンザリ気味にため息をつきつつも、ひとまずは聞いてくれるらしい。先を促すように、私の目をじっと見つめてくる。
「話っていうか、聞きたいことがあるっていうか」
「?」
「ぶっちゃけ、米座さんって美作くんとデキてるの?」
「……、……!?」
「あ、もはやそんな関係に無いとか? もうヤりまくりな感じ?」
「!? !? !?」
見るからに動揺する米座さんを見て、なんとなく察する。予想してはいたけれど、別にそういう関係ではないのだな、と。
その様子を見て安心した。
「あー! 良かった良かった。なんだ、彼の一方的な片想いか」
「……それが、なんだって言うの」
落ち着きを取り戻した米座さんは、お前は何がしたいのだ、と言わんばかりの強い視線を向けてくる。ただ確認したかっただけなのだけれど、そのそもそもの理由、なぜ知りたがっているのかという部分が問題らしい。
「アイツに気があるとか?」
「うん、そうだね。そういうことになる」
「……へー」
まるで信じていない、棒読みの相槌。それに笑いかけ、
「本当だよ? 私、彼のこと気になってるんだ」
「それはどういう意味で?」
「もちろん、恋愛的な意味で」
「嘘」
短く、鋭い切り返し。確信を持って放たれたそれは、少なからず私の心を揺らした。
面倒だな、テキトーに誤魔化そうかな、なんて考えたけれど、米座さんの目はそれを許さない。細く、けれどしっかりと私の目を見据える瞳。それの前では、いかなる嘘も通じないかのように思えた。
「……別に、何もかも嘘ってわけじゃないよ。彼のことが気になってるってのは本当だし、それが恋愛的な意味でっていうのも本当。ただ、ちょっとニュアンスは違うかもね」
私は両手で米座アカネの胸ぐらを掴み上げた。
「……っ!」
「――面白くないんだよね」
思わず素の声が出てしまったが、彼女相手ならば別に良いだろう。ややドスを効かせた声で、嘘偽りのない、私の正直な気持ちというのを語ってやった。
「せっかくオモチャを手に入れたのに……ううん、ペットって言った方正しいのかな? まあなんでもいいけど。そのペットがさ、ご主人様を放って、隣の家の女の子の尻追っかけてるって考えたら、当然心中穏やかじゃないの。――なんで美作くんは、アンタなんか好きになったわけ?」
おかしいとは思わないか。同じ学級委員だ、二人きりの時間はいくらでもあったのだ。その間、決して長いとは言えないけれど、それなりに言葉を交わし、親しくもなれた。
彼からすれば嬉しい話のはずで、しかも私はそこそこ可愛い。少なくともこの、根暗メガネなんかに比べればずっと。認めない。認められるはずがない。
そんなの、私のプライドが許さない。
「別に、これまでだって他の女の子が好きって男子はいたけれど、一ヶ月も一緒に学級委員の仕事をすれば私の事を好きになってた。なのになんで彼は、私よりもアンタを選ぶの?」
彼のことは気になっているし、それは恋愛的な意味でというのも間違いではない。しかし米座アカネの言う通り、『嘘』であることも否定できない。
なぜなら私は、彼のことが微塵も好きではないのだから。
私が彼のことを好きになる理由なんて、ありはしないのだから。
しばらく接触を避けていたのだって、彼から声をかけてくるのを待っていたというだけなのに、彼は一向に近づいてこない。どころか、これを良い機にと米座アカネへのアプローチを加速させていった。そんなの、面白いはずがないではないか。
「……安心して、別に、米座さんのことが嫌いって話じゃないから。これは単なる八つ当たり」
パッと胸ぐらから手を離し、慣れないことをしたせいで疲れた手をぷらぷらとしながら、
「確かに、今回はちょっとばかり攻めすぎたかなーと思ってたけど、それにしたって彼、私に対して興味なさすぎでしょ。ホントに男子なの? この前だって――」
「……椎堂さんって、わかりやすいね」
「はぁ?」
突如挟まれた妄言に、眉根を寄せる。何がわかりやすいというのか。何の話だ。アンタ今、有り体に言えばクラスメイトの女子に嬲られてるんだけど。
そんな私の内心などお構いなく、彼女はさらに続けた。
「手伝おうか」
「何を」
「あの男を振り向かせるために、手伝おうかって」
「――――」
何を言っているのだろう、この女。
「なんで? なんでそうなるのサ? 今私、アンタに対して罵詈雑言浴びせてるようなものなんだけど?」
「別に、間違ったこと言ってないし。普通だったらあたしよりも椎堂さんを選ぶって点に関しては疑う余地もないし、あたし達の利害は一致してると思ったから」
「……利害?」
「椎堂さんは彼に振り向いてほしい。あたしは彼が邪魔。椎堂さんがあの男を持っていってくれるなら、あたしとしては大助かりなの」
思ってもみない申し出だった。今現在、美作くんは米座アカネに夢中である。そんな彼女が、私の味方になってくれると言うのなら、これほどまでに心強いことはない。なるほど、悪くない。
「それに、」
米座さんはさらに続ける。
「アンタの素は、見せてもらったから」
「……はぁ」
その一言だけはよくわからなかったが、こうして私と米座さんとの間に共同戦線が張られた。ただ八つ当たりするためだけに呼び出したはずが、こんな結果に落ち着くなんて誰が予想できたか。
まあ、結果オーライというやつである。
「……あれ? 私の目的って、彼を振り向かせることだっけ?」
……何か、間違っている気がしないでもない。
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