第7話 猫でもカレーは食べられる

 素性不明な金髪のお兄さんと、どこか苛立った雰囲気の金城さんに連れられてバイパス沿いにあるカレー屋に足を運んでいた。全国規模で展開しているチェーン店で、昔住んでいた家の近くにも系列店があったことを覚えている。その店舗には、毎月のように通っていた。

 ここに引っ越してからは帰り道に反対車線の歩道から眺めているばかりだったけれど、久しぶりに入ってみれば黄色を基調とした華やかな内装に心が躍る。

 小さい頃はカレーもご馳走だった。

 母親と手を繋いで、こんな店を訪れることも楽しみの一つだった。

 それを今、思い出したのだ。

 店員に案内されるまま、店舗一番奥のテーブル席へと進む。本来なら四人掛けのテーブルだが、女性陣が一方に詰めて五人一緒に座らせてもらうことにした。右手側に通路があり、左手の窓から覗ける駐車場には多くの自動車が停まっていた。土日と比べれば人は少ないのだろうが、店員さん達は忙しそうに働いている。

 通路側にマル、窓際にラグが座って私を挟み込んでいた。正面にいるのは金城さんと、金髪のお兄さんだ。やや浅黒い肌が怖い印象を与えてくるし、浮かべる笑顔にも金城さんとは違うすごみがあった。

 注文を済ませると、金髪のお兄さんが口火を切った。

「自己紹介をしましょう。俺は堂本どうもとまさる、金城さんと一緒に暮らしてます。あ、フリーターやってるんで無職ニートとかじゃないっスよ」

 よろしく、とにこやかに笑いかけられた。

 剥き出しになった犬歯が店の照明の下でも白く映える。

「こちらこそ、よろしくお願いします」

 ぺこりと頭を下げたマルに釣られたように、私も深々と頭を下げた。

「私は新堂夜羽といいます。金城さんの同僚で、あ、名刺は持ってなくて」

「あぁ、そこまで丁寧にならなくてもいいっスよ」

「すいません。こっちがマル、こっちがラグ。えっと……」

「うん、事情があるんスね。分かりますとも」

 堂本と名乗った青年は何度も頷きながら腕を組む。その様子に対して不信感を剥き出しにしているラグは、彼に会ってからというものの一言も発していない。元はと言えばラグが好奇心に負けて覗きに行ったのが悪いんだぞと思いながら、私も愛想笑いで場を濁していた。

 なんだか、居心地がよくない。

 駐車場で言っていたことも含めて、詳細な説明を聞きたくて金城さんに顔を向ける。彼は眉をしかめると手元の水で唇を湿らせた。

「こいつは元飼い犬、ドーベルマンのマックスだ」

「本当にワンちゃんだったんですか?」

「あぁ。言っても信じて貰えないと思うけど」

「証拠になるもんがないっスからねぇ。はっは!」

 どう返事をすればいいのか迷って、両隣にいる美少女たちに視線を向ける。マルは私に意見を求められても困ると首を横に振り、ラグは机の下で私の太腿を擦り始めていた。うーん、ラグだけこの場から追い出してやろうかな。

 取り敢えず、話を繋ごう。

「彼が人間になったのはいつの話ですか」

「去年、実家に帰省した時だった。元は親父の趣味で飼ってて、妙に俺へ懐いてた奴なんだ。で、帰省初日に布団に入って、いつものように寝て起きたら隣に半裸の男がいたから死ぬ程驚いた」

「ていうか、殺されかけましたけどね。枕元にあった陶製の水差しで」

「あれは事故だ。仕方ない」

「そっすねー」

 平然と話しているけれど、それでいいのか。仕方ないで済ませる金城さんも割とひどい人なのではないか。私だってラグとの初めての出会いが自宅のベッドで、しかも彼女が素っ裸で私に抱き付いていたりしたらと考えると冷静な気分ではいられないけれど。

 ……でも、ラグやマルには相手を癒す不思議な力があるからなぁ。女の子特有のいい匂いもするし。ひょっとすると、玄関に突然現れるよりは滑らかで自然な関係性が構築できていたかもしれない。根拠はないけど。

「こいつが人間になってからの話をすると、だな」

「長くなるから寝ててもいいっスよ」

「おい、新堂が寝たら話す意味がないじゃないか」

「いーじゃないっスか。特筆するようなこともないでしょ?」

「いいから、マックスは黙ってろ」

「マックスじゃなくて勝なんですけどー?」

 面倒臭くなったのか、がっしょがっしょと彼の頭を撫でて黙らせると、金城さんはここ一年の話をした。

 突然飼い犬が人間になったことを、やはり最初の内は信じられなかったそうだ。しかし飼い犬でなければ知らないような事実や、他言したことのない秘密を彼が知っていたことを理由に、彼はこの奇妙な現実と向き合う覚悟が出来たらしい。家族には内緒で彼が住むアパートに堂本さんを引き込むと、それからは一緒に暮らしているそうだ。

 とは言え男同士の同棲が嬉しいものであるとは言い難いようで、初めこそ金城さんは現在居を構えているアパートから、いつかは彼を追い出せるようにと努力していたけれど、彼が働き始めて自分の分は自分で稼ぐと言い出してからは放置しているらしい。家賃が半分になっただけが幸運だと、半ば諦観したような声色で金城さんは呟いた。

 それと、堂本さん……くん? が働いている時間帯は深夜だそうだ。金城さんが高校を卒業してから半年ほど働いていたことのあるパチンコ店での清掃の他、パチンコ店に隣接している温泉の清掃も行っているみたいだ。月十万円! と胸を張っていたけれど、一人で暮らしていくには絶対に足りない額だなぁと日本の未来を憂いた。

 就職浪人しなくてよかったと、脚がちょっぴり震えている。

 堂本くんがバイト先での体験をいくつか喋り、それに対してマルが興味津々に質問をしていたら注文していたカレーが届いた。

「お待たせいたしました。ほうれん草カレーを注文のお客様は」

「あ、私です。チーズはマルで、夏野菜のは……」

 届いた人から順にスプーンを握って、カレーを突き崩していく。一番最後に届いた金城さんのポークカレーは標準の二倍に量が増やされた特別なものだった。それに対して何のリアクションもすることなく平然と食べ始めたあたり、金城さんは普段から大食いをしていたりするのだろうか。この前、一緒にオムライスを食べたときには気付かなかったな。

 うん。人間っていう奴は、私が思っている以上に複雑で情報量が多いものだった。

 ふと右隣に目を向ければ、マルは美味しそうにチーズカレーを食べている。癒しオーラが出ていた。ラグの方も、それほど表情に変化はないけれど夏野菜カレーを楽しんでいるようだ。この二人、やっぱり犬や猫だった頃に食べられなかったものが、人間になった後は食べられるようになっているらしい。どういう仕組みなんだろう。

 それはさておき。

「私から堂本さんに聞きたいことがあるんだけど」

「堂本君、でいいっスよ」

「ありがと。えっと、堂本君はどうやって働き始めたの? 仕事を見つけたところで、住民票とかないでしょ」

 だから働けないはずなのに。

 彼はにこやかに笑うと、スプーンをかざして見せた。

「いや、ありました。貰えましたとも」

「そうなの?」

「マックス、あれは違うだろ。なんというか……催眠術みたいな……」

 げぇっ、犯罪行為か。

 感心して頷いてみたものの、金城さんの一言で色々台無しになったぞ。 

 堂本君は慌てて手を横に降ると体を前に乗り出してきた。

「俺は何もしてないんスよ?  住民票の確認したら、兄貴と同じ部屋に暮らしてる二十歳の男って扱いになってたんスから」

「それ本当なの?」

「そっスよ。それで名前の確認をしたら、その場で名乗った堂本が本名になったんス」

 にわかには信じがたい話だ。私が疑っていることが言外に伝わってしまったのか、彼は頬を膨らませた。でもまぁ、それならそれでありがたい話ではある。私達にとって好都合と言うか、これ以上いい塩梅の話を探そうとしても見つからないと言うか。

 こう言ってもいい。

 チャンスだ。

「私達も住民票取りに行こうぜぃ! 明日でもいいよ!」

「働きたくないんだけど」

「だめ。生活がパンクしちゃうじゃない」

「働くって……何をすればいいんですか?」

「んー、マルは年齢確認が先かなー」

 中学生にしか見えないんだもの。どういった基準で元犬や猫だった彼女達の年齢が算出されるかは知らないけれど、これで二十歳を過ぎていたら詐欺もいいところだ。私が男だったら二秒で結婚を申し込むだろう。

 それにしたって、働く場所を決めなくちゃならない。

 これも結構な難関だ。私の大事な家族を中途半端なところに送り込みたくはない。中途半端と言うのは、調理場で床に落とした食材を何事もなかったかのように客へ提供するような飲食店や、ビニールで封をした新刊を雑に投げて積み上げる書店みたいな奴のことを言う。

 うん、人としてのマナーとか、最低限度守るべきことをしっかりと定めているところに彼女達を送り込んであげよう! しかし、どの店がいい雰囲気なのかは、お客さんの立場じゃ分からないからなぁ。

 ぐぬぬ。

 半分になったカレーを前に唸っていると、金城さんが口を開いた。

「俺の親戚で、古本屋してる爺さんがいて。近所の大学生とかが結構くるけど、仕事自体は丁寧に教えてくれる人だと思うし」

「ごくり」

「夫婦で経営しているんだけど、腰がもうダメらしくて。手伝う気はないか?」

「行かせていただきます……働かせてください!」

「ちょっと、まだ私達は働くと決めたわけじゃ」

「ラグちゃん。世の中には、頑張らなくちゃいけないこともあると思うんです」

 うっ、右隣から放たれる純真な一言が左隣にいる内弁慶の心に突き刺さった音がしたぞ。大丈夫だろうか、再起不能になったりしないよね、と不安になりつつも金城さんとの話を進めてしまうことにした。

 見知らぬ人のところで働くより、知った相手の関係者と働くほうがいい。何かしらトラブルが起きたなら、身を呈して彼女達を守らねばならないからだ。

 千載一遇のチャンスを逃すわけにも行かないしね。

「それ、住民票がなくてもいけますかね」

「ダメだ。……今後の役にも立つからとっとけ」

「えー」

 流石に存在しないものを手に入れるのは無理じゃないですかね。

 無を取得するだなんて、現実社会じゃ出来るはずもないんだし。

 よっし。

 堂本さんの言葉を信じて、住民票を取りに行くか。明日は、私もお休みだし!

 それから、他愛もないお喋りをしているうちにカレーはどんどん減っていった。量を少なくしていたはずなのに、蓋を開ければ一番遅くまで食べていたのはマルだった。一口が小さいのも影響しているようだ。

 いいなぁ。子供って感じだ。このまま擦れずに育って欲しい。

 ビバ、温室育ち。

「ごちそうさまでした」

 キラキラ笑顔で食後の挨拶までしたものだから、彼女の心が眩しくて泣きそうだ。

 ふぅ。

 特にこれからすることもなかったので、このまま解散という流れになった。財布も体も軽い! それでも心はポカポカしていて、夏場じゃ暑いくらいだった。家に帰ったら何をしようかなぁ。夜に洗濯機を回すのは気が引けるけれど、明日市役所まで出向くことを考えたら今晩中に衣類一式を洗っておいた方がいいし。

 あと、部屋の掃除も最近サボり気味だったからやらねばならない。

 うーん、意外に忙しいぞ。

 自転車を引く役割をラグに任せてしまったから、荷物も軽くなった。

 三歩ほど彼女達に遅れたところで、後ろから声が聞こえた。

「おーい、新堂さーん」

 店を出て、方角が違うからと別れたはずの堂本君が一人で駆け戻ってきた。割と速い駆け足だったのに、呼吸ひとつ乱れていない。ふぇ、と運動が苦手な私は素直に感嘆することにした。

「どうしたんですか」

「いや、言っておかなくちゃならないと思って」

 服もカレーの匂いがする、と遠くではしゃぐラグ達の声が聞こえる。洗濯大変そうだな、と考えていると、彼の整った顔が私に触れそうなほど近くに来た。

 でも、金城さんほど格好良くないな。などと失礼なことを考えた。

「俺の兄貴に手を出すなよ」

「……えっ、何ですか急に」

「とぼけてもな、俺には分かるんだ。兄貴のことが好きなんだろ」

「別に、そういうことはないです」

「嘘を吐かないでくださいよ。俺、真剣なんスよ」

 いや、だから、本当に。

 そりゃ、ちょっとは気になりますよ? 私だって年頃の女の子ですもの。

 だけど好きか嫌いかで言えば。あ、好きだな。でも彼女になりたいとか、そういう意味ではない。きっと、多分そうじゃない。だから堂本君が言葉に含ませ、目に孕ませている感情は持っていないのだと言うことにしておいてほしい。

 なんでだ、妙に恥ずかしくなってきたぞ?

「……いいか、拐かさないでくれよ」

「しませんよ」

「じゃ、兄貴からの告白を断れるか?」

「は?」

「兄貴、アンタのことが好きみたいでさ。もしかするかもしれないんだ」

 告白? 小中高と恋愛沙汰に縁がなかった私に?

 ははーん、ドーベルマンジョークだな。

「されてもいない告白には、返事のしようがないじゃないですか」

 告白されたところで、お前答えられないだろ! と脳内でもう一人の私がジタバタしている。妙な話を聞いてしまったせいか、妙ちくりんな妄想が私の脳内で繰り広げられているようだ。ドーベルマンジョークって何だよ。今更だけど。

 頑張って動揺を表に出さないようにしていたら、堂本君がふっと溜息を吐いた。

 肩を落とした彼の表情からは切羽詰ったような緊張感が抜けて、穏やかな表情になった。カレー屋や、駐車場で見せた笑みよりも柔らかいようにも思えた。

「それじゃ、また次があれば」

「はい。その時は、また」

 去って行く堂本くんの背中を目で追いながら、何かが心に引っ掛かる。男同士の友情に疎い私は、彼が金城さんへ向ける好意に既視感を覚えるのである。もう少し、喉仏に引っ掛かった魚の骨があと少しで抜けるような、そんな感触が――。

「夜羽? どーしたのー」

 遠くからラグの声が聞こえて来て、あぁ、なるほどと思い出した。

 堂本勝は、ラグに似ているのだ。

 彼女が私に向けてきた好意を、第三者視点で眺めているような感じなのだ。

 それが高校時代の友人が大好物にしていた男性同士の恋愛感情ボーイズラブだということに気付いてからは、なるほどアレは男版ラグみたいなものか、と素直に納得して頷くのであった。

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