第2話 未知の島
持ってきたスープをルージアが食べている間に、ディルは色々と質問をした。
「おまえはどこから来たんだ?」
「
「は?」
聞き覚えのない名称に、ディルは困惑する。大陸周辺の海にある島なら把握しているはずなのに、思い当たらない……よほど遠い島なのだろうか。
ボートで来たのに?
「ネリアは、
「なんだ、名前の違いか……。なら多分、レジィ島だろう」
ディルはそう答える。
(『未知の島』の住人か)
船の接近を阻む岩礁のせいで、大陸からレジィ島へ行くのは難しい。人が住んでいることは知られていたが、交流はなく、だからここでは未知の島と呼ばれている。
ディルは知っている限りの情報を頭に浮かべてみた。岩礁の群れ、魔の海域。森に覆われていて。そういえば純血種の島だと聞いたことがあるような気がする。あとは……竜が棲み着いているとか、海賊のお宝があるとか。
突飛な話ばかりだ。当てにはならない。
「じゃあ、その子とおまえの関係は?」
「ネリアは妹だ」
「妹?」
ディルは思わず、眠っている少女と少年を見比べる。
そう言われれば、たしかに顔立ちは似ている……気がする。けれど髪の色がまったく違うから、そもそも同じ人種に見えない。
瞳の色も、たぶん違うだろう。少女のそれはまだ分からないが、少年の瞳は青だった。海の色にも似た鮮やかな深い青。
金髪碧眼は大陸にもいるが、ここまで深い青の瞳は、ディルはやはり見たことがない。
「……似てないな。いや、似てはいるけど」
「両親が別の民族だったから。オレたちもそのせいで」
答えるルージアはどこか苦い表情をしていた。
「私はよく知らないんだが、あの島にはおまえたちみたいな純血種が大勢いるのか?」
「純血?」
「いやまあ、珍しい見た目の奴らがってことなんだが」
「珍しいのかは分からない。住んでいるのは、ルルーク族とフェリア族だ。他にも少しはいるかもしれない」
少年の答えはよどみないが、何故かやや沈んだ口調にも聞こえた。
「大陸には、どういう民族がいるんだ?」
逆に問われて、ディルは少し考える。
「たしか……。大雑把に分けて、中央民族と北方民族と南方民族と、あとはいくつもの少数民族だな。結構混血が進んでるから、どの民族だか分からない奴のが多いけど」
「……混血?」
少年はまた、ひどく戸惑ったような顔をする。
変なところでよく戸惑う奴だなとディルは思った。
「じゃあ、大陸では……違う民族同士が争ったりは?」
「この大陸には民族にこだわる奴は少ないな。隣だと、黒色人種と白色人種で仲悪いとか聞くけど」
「……へえ」
そう呟いて、少年は黙り込んでしまう。
そのままなかなか口を開かないので、再びディルが話しかけようとした時。
「ん……」
ふと、それまで眠っていた少女が身動きした。
「ネリア?」
ルージアがその顔をのぞき込む。
少女はぼんやりと目を開き、少年を見上げた。不確かな口調で呼びかける。
「お兄ちゃん……?」
「大丈夫か?」
「うん……。ここ、どこ?」
少女は視線を動かす。
ディルの姿をとらえ、びくっと身をすくめた。
「だ……だあれ……?」
「心配ない。この人は敵じゃないから」
ルージアが言うと、少女は兄を見上げてためらいがちに小さく頷いた。
それからゆっくりと体を起こし、ディルを見上げる。茶色の瞳はまだ怯えた表情をしていた。
「はい」
その少女に、ディルはスープを差しだした。
ネリアはぎこちなく首を振る。
「……いらない……」
「要らないって、何か食わないと死ぬぞ?」
怯えきった態度に少々の苛立ちを覚えながら、ディルはそう言った。
けれど彼女は受け取ろうとしない。
「いい……。ほしくない」
「要らなくても食え。死にたくなかったらな」
ディルはむりやり少女の手を取り、スープの皿を持たせようとする。
「――や……。やだっ!」
パシッ
少女が強くディルの手を払いのけた。皿が落ちる。中身がこぼれて布団に吸い込まれていく。
「何す……」
怒鳴りかけて、ディルはかろうじて思いとどまった。
少女は震えていた。怯えきって、兄にしがみついて。視線はディルではなく、ひっくり返った皿を見ている。
「ネリア?」
ルージアも困惑した様子で声をかける。
「どうした?」
「……おかあさんが……」
震える声でネリアが呟いたのは、思いがけない言葉だった。
「母さん?」
「……ああいうの、来たの、捕まってて……。飲んだら、おかあさんが……う、ごかなく……なって……」
ぎゅっと目を閉じて、ネリアはますます強く兄にしがみついた。小さく、しゃくりあげる。泣きだしこそしなかったものの。
「……なんだって?」
掠れた声でルージアが呟いた。
愕然と、妹を見つめて。ふいに顔を歪めて俯いた。まるで目を逸らすように。
嘘だろ、と呟く。聞き取れないくらいの微かな声だった。
(母親が、スープを飲んで……死んだ、てことか?)
ディルはとぎれとぎれのネリアの言葉からそう推測する。何が何だか、事情はよく分からないが。
もしそうだとしたら、スープを出したのは確かに失敗だった。麦粥でも作ってこようかと、ディルは椅子を立ちかける。
「ネリア」
ルージアが呼びかけた。静かな、……少し不自然なくらいに静かな声。
その目は妹を見ていなかった。俯いたままで。
「大丈夫だよ。オレも食べたけど、死んでない」
ネリアが兄を見上げる。ルージアはようやく少しだけ目を合わせて、それから食べかけだったスープの皿をネリアに渡した。
「ほら、食べろよ。大丈夫だから」
「………」
ネリアは素直に受け取って、兄の顔を見上げた。
それから、小さく頷いてスプーンを握った。
* *
ディルの家には小さいながらも書庫があり、そこには世界各地の地図や、海図、珍しい植物や動物を記した図鑑などが収められている。
ほとんどは亡き父の収集したもので、
「……確か……このへんに」
それらの書物を収めた棚の間に、ディルは頭を突っ込んでいた。
日が沈んで、時刻はすでに真夜中。
自室をそのままネリアに、居間のソファをルージアに提供して、ディル自身は今夜はここで寝ることにしていた。理由は単に、ここが比較的片付いていたからだ。
この家には余っている部屋はいくつかあるのだが、物置状態で足の踏み場もなかったりする。明日になったら船員たちに手伝ってもらって、マシな空き室を掃除しようか、とディルは考える。
父や母の使っていた家具や持ち物も、まだどこかに放り込まれているはずだった。努力次第では客人たちの為にまともな部屋をふたつ、用意できるだろう。
「あったあった。これだ」
みの虫のように毛布にくるまって、変色しボロボロになりかけた冊子を、ディルは棚の奥から引っ張り出す。
航海日誌だ。
先代『暁の竜』号船長だった父がつけていたもの。航海中の様々な記録だけでなく、彼が独自に調べたり見聞きをしたあらゆる物事について書いてある。
人に読ませる目的ではないからだろう、ただでさえ癖のある文字は崩れて、読みづらいことこの上ない。けれどディルは慣れていたから、ランプの明かりを頼りにぱらぱらとめくっていく。
「……あった」
やがてディルは手を止めた。
海に浮かぶ幾つかの島を描いた挿絵が、まず目を引いた。大きいのがレジィ島、周りに散らばる小さな島々は無人島だ。船乗りたちの間で知られている、標準的な『魔の海域』のイメージ図。海の端にドラゴンが描かれているのは父の洒落だろうか。
その下には殴り書きの父の字で、びっしりと書き込みがされていた。生前の父はある時期、かなり熱心にレジィ島のことを調べていたらしい。
フェリアという文字は、すぐ目に入った。意外にも彼らは二百年ほど前まで大陸にいて、一枚の帆をもつ小舟を操り、交易を担う海の民として活躍していたという。しかし独自の文化信仰を持つ彼らは陸の住民たちに迫害され、やがて海の向こうへと立ち去った。一説によると、レジィ島にはその末裔が今も棲み着いているという――。父の日誌にはそんな書き方がしてあった。
他に幾つか、難破してかの島に辿り着いたという人々の証言が載っていた。森の中で巨大なドラゴンに遭遇したとか、伝説の海賊の難破船が眠っているのを見たとか。わりと馬鹿げた内容だ。ディルは読み飛ばしていく。
ルルーク族という言葉は見あたらなかった。それらしい表現がひとつだけ、数十年前の探検家の証言を書き写した部分の中に見つかった。
森の中から現れた、北方に縁があると思われる民。
彼らは銃を持ち、一夜のうちに農場を荒らして去って行った……。
「……は?」
これまでのファンタジックな証言とは一線を画する内容に、ディルは思わず眉根を寄せる。つまり農作物の略奪ということだろうけれど、それにしてもいきなり銃だなんて、たちの悪い盗賊のようだ。
困惑したまま読み進めた視線が、やがてある文字に止まる。
怯えきった少女の瞳が、ふと脳裏を過ぎった。
「……戦争……」
ジジッ、とランプの芯に炎がはねた。
古ぼけた日誌を灯りにかざし、改めてゆっくりと、ディルは綴られた文字を読み返す。
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