第22話 暇になりたい。
夜羽と暮らすうちに、分かり始めてきたことがある。
猫から人間になった私を、それでも家においてくれる
彼女はお酒が大好きだけど、お酒に飲まれる側の人間であると言うことである。
酔っ払うとガードが甘くなるのだ。こう、背後から抱き付く程度なら割と許してくれるようになる。彼女の体調とか諸々の原因があって厳しい日もあるけれど、アルコールのちからってすげー、ってなるのだ。
で。
今日は彼女の身体をマッサージしていた。
それこそ全身くまなく、とはいかないけれど。
これも役得である。同性の、それもずっと暮らしていた元ペットだからこそ気を許している部分もあるに違いない。私じゃなかったら切り捨てられていたね、このチャンスをものにできたのはこれまでの
ぐっと体重を掛ける。
御主人様を気持ちよくするために。
「あっ……そこ、もちょっと右」
手を彼女の指示に従って動かしていく。彼女がくすぐったいような声を上げて、それが僅かに熱を帯びているものだから、私も思わずつばを飲む。
そして余計なところに手が伸びるたび、私の肩にじっとりとした痛みが走る。
なぜか私の肩を揉んでいるマルのせいだった。
背中の洗いっこじゃないんだから、とは思うけど好意を跳ねのけることはしない。
「マル、痛いんだけど」
「ラグちゃんが余計なことしてるからです」
「まだしてないじゃん」
「これからするかも、ということなので」
「推定無罪を裁くなよ、もう」
マルと言い合いをしながらも、私の手は夜羽から離れない。タイミングを見計らって胸元に手を滑り込ませてやろうと言う魂胆がハハハ冗談でもそんなことするわけないじゃないか、偶然、迂闊に手元が狂ったりしない限りそれはあり得ないから安心して欲しい。
はやく来い、
夜羽に触れている時間が私にとって最大の幸福であり、それに勝るものがあるとすれば彼女に触られている時間くらいなものだった。つまり、私は彼女のことを愛しているわけである。意味が分からない? そういうものだ。
隙あらばちゅーとかしたいよね。
「ラグ」
「なに」
マルと喋っていたら、夜羽、我が愛しの御主人様の手がお腹へと伸びてきた。猫だったころみたいに撫でてくれるわけじゃなくて、贅肉をつまもうとしているのが指先の動きで分かる。だけど余分な肉は胸まわりに集中していて、つままれることなく表面をくすぐられる。普通にくすぐったかった。
「手が止まってるー」
「はいはい」
「もー、本当に忙しかったんだから」
「そうだね。お酒飲んだのも久しぶり?」
「かも」
ふぃー、と彼女が深く息を吐く。
ベッドに寝そべった彼女は放っておくとそのまま朽ち果ててしまいそうなほどに疲れ切っていた。ここ数日、仕事に遊びにと忙しかったようだ。道理で構ってくれなかったわけだ、と静かに頷いてみる。
寂しかった、とは言えない。
人間が暮らしていくために、お金は絶対に必要なのだ。
「あー、そこ、そこ気持ちいい」
「肩甲骨の下、好き?」
「どっちかというと、肝臓の裏かな」
分からない。人間としての知識を存分に吸収して、もはや猫として生きてきた時間よりも濃密な毎日を送っている私にも、まだ分からないことはあるのだ。カンゾーってなんだよ、忍者の名前かよ。
ふぅ。
高校の頃の友人とやらと遊び行ったのが、彼女の毎日を忙しくするきっかけになったようだった。ほぼ毎日のように誰かから誘われ、それを断り切れずについていく。仕事も、これまでよりちょっとだけ責任のある奴を任されるようになったとかで、気苦労も絶えないらしい。他にも仕事の量そのものが増えてしまって、サボる、もとい休む暇もないそうだ。
いわく百科事典並に分厚い原稿を校正していたとのことである。
「そういえばこの一週間、金城さんが来てないんだよね」
「ふーん」
「職場にさ、来てないのよ」
「そう」
「なんなん。心配じゃないん?」
「違うけど。金城って誰だっけと思って」
「えっ、知らない? 金城さんってのは――」
いや、知ってるけど。夜羽の口から、あまり好意を持てない男性の情報がつらつらと流れてくる。お酒を飲んで身体をほぐして貰って、上機嫌になっている心から澄んだ春風みたいに綺麗な感情が溢れ出している。
私はそれを、好きになれなかった。
「ラグちゃん」
「ん?」
「……なんでもないでーす」
マルは何を思ったのか、私の頬をつついてからかってきた。
いや、私が金城のことを好きになる必要はないし、そもそも心配する義理もないだろう。あの人は元ペットのワンコだった男と仲睦まじくしていればいいのだ。私達の領域に入ってこないで欲しい。
私が金城のことを好きになれないのは、彼が夜羽に好意を抱いている節があるからである。そして、彼女も金城のことを憎からず思っているのが、どうにも。
嫉妬か。
ヤキモチなのかな。
「それで、この前も……ってラグ?」
「ん。聞いてる」
「なんか怒ってらっしゃられない、だいじょーぶかね」
「校正してる人が変なコトバ使っちゃいけないでしょ」
「違うもん、本来の校正業務にそーいうのは含まれてません!」
そういうものか。
知らないけど。
でも、知ることは嫌いじゃない。例えそれが知りたくない情報だったとしても、対応策を考える時間や、苦しくても前に向き直るための時間が手に入るのだとしたら、私は色んなことを知りたい。
……だって。
好きな人を、奪われたくないやんね。
エセ関西弁を繰り出せるほどに日本語に精通した私でも、彼女の心を奪い去る魔法の言葉は分からないのであった。
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