第20話 やくそく。

 人間は約束を守らない。

 集合時間に遅刻することもあれば、借りていたお金を返さないこともある。

 ルール無用とばかりに我儘を通した翌日、規則を盾に自らの身を守ろうとする。

 それが人間だ。

 だからどうした、という話なのだけれど、高校時代からの友人がいつものように集合時間に遅れてやってきたものだから、人間っていうのはいつの時代も変わらないんだなぁと感心してしまった次第である。

 いや、感心するようなことじゃないんだけどね。

「いやー、スマン」

「また遅刻だよ」

「馴れたでしょ? ごめんネ」

「申し訳ないと微塵も思ってなさそうなところが逆にすごいな」

「やっはっは……あの、怒ってます?」

 そりゃ当然。

 この前遊んだ時だって、二度と遅刻しないからサ! 今回だけは許してくれないかな? などと嘯いていたのだから。まぁ、彼女の遅刻癖は今に始まったものじゃないし、高校時代も頻繁に授業やら何やらに滑り込めずアウトを喰らっていたのだから病気のひとつと考えた方が気も楽だろう。

 何より、久しぶりの再会は喜ばしいものにしたいのだから。

 彼女は私の友人、陽鹿島ひかじま仲子なかこである。私達が小学生の頃に流行り始め、現在も新作が作られているゲームのキャラクターをもじってピカちゃんと呼ばれていたこともある。仲子のに、チュウが入っていたからである。私は当時から仲子と呼んでいたのだけれど、彼女が他の人からピカチャンと呼ばれ続けていたせいで、本当に彼女の名前が仲子なのか不安になる瞬間というものが存在するのであった。

 馴れというのは、案外恐ろしいものである。

 さて、今日は彼女と遊んでからラグとマルが働いている姿を見に行く予定である。

 そこで思ったのだけれど、普通、女性と言うものは休日に何をして遊んでいるのだろう。私は休みになると日がな一日寝ていたり、ゲームをして遊ぶような準引きこもりだ。

 仲子に聞けばわかるだろうかと口を開きかけて。

 あー、うん。

「どったの夜羽」

「……仲子って、大学が休みの日は何してる?」

「ゲーム。ネットサーフィン。昼寝」

「だよね」

「おう! 家から出るのは精神力を使うからな!」

「一応聞きたいんだけど、今日はどこに行きたいとか決まってるのかな」

「ゲーセン! 」

 わははと豪快に笑った彼女に、本当に変わらないなぁと安堵を抱く。

 しかし、いいのか?

 二十歳を過ぎたうら若き乙女がゲーセンデートに勤しんでいいのか? 私、最近はアニメとか殆ど見なくなってしまったんだけど。うーん……。仲子がいれば楽しいのは間違いないだろうけれど、どうにも先行きが不安だ。

 誰かと一緒に何かをしようとしたとき、何をしているのかに関係なく楽しくなってしまうのは、その相手が考えたプランに対して失礼なんじゃないか。相手が気にしていなくても、些細なことを問題視するのが私という人間であった。

 先行き不安と言えば、もっと明確に不安なことがある。これも昨日今日始まったことではなくて、彼女と初めて、私服で出会ったときからの話なのだけれど。

「よっし、夜羽! いざゲーセンに行かん」

「うへぇぇ。仲子は元気すぎないかい」

「んなことないよ。胸に希望が詰まってない分、頭に元気が詰まっているのだ」

 自分の薄っぺらい胸元を自信満々に叩いて、彼女は駅の貸し出し自転車を受け取りに向かう。いや、私が着にしているのはそこじゃないんだよ。

 陽鹿島仲子の、最も弱点らしい弱点。

 それは、服装のセンスが独特過ぎることであった。

 基本、縞模様の服しか着ないけれど、それ自体は特別おかしなことではない。その配色が普通じゃないことに頭を悩ませているのである。蛍光色のピンク、スカイブルー、イエロー。それらが独特のバランスで配置された服を好んで身にまといたがる友人に、その服装を否定するわけではないけれど衆目を集めるのが若干とは言わず恥ずかしいので何か他の手立てはないものだろうかと考えているのであった。

 彼女は典型的なオタク、を数段マイルドにした感じの女の子である。だが、派手で目立つような服ばかりを着ていて、その視線を集めることに一切の注意を払っていないのであった。周囲の視線を気にして外だと静かになるラグとは正反対に、自宅から離れれば離れる程テンションが上がって行くのが仲子だった。

 解せぬ。

 そんな彼女が善良なる性格の持ち主で、私の高校時代一の友人であったと言うことが、なんだか重たい事実のようにも思えてくる。世間一般の常識を、もっと彼女に教え込むべきだったろうか。でも、服の好みなんて個人の自由の範疇だし……。

 ぐぬぬ。

「おーい、何を悩んでいるんだい。夜羽も自転車を取って来たまえ」

 にこやかに笑って親指を立ててくる。

 駅の駐輪場へふたりで向かって、そこから近場のゲームセンターへと遊びに向かうことにした。

 大学に入って髪をピンクに染めた彼女は、すれ違う大人達の視線を一堂に集めている。意外にも似合っているのだけれど、果たして男性にも人気なのだろうかと尋ねてみた。仲子はゆったりと首を横に振った。

「それなら、休みは彼氏と遊んでる」

「そっか」

「やー。大学だと私、妙な格好をした変人として扱われているんでネ」

「だよねー」

「ふふ、校則がなくなったからって、自由過ぎると誰もついてこないんだよネ……」

 私に同意を求められても困ってしまう。髪を染めてみたのはいいのだけれど、本人の気質も相まってライトノベルに出てくるヒロインのような人気ぶりは発揮されていないらしい。

 同じ染めるなら茶色の方が良かったのでは、と思わないこともないけれど、本人が気に入っている以上、それを指摘するは野暮というものである。

 自転車に乗って駅からほど近い場所にあるゲームセンターを訪れた私達は、早速、店内入り口に構えていたクレーンゲームに興じることになった。店員さんの好みという訳でもないのだろうが、仲子と昔からの因縁がある黄色いネズミがケースの中につるされていた。

 仲子はしみじみと呟いた。

「やー、昔はよく取ってたなぁ」

「ピカちゃんだもんね」

「ん。実は好きでも何でもなかったんだけどね。取って持って帰るたびに、愛着がわいたんだ」

「それは知らなかったな」

「へへっ。おかげで、部屋が狭くなっちゃったよ」

 今は取ってないのかと尋ねると、そもそもゲーセンに行く回数が減っているらしい。来ても音ゲーコーナーへまっしぐらだそうだ。確かに彼女の正確なら、ちまちまとクレーンを動かすよりも他のことをやっていたほうが楽しそうではある。

 だが、久しぶりと言うこともあるのだろうか。

 腕まくりをした仲子は、クレーンゲームをするつもり満々のようだった。

「よっし、やるかな」

「先輩、私にいいトコ見せてくださいよ」

「応とも。任せときなって」

 自信たっぷりにクレーンの操作を始めた彼女は、口元に余裕の笑みさえ浮かべている。

 細い指先で丁寧に操作したクレーンのツメが、茶色に染め分けられた尻尾に引っ掛けられた。しかし黄色いネズミが動くことはなく、無情にも、ツメは横滑りをした。「ま、このくらいよくあるでしょ」

 笑いながら、彼女は硬貨を投入口に放り込んだ。

 二度目の操作によって動かされたツメは、ネズミの胴体をガッチリと掴む。今回はするりと抜けられた。まだ二回目の挑戦だ、この程度のことは当時は日常茶飯事だったと、仲子は諦める素振りを見せない。

 硬貨を投入してボタンを押す。

 硬貨を投入してボタンを押す。

 硬貨を投入してボタンを押す。

 硬貨を…………。

 十回を過ぎたあたりで、私は仲子の肩を叩いた。

「およし、それ以上はいけないわ」

「やめろぉ! こいつはアタシの部屋に来たがっているんだ!」

「やめなって。ものすごく綺麗に店員の策略に嵌ってるよ」

「気のせいだって。もう一回、もう一回だけでいいから」

 ゲームセンターでは収支を度外視して、その過程を楽しむことが重要である。しかして時に、やむにやまれぬ事情によって、私達はその手を止めなくてはならないときがあるはずなのだ。

 たぶん、今がその時である。

 沼に嵌りつつある仲子を引き留めようと頑張っていると、背後から声を掛けられた。一体誰だろうと振り向くと、そこには見覚えがないというには無理がある男性が立っていた。

 金城さんだった。今日も一日読書に費やす予定なのか、手には数多の本が入ったビニール袋をぶら提げている。どうやら、ゲーセンの向かいにある本屋で購入してきたもののようだ。

「えっ、えっ。誰ですか」

「私の知り合い、というか、上司? みたいな」

 金城さんが私と一緒に働いている人だということをかいつまんで説明する。金城さんの方は、私の話よりも仲子の奇抜な髪型と派手な色合いの服装に気取られているようだった。

 説明を終えると、仲子は満足そうに頷いた。

「割とイケメンだな」

 割とってなんだよ。普通に格好いいだろ。

 仲子は初めて出会った男性に対しても一切の委縮をしないようで、金城さんにもクレーンゲームをやるように提案してきた。彼が成功したら諦めるし、成功しなくても、あと三回やったら今日はやめる。そういう約束でどうかと、彼に向き直った。

 金城さんは、困ったような顔をした。

「んー、俺は下手だからな」

「いいじゃん。一回くらいやって見せてよ、おにーさん」

 賭け事っぽいことが好きな仲子は、にっこにこの笑顔である。

 まぁ、一回ならいいか。私も手を合わせてお願いしてみる。

 彼は溜息混じりに笑いをこぼして、小さく頬を掻いた。

「取れなくてもゴメンな」

「大丈夫だって。その時は夜羽がアンタを慰める」

「アンタっていうけど、仲子より金城さんの方が年上だからね」

「いーのいーの。年功序列なんて今時流行んないよ」

 んーむ。まぁ、金城さんの方も文句を言ってこないのだから、別にいいということなのかもしれないなぁ。

 彼が操作した結果として、黄色いネズミの胴体にアームが伸びていった。先程まで仲子がしていたのと同じように、ネズミの胴体にツメが引っ掛かる。向きが少し違うくらいで、特に大きな差はない。これはダメかな、と思った次の瞬間である。

 引っ掛けられた人形はズレて、音もなく取り出し口へと落ちていった。

「…………ふむ」

 本人は、至って反応が薄いけれど。

「すごーい!」

「いや、たまたまだからな」

「金城さん、上手じゃないですか」

「偶然だって。恥ずかしいから褒めるの禁止な」

 いいじゃないですか、その偶然のおかげで誰かさんは数千円を保存出来たんですよ。自力で採れなかったことは悔しいかもしれないけど、でも、その数千円があればラーメン屋で餃子が食べ放題なんですよ。

 すごいすごいと金城さんを褒めて、その背中をパシパシと叩く。

 彼は一層恥ずかしそうにして、景品取り出し口に手を突っ込んだ。

「この人、実は店舗側の人間だったりしない?」

「は?」

「あまりに手付きが鮮やかすぎる。初めから落ちることが分かっているようだった」

「んなわけないでしょーが」

「むぐぐ……そうか、夜羽はこの男に骨抜きにされているんだナ」

 意味の分からないことを言い始めたので、ケツを叩いてゲームセンターの奥へと押し込めてしまうことにした。が、無駄に抵抗されて傍から見ればふたりしてじゃれ合っているようにしか見えない有様となった。

 仕方ない、金城さんに言い訳しておくか。

「この子、面倒なオタクなんです」

「そうか。まぁ、その、なんかスマンな」

 やっぱり苦労人らしい金城さんは、取ったはいいものの受け渡しが出来ずに困っていたらしいネズミを、そっと仲子の方へと差し出した。やっぱり、自分では必要としていないようだ。

 差し出された人形は、それでもしっかりと受け取る仲子であった。

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