第12話 映画トイ

 不肖、新堂夜羽。娘たちが働き始めたことで生まれた自由時間を使って、同僚の金城さんと映画を見に行くことになりました。

 この表現には多くの誤謬を犯すポイントがあるけれど、ほとんど似たようなものだし問題はないだろう。マルやラグは私の元ペットであり、しかし今は社会で働く一人の人間なのだ。つまり、実質子供みたいなものである。違うか。

 彼女達が働き始めてから一週間が経った。初日に「古本屋のバイトが喫茶店でのバイトになりました! あと、お客さんにチョコ貰いました!」とマルが報告してきたときは吃驚したけれど、案外どうにかなっているようだ。人見知りをするラグにも話を聞いてみたけれど、割と頑張って働いているらしい。

 あと、毎日のようにゆで卵も貰っているようだ。それを食べた後、栄養素は何処に行くんだろうなとラグの細い身体を眺めてみた。胸は人並み以上にあるけれど、腰回りや腕、それに脚まで細い。彼女の肢体の豊満さは脱いだ時が一番分かるタイプのそれで、ピッチリしたタンクトップやカッターシャツを着なければ分かるものではないのだ。冬場になって厚手のコートなんかを羽織るようになれば、むしろ細身の女性と認識されることだってあるだろう。

 くそぅ、私の贅肉を分けてあげたいくらいだ。太ってないんだけど、表面のお肉をかき集めれば余裕でつまむことが出来るのだ。グラビアモデルだってつまめるんだぞ、私にお肉がないわけないじゃないか。

 ふんすふんす。

 マルは相変わらず少女としか表現できない見た目で、家に居る時も普通に服を着てくれる。しかしラグは、働き始めたことで自身の類稀なるスタイルに対する羞恥心みたいなものがめばえてしまったのか、自宅にいるときは緩めの自堕落な服を好む女の子になってしまった。誰に似たんだろうなと、内側からの囁きに耳を塞がなくちゃいけないのが辛いところだ。

 ま、よかった。

 割と楽しそうに働いているし、一日あたりの給料も結構な額だ。

 彼女たちには稼ぐことの大変さと、それを使う楽しみを身に着けていってもらいたいものである。私みたいに「金の使いどころないな……とりあえずお酒買って、残りは貯金するか」ってことだけは避けた方がいい。

 楽しい時間は過ぎ去っていくものだ。

 やりたいことを見つけてしまったら、他のすべてを投げ出してでも進まなくちゃいけないのだ

 ふぅ。

 彼女達のことは置いといて、今は自分のことが気になっている。

「これ、ホントに似合ってるかなぁ」

 金城さんの方から誘ってくれたと言うこともあって、少しばかり気合を入れた服を着てみた。Tシャツにデニム、その上にワンピースである。流行に疎く、ファッションという言葉に耳慣れていない私には、このくらいのお洒落が限界なのであった。

 ぴったりしたシャツは胸が強調されるから好きじゃないし、ぶかぶかの、身体のラインが全く見えない服の方が好きなのだけれど。そういったデザインの服を着ているのは男性に多い印象だった。出勤していると、男子大学生なんかが似たような格好をしていることが多かった。

 散々悩んだ挙句、いつもの格好の上にワンピースを羽織ることで誤魔化している。折角だから髪型も変えようかとも思ったのだが、放っておくと内巻きになる髪は、そのほうが可愛いからと矯正を止められてしまった。その言葉を吐いたのはラグだったけれど、マルはともかく、彼女まで私のお出掛けを成功に導くような言葉を吐くのは意外だった。

 もっと、「あの男は怪しい。夜羽を狙っているに違いない」くらいの文言を向けてくるものだと思っていた。ひょっとするとこれは、金城さんが私のことを女性として全く意識していないことを彼女が無意識のうちに感じ取っているから、なのかもしれないのだけれど。

 それは、何というか。

 ちょっと悲しい。

「んむむむ……よし!」

 悩んでいても仕方がない。

 集合時間というものは、欠伸をしているだけでも近づいてくるものなのだ。駅のお手洗いで化粧直しをするお姉様方に怯えながら、全身鏡の前を通り過ぎるタイミングでチラリと確認をしてみる。

 うん、大丈夫だ。ふんわり清楚、ちゃんと成人した女性って感じの見た目をしている。水場で化粧品博覧会を開始している女性に睨まれながら手を洗って、乾燥機とハンカチを駆使して大急ぎで手を乾かした。

 いざ、時間である。

 待ち合わせ場所になっている金時計に向かうと、大勢の人混みに紛れて彼がいた。ジャストサイズの、真っ白なシャツを着ていた。普段のスーツ姿ばかりを思い浮かべてしまって真っ黒な印象しかなかったから、明るい印象の金城さんに少々面食らってしまった。背中に紅いトカゲの刺繍が施されていて、割と格好いいデザインをしているのだけれど、トカゲのシルエットがリアルすぎて怖い。

 あと、腕組みをしながら遠くを眺めている彼が、武闘派漫画の主人公みたいにも見えた。要約すると、普段の彼よりも、ちょっとだけ格好良く見えたのである。いや、別に、だからと言って彼のことが気になっているわけでは……。

 えぇい、まずは挨拶だ。

「金城さん。おはよーございます」

「おう、新堂」

 おはよう、と手を挙げた彼の表情が安堵から驚愕へと移り変わっていった。

 え、そんなに酷い格好だったかな。似合っていない、とか?

 不安になる私を他所に、金城さんはそっぽを向いてしまった。

「……いや、うん。行こうか」

「なんですか、最後まで言ってくださいよ」

「気にしないでくれ」

「そう言われると余計気になります。あ、逃げないでくださいよ」

 何事もなかったかのように映画館がある方へ歩き出した彼の前に立つ。

 彼は困ったような顔をしていたけれど、私があまりにしつこいから諦めたようだ。

 息を吐いて、鼻の頭を掻く。そして、小さな声で言った。

「……似合い過ぎてて、褒め言葉が見つかりそうもなかったんだ。

 行くぞ、と彼は歩き出してしまう。だけど私は、その場で根が生えたように動けなくなった。

 うっひょ〜〜〜、褒められちった!

 我が人生において、歳の近い男性に褒められた経験は少ないのだ。肩から提げている鞄を振り回したいくらいに嬉しいが、突拍子のない行動をとって不審者扱いされるのも敵わない。一人でくねくね喜んでいても金城さんは待ってくれそうになかった、というか後ろを振り向いてもくれない。

 てってこと走って追いつくと、彼のの服の裾をつかんだ。

 褒めてもらったのだ。

 私も、褒められるところは褒めておこう。それが、人間というものである。

「金城さん。金城さんも、いつもよりカッコイイですよ」

「………そうか」

「あれっ? 反応が薄い」

「言われ慣れてるからな」

 喉を鳴らすように笑う彼は、それでも嬉しそうだった。

 だったのだけれど、悔しい感じが残る。

 彼の周囲には意外と人が多いし、私が彼の傍に近づこうとしなければ割合女性社員からの人気も高いのである。普通に接していると忘れがちなことだけど、やっぱり彼を狙う女性は少なからず存在するようなのだ。

 どこらへんが人気なんだろう。やっぱり生真面目なところだろうか。たまに見せる笑顔にグッとくる人もいるのかもしれない。恋愛に疎い私にはどうにもよく掴めませんが。

 しこりのようなものが胸中に残っている感覚はあるけれど、今日は映画の日だ。前から楽しみにしていたものを見るために、彼を連れて駅にほど近い映画館へと向かった。

 映画館へ行くとスクリーンの入場までに結構な時間があり、金城さんはジンジャエールを買いに行った。好みを知るチャンスである。戻ってきた彼を捕まえて尋ねてみた。

「それ、好きなんですか?」

「あぁ。映画鑑賞にはジンジャエールこれが必要不可欠だからな」

「映画館で売っている飲み物って、結構薄い印象がありますけど」

「それがいいんだよ。映画館に来たって感じだ」

 話ながら、彼はニコニコしている。

 うーん、共有すれば私にも分かるだろうか。

「私も買った方が良かったりします?」

「人それぞれだろ。何か飲みたいものがあるなら、買っておいた方がいいぞ」

「んー、……特にないですねぇ」

 映画館の入り口で買うと高いし。雰囲気も含めての料金だと考えればそうでもないのだけれど、ま、私はいらないかな。こんな感じに楽しみ方が下手クソだから、趣味と呼べるものが少ないのかもしれないけど。

 お金っていうのは、結構大事なものなのだ。

 待合室のソファが、丁度二人分空いていたので横並びに座る。

 意外に狭くて、身体をひっつけないと座れなかった。

 ふぅむ。

「……」

「……」

 無言だ。

 普段よりもよく喋るなぁ、と眺めていた金城さんも口を閉ざしてしまった。かといって折角遊びに来たのにスマホを弄るのももったいなくて会話の糸口を探す。今日見る予定だった映画にも出演している俳優を別の映画のポスターに見つけて金城さんに教えてあげることにした。

「お気に入りなのか?」

「や、別に」

「そうか」

 そして、また沈黙の時間が訪れることになった。天使の通り道という奴か。腕時計を何度も確認したけれど、秒針の進む速度はカタツムリ以下だった。来てほしいけど実際目の前に迫ると困る、焦りと希望が入り混じってよく眠れなかった昨日の夜よりかなり遅い。

 あまりに暇で、静かな時間に耐えられなくなって、私は彼の腕に手を伸ばしてしまった。むにむにと。

 うん、ラグの癖が移ってしまったようだ。

「ど、どうしたんだ」

「お暇なので」

 口調はマルっぽいし。うー、ここにいるのは新堂夜羽様なのだぞ。

 ラグでもマルでもないのだ。

 他人の性格ペルソナを借りて誰かと相対するのは卑怯者のすることだろう。でも、なんだか気恥ずかしくなってしまって逃げ出したいのも事実で。な、何が恥ずかしいのか。恥ずかしいなら同僚の身体に触ろうとしなければいいじゃないか。

 でも、触ってみたいと思ったのも事実であって。

「妙に緊張するんだけど」

「き、金城さんでも緊張するんですか?」

「新堂はしないのか?」

「……はっはっはー」

 答えることはせずに、腕をムニムニし続ける。抵抗されない。マグロである。

 私の腕だとふにふにしていて柔らかいだの低反発枕だの言われるけれど、彼の腕は思ったより筋肉があって揉み応えがある。面白いものだなぁと思っていたら、揉み返されてしまった。

 くすぐったくて、背中をゾクゾクと何かが駆けあがってくる。

「な、なんて破廉恥なことを……!」

「数年ぶりに聞いたぞ、そんなセリフ」

 楽しそうに笑う金城さんが更に腕を伸ばしてきて、慌てて振り払う。彼は手に持ったジンジャエールを零さないようにしつつ、私に手を伸ばしてきていた。器用だ。多分、運動神経が私とはダンチなのだろう。

 いいなぁ。私も、もうちょっと運動神経がよくありたかった。

 遊んでいたら時間になったので向かう。今日の映画はアクションに分類されるものだったのだけど、実際に見てみるとカンフーの達人として名高い名優がダンスを踊っている謎の映画だった。雑に面白い。格好いいシーンの引き締めと面白ダンス集団になっているときのメリハリが気持ちよかった。

 映画の後にお昼ご飯を食べることして、金城さんに連れられて久しぶりにハンバーガーを食べた。ジャンクフードが好きという意外な事実が判明した。大食漢だから絶対に食べたりないだろうとは思ったけれど、量と味は切り離して加賀得るタイプの人らしい。

 ほへー、とニコニコしている彼を眺めていると彼は恥ずかしそうに笑った。

「なんだよ」

「めっちゃニコニコやん、って」

「あの映画が想像以上に面白かったから。思い出し笑いって奴だよ」

 へー、と安直な感想が漏れる。

 金城さんは、少し表情を曇らせた。

「ここで良かったのか? 俺ばかりが決めてしまって、なんだか申し訳なくて……」

「いいんですよ。意外な一面を見られましたし」

「意外な?」

「もっと、和食とかが似合うイメージだったので。映画も、もっと文芸チックなものばかりを見ている人かと思っていました」

 あー、と彼は遠くを見た。その視線の先には私が言外に指摘した生真面目さへのいいわけではなく、彼自身しか知らない過去があるようだった。

「諸事情あって、実家じゃ和食以外食べられなかったんだ。働き始めてからは、刺身や寿司以外じゃ魚を食べていない」

「うわ、豪勢だ」

「毎日食べてるわけじゃないよ。ただ、人より少し頻度が高いだけだ」

 微笑みを浮かべた彼の家庭環境が少し気になる。ただ、裕福ゆえの悩みという訳でもないように思った。

 私が何にも使えずに貯金している分を、趣味や食費に充てているに違いない。いや、仕事の量が違うのかな。こなせる量が増えると、歩合制にも変えられると契約書には書いてあった気がする。入社した頃の契約書なんて、もうほとんど覚えていないけれど。

 ご飯のあと、本屋を巡ることにした。

 大人のデートがこれでいいのか? そもそもデートなのか? 様々な疑問が泡沫のように浮かんでは消えていく。こんな場面こそ、あのセリフだな。考えるな、感じろという奴だ。

 無趣味人間に必要なのは、大好きなものに対して素直に愛していると言える人間なのだから。そう考えると、意外にもラグは私と好相性なのがもしれない。……うっ、抱きつかれた錯覚が。誰からも何もされていないのに、腰回りとか胸に圧迫感を覚えてしまった。

 駅ナカにある本屋だけじゃなく、ゲートタワービルや、駅周辺の聞いたこともない本屋をまわって本を見ることにした。小学生の頃に読んでいた作家が新しいシリーズを出していたり、読み切ることなく手を離してしまった作品に続刊が生まれていたりと、時代の流れを感じる品揃えだった。

 店舗によって品揃えが違っているのも、なんだか見ていて面白かった。

 そして本屋を巡る内に、金城さんが小説オタクだという事実が判明した。話は尽きない。私が適当に読み流していた本のこともよく知っていて、彼の話を聞いているうちに「また読んでみようかな」という気分にさせられてしまった。

 午後八時を過ぎあたりで、そろそろ帰ろうという話になった。帰り道が降りる駅まで一緒だから、まだ寂しい気分にはならないで済む。それと、今度は地元の駅に集合でもいいかもしれない。折角、住んでいる場所が近いのだから。

「今日はありがとうございました」

「いいよ。俺も楽しかったし」

「また遊びましょうね」

「あぁ。次は――」

 彼は何か言おうとしてやめた。えっ、えっ。

 気になるんですが。

「最後まで言ったらどうです?」

「やだよ、恥ずかしい」

「何を考えてたんですか、このむっつりすけべめ」

 文句を言いつつ彼の腕に触る。残暑の九月に、彼の腕はやや冷たかった。

 ひんやりしていて気持ちいいなと、指が彼の腕を這う。

「別に、変なことを考えていたわけじゃないんだけどな」

「本当ですか?」

「マジな話だ。嘘は吐かないよ」

 人前だというのに、彼は私の腕をぺたぺたと触ってきた。嫌な気分にはならない。

 むしろ、お互いに触れあっていると言う感覚が、私の心に麻酔薬みたいな作用をもたらしているようだった。触れて、触れられて、心の表面が浮き立つような瞬間を楽しむ。それがなんだか面白くて、私にとっては初めての経験で。 

 腕に回されていたはずの手は彼の手を掴んでいた。相手の目を見ることも出来ないまま、手のひらから伝わる熱だけが互いの鼓動を伝えている。

 帰るまで、ずっと彼と手を握っていた。

 喋らなくなって、他の乗客によって車内が狭く感じたなら距離を詰めて。

 周囲の視線は、不思議と気持ち良いものだった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る