第3話 私の家族、だったもの

 社会人になってからは、高校生だった頃よりも感傷に浸る機会が多くなった。季節の変わり目に訪れる倦怠感も年々強くなっているし、これが加齢と言うものか。末恐ろしいなぁ。

 夏が終わって秋に変われば昂揚していた気分も落ち着いて、視線が足元の落葉を追いかけるようになる。秋が冬に飲み込まれれば、死んだように眠る世界と七色に輝く夜の街の対比が、胸焼けを起こすほど複雑な感情を落とし込んでくる。そして芽吹いた春の鼓動に愛を感じながら、緩やかで温かな涙を流すのであった。

 同じ季節の中でも、それまで知らなかったことを知った瞬間は、得も言われぬ浮遊感と落胆を感じることがある。夏場でも夜は蝉が鳴いていないという事実を知ったのは今日が初めてだった。男性と手を繋いで帰ったのも、今日が人生初だったのだ。

 そしてもうひとつ、生まれて初めての経験をしている。

 我が家に見ず知らずの美少女が二人もいて、なぜか追い出せないまま同じ部屋でくつろいでいるのであった。いや、ダメでしょ。新聞やニュースでも報道されたことがないような事実を目の前に、私が取るべき行動とは一体何だろうか。皆目見当がつかないから誰か教えて欲しい。

 あと、今後の指針とか、どこに通報すべきかも分からない。助けてお母さん。

「ご主人? 聞いてますか」

「……えぇ、はい、勿論ですとも」

 私を聞き慣れない名前で呼ぶのは、先ほど玄関先にいた黒髪の少女である。

 彼女は幽霊などではなく、実際に触れて確かめることが出来る人間のようだった。

 その肌はすべすべしていて、日焼けなどしたことがないと言わんばかりの白さだった。見た目年齢十八歳くらいにも関わらず大人の気品みたいなものが全身から漂っていて、今年でようやく二十一歳になろうという私も、彼女から放たれる美人オーラの前にはお婆ちゃんになってしまいそうだった。

 さて、この超絶美少女は玄関先で固まっていた私に素早く密着すると、金城さんを部屋から巧みに締め出そうとした。すんでのところで扉に手を差し込んで妨害した金城さんの努力と、ご主人様扱いされている私からの命令があってようやく彼女は彼を家にあげることに同意して。

 現在は私を抱き枕にするがごとく抱き締めた状態でベットの上に寝転がっていた。

 そう、ベッドの上にいる。

 私は、謎の美少女と同じベッドの上にいるのだ。

 薄い肌着みたいなワンピースを一枚着ている他は何も身に着けていなかったらしく、押し付けてくるものは私よりも大きいみたいだった。くぅう、女の子同士だと言うのに変な緊張感と敗北感があるのはなぜだろう。

 あと、妙なところをくすぐってくるのはやめて欲しい。……金城さんが帰ったら、青少年の育成に害がある行為を平然と仕掛けてきそうだ。今晩だけでも、どうにか彼を引き留めないと私の貞操が危ないかもしれない。

「しゅじん。私はおなかがすきました……。ご飯が早く食べたいです」

 枕元から聞こえてきた子供っぽい声の主へと視線を向ける。短髪の、ふんわりした雰囲気を持つ女の子が、私にいじらしい瞳を向けて来ていた。前の少女とはまた違う印象の、とてつもなく愛らしい少女である。正直な話、この子なら唐突に抱き付かれても許せるだろう。頭を撫でたり頬にキスをしたり全身全霊で甘やかしたくなるような、他人の保護欲をそそる天性の妹属性を持っていると見た。

 いや、だからと言って不法侵入者であることには変わりないのだけれど。

「ご飯、って言われても困るんだけどな」

「でもでも、しゅじん。もう、ご飯の時間過ぎてるよ?」

「んー、ホラ。買い置きの野菜とかも、あんま残ってないし」

「少しならあるのですね? 食べたいです!」

「はぁ。いや、でもコレのせいで動けないし」

 抱き付いたまま動こうとしない黒髪の少女を小突いて、茶髪の女の子には色々と諦めて貰うことにした。中学一年生くらいの風貌だからか、彼女の落ち込んだ表情は妙に私の胸に刺さって来るけれど、それはそれ。これはこれ。見知らぬ他人を甘やかせるほど私の生活が裕福なわけではないのであった。

 あと、この子も薄着だった。肌着と薄茶色のショートパンツの他は、何も身に着けていない。華奢な体格も相まって外に出しちゃいけないものが見えてしまいそうだった。夏場になると薄着が流行るのか? 最近の若い子がしていることは、私には全然わかりませんの。

 金城さんは何をしているのだろうと首を回すと、窓際で外を眺めていた。

 うーん、現実逃避中かな?

「金城さん、何とかしてくださいよー」

「そんなこと言われてもな。同僚が女子高生と中学生をかどわかして、あまつさえ『御主人様』と呼ばせているなんてのはキツすぎるだろ」

「ちっ、違います。それは完璧に誤解です」

「誤解は誤解でも間違いじゃないでしょ。ご主人は色々諦めて私と寝よ?」

「いや、だからそうじゃなくて。あと怖いからパスで」

 擦り寄ってきた黒髪の少女は舌打ちをすると、服の下に手を入れようとしてきた。

 流石の私もこれには耐えられない。悲鳴を上げて彼女を振り払うと、すぐそばに居た茶髪の子を盾にすることにした。一種の人質作戦というか、怪しい奴に変な奴をぶつけたら相殺しないか、という考えである。

 残念なことに、対消滅はしないようだった。

「なんなのよ、いい加減にして欲しいんだけど」

「ご主人だって、いつも私を可愛がってくれるじゃないか」

「そんなことした覚えないから」

「ハハハご冗談を」

 にこやかに笑う黒髪少女は、鼻息も荒く私を見据えている。必死に横ステップで逃げ回っていたら、金城さんはベランダに出て行ってしまった。まずい。これ以上金城さんに誤解を植え付けるわけにはいかない。明日の生活、というか社会に顔向けできるかどうかが掛かっている。

 嫌だよ、鍵と看守付きの檻から朝陽を拝む生活なんてしたくないよ。

 タイミングを見計らってベランダへ飛び出すと、急いで扉を閉めてガラスに張り付いた。彼女達も追いかけてくると思っての行動だったのだけれど、流石に外へ出るような真似はしないらしい。狭いベランダで暴れて、万が一落ちたら危ないことを知っているのか。それとも他に逃げ場がないだろうと安心しているのか。

 震えながらベランダの手すりに寄りかかると、ガラスの向こう側にいる少女達の声が遠い世界のものみたいに聞こえなくなった。

「怖い……美少女怖い……」

 深呼吸をして冷静になって周囲に意識を張ってみると、普段からこまめな掃除をしていないせいか、埃だらけなのがすぐに分かってしまう。あぁ恥ずかしい、初めてこの部屋にあげた男性に恰好をつけることも出来やしないのか。部屋着にもなってないし、スーツ姿で自宅のベランダにいるだなんて。

 まず、言い訳くらいしておかなくては。

「あの、あのですね。今日送ってもらったことには感謝してますし、なんか、ちょっといい雰囲気になったかな、とは思うんですよ。でも、ホント、これに関しては」

 思いつく限りの言い訳を並べていると、口元に人差し指を当てられた。私が黙ったことを確認すると、彼は落ち着いた声で喋り始めた。

「……ここ、禁煙じゃないよな」

「そう、ですけど」

「煙草、吸っていいか」

「あっ、はい。でも、灰皿とか、私持ってないんですけど」

「携帯用のがある。自分の奴が」

 金城さんは胸ポケットから箱を取り出すと、一本の煙草を咥えて火をつけた。白い煙がもくもくと上がり、夏の夜空に吸い込まれていく。慌てたせいでぶつ切りになっていた私の時間が、金城さんの手によって丁寧につなぎ合わされて、一本の線になっていくような、不思議な感覚に包まれた。

 私は煙草を吸ったことがない。そして、金城さんが煙草を吸う人だと言うことも、今日初めて知った。今日は初めてのことばかりだ。

 月を見上げる彼の横顔に視線が吸い寄せられる。だから唐突に質問を振られても、ちゃんと答えることが出来た。

「新堂、お前今年で入社何年目だっけ」

「えっ? えーっと、三年目ですが」

「まだ三年か。結構、長いこと働いている気がしたんだけどなぁ」

 彼は何やら感慨深そうに溜息を吐いた。私の部屋にあがってからというもの、彼の視点は一点にとどまっていなかった。私が少女にセクハラされていたときも、別の何かに焦点を合わせているみたいだったし。かといって少女達を不躾に眺めまわしていたわけでもない。まだ片付けてなかった洗濯物や、謎の美少女二人組が散らかしたのだろう小説や雑誌が散乱する室内にすら興味を抱いていなかった。

 そう、言うなれば心ここにあらずと言った感じなのだ。

「金城さん?」

「……新堂は、小説を読むかい」

「それなりには。というか、仕事で散々読んでますけど」

「そうだよな。それじゃ聞くが、好きなジャンルはあるか。俺は日常ものに擬態したファンタジーが好きだ」

「強いて言えばラブロマンスですけど。その、えっと?」

 何が言いたいのか分からない。

 どうして急に小説の話をし始めたのだろう。

 もしかすると、本格的な現実逃避を始めたのだろうか。

 ああああ、私に続いて先輩までバカになってしまうの? それはダメだ、断固阻止しなくちゃいけない。

「俺は似たような光景を以前にも……新堂?」

「はい大丈夫です。ちゃんと話は聞いてますよ? だからしっかりしてくださいね!」

「新堂よりは、しゃんとしているつもりなんだが……」

 金城さんは首を傾げると、短くなった煙草の火を消した。

 蛍の光が消えるみたいで、ちょっとだけ風流だった。

「お前の飼っていたペット、何がいたっけ」

「猫のラグドールと、犬のマルチーズですけど」

「今日は、そいつらの姿を見てないな」

「……そういえば、確かに」

 あの二人組がどこかへ連れ出してしまったとか? でも、それにメリットはないだろう。どうしてもペットが欲しかった、にしては乱暴すぎるし。ここに残っている意味がない。

 金城さんは喋り続ける。

「あの二人組は、新堂のことをよく知っているようだった」

「でも私は知りませんよ。親戚どころか、友達の姉妹でも見たことないです」

「そうか。それなのに彼女たちは、随分と君のことを慕っていたな」

「私は何も分からないんですって」

「ご主人様扱いされている理由も?」

 溜め息を吐くと、金城さんは窓ガラスの前に立った。その向こうでは部屋の中央で仁王立ちしている黒髪の少女と、部屋の隅っこで体育座りをする茶髪の少女が何やらお喋りをしていた。彼女達を顎で指し示しながら、金城さんは言った。

「新堂。あの子達から一度でも名前を聞いたか?」

「まだですけど。それがどうしたんですか」

「正体の分からない相手なら、聞いてみればいいじゃないか」

 そういうものだろう? と彼はにこやかに笑うと、窓ガラスを開けた。振り返った黒髪の少女が、今にも噛みつかんばかりの表情かおを見せても彼は一歩も退く様子がない。

 そして、堂々と目的の文言を告げた。

「俺は金城孝也だ。君達の名前を教えてくれ」

「は? どうしてオメーなんかに教えなくちゃいけないんですか。ご主人を狙う不届き者め」

「私からのお願いなら、聞いてくれたりする……よね?」

 セクハラ少女だし。下手に出ればチョロそうだ。

 金城さんの背後から黒髪の少女に尋ねてみると、彼女は世紀の大怪盗もかくやの百面相を披露しながらも、渋々名乗ってくれた。

「私ですよ私。ラグです」

「……? それじゃ、そっちの茶髪の子は」

「わたし? マルですよー。しゅじん」

 にっこりと微笑みかけられて、ふむふむと首を傾げる。

 そのまま首を傾げてしまった。聞き覚えがあるというか、すごく馴染みのある名前だ。おかしいなー?

 なぜか何度も頷いている金城さんは、自分よりも背の惹く少女達を見下ろしながら「やっぱりね」と呟いた。黒い髪の少女が彼を威嚇するために指を立てている他は、目立った動きがみられない。マルと名乗った女の子が空腹に耐えかねたのか、私のベッドのシーツを齧り始めたくらいだ。

 ふむ。

 えっと、つまり?

「新堂、答えは目の前にあるんだけど。分かったか?」

「いいえ全く」

「そうか――それで君達、何者なんだい」

 意味が分からなくて固まっている私を見兼ねたのか、金城さんがもうひとつの質問を投げかけた。少女達も顔を見合わせると彼ではなく、私の方を向いて、確かにこう言ったのだった。

「ねこです。やしなってください」

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