第四章 アリアドネの暗号(20)

「史郎君のヒントカード、何だったの?」

 合言葉係を探すヒントが書かれたカードは、スタンプを集めるともらえる。遥の場合は『袴・紫のリボン』だ。

「編み物メガネ」

 史郎はぶっきらぼうに答えた。

「それで、この籠持たされて、一日カフェで編み物やってろ、って浜崎さんに言われた」

 笑ってはいけないと思いつつ、遥は吹き出してしまう。

 どう考えても美咲の陰謀だろう。明らかに最初から史郎を合言葉係に想定している。遥もそうなんだろう。

 朝、都歩研だけスタンプラリーの当番が多いのは、わがままを聞いてもらったからだと美咲は言っていたけれど、このことだったのだ。

 遥のシールは紫のリボンで、史郎のシールは黒縁メガネだった。これもイラストサークルのオリジナルだ。

 遥と史郎はグラウンドの端のベンチに座っていた。隣のベンチに優莉と浩一郎。

 視線の先には紗那と奏真と茗子がいた。

 イチカフェに乗り込んできた奏真を捕まえたのは隼人だった。茗子も一緒だった。

 テラスから手を振ると隼人が気づいてくれた。三人が外に出てから、紗那と隼人が恋人のフリをしていたことを奏真に説明する。奏真はひどく憤慨していたけれど、相手の気持ちを考えずに囲い込むようなことをする方が悪いと茗子に怒られ、勢いを削がれて大人しくなった。

「それで、安藤さんはどうしてここにいるんです?」

「バンドの勧誘に。ね?」

 隼人に目を向けられた安藤は、遥に目配せした。遥は曖昧に笑う。

「久しぶりですね」

 いつものように微笑む隼人の様子から、安藤と険悪な仲ではないようで遥はほっとした。

 二人をそのまま残し、遥と史郎と茗子と奏真は連れだってステージに向かった。紗那のミスコンが始まるのだ。

 都歩研の受付を三年組と交代した優莉と浩一郎とも落ち合って、皆で紗那を応援した。

 ステージ上で自己紹介をする程度だったけれど、紗那は緊張しているようだった。客席の一画に黒服が固まっていて、おそらくアイドル研の忍びの人たちだろうが、「紗っ那ちゃーん!」と野太い声がかけられる。それにつられて視線を向けた紗那は、少し目を瞠ってから、花が咲くように笑った。それで緊張がほぐれたのか、あとのスピーチは特に問題なく済ませていた。

 今日の十八時が一次選考の投票受付終了時間だ。集計結果は、大学祭のウェブサイトやSNSに速報が掲載される。上位三人が最終選考に進み、それは明日行われる予定だ。

 ミスコンのステージから戻った紗那を、茗子が呼び出し、奏真と話すことになった。

 それが、目の前の光景だ。

 なんとなく流れでついてきてしまったけれど、良かったのだろうか。

 遥は奏真が紗那に告白して振られるのを目の当たりにして、今さら居心地悪く感じた。

「ごめんね、私、奏真君のこと、そういう風に見られない」

 謝る紗那に、奏真は食い下がった。

「今は? これからもダメ?」

「それは、わからない。でも、今のままだったらずっとダメだと思う」

「どういう意味だよ?」

 紗那は少し迷うようにしてから、

「私、一人暮らししたいの」

「一人暮らし? なんでだよ?」

「お母さんにとってお義父とうさんは結婚したいくらい好きな人で、奏真君だって息子だと思って接することができるかもしれないけど、私には難しいの。どうしても、他人がいるって思ってしまって」

「他人……」

 奏真はショックを受けたように繰り返す。

「一人暮らししてもいいかな?」

「それは、俺じゃなくて、お義母かあさんに聞けよ」

「そうだよね……」

「紗那が一人暮らししたいなら、俺、協力してやってもいいぜ」

「本当? ありがとう」

 得意げに笑う奏真に、横で黙って聞いていた茗子が尋ねた。

「君は、紗那のことを姉だって思っていないんだよな?」

「ああ、もちろん」

「じゃあ、紗那の一人暮らしの部屋に押し掛けたりしないと約束しなさい」

 奏真は茗子を睨み付ける。

「あ? なんでだよ?」

「普通の他人の男女はそうだろう?」

「え、まあそうだけど……でも俺たちは」

「ほら、そうやって都合のいいときだけ家族を持ち出すんじゃない。姉だと思っていないなら、きちんと節度ある振る舞いをしなさい」

 茗子に指摘されて、奏真はしゅんと肩を落とす。

「……はい、すみません」

「いい? 相手の心を無視したり、軽んじたり、抑え込むようなことはしてはいけない。わかる?」

「わかる」

「それが大前提。そのあと紗那が君を受け入れるかどうかは、君の誠意次第なんじゃないか?」

「誠意……」

 奏真は紗那に向き直ると、

「俺、がんばるから!」

 紗那は、少し困ったように笑った。

 気を持たすような結果になってしまっているけれど、これで良かったのだろうか。

 目が合った史郎は、肩をすくめてみせた。

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