第四章 アリアドネの暗号(19)
カフェ一号館――通称「イチカフェ」のテラス席で、遥は安藤の話を聞いていた。
正門前の広場でチラシを配っていたら突然話しかけられたのだ。
隼人が以前参加していたインディーズバンドのボーカルらしい。だからなのかよくわからないけれど、サングラスをかけ、おしゃれな布製のハットをかぶっていた。それはイチカフェに移動しても変わらない。
「ちょっと目立ちたくなくてねぇ」
と安藤が言うから、遥は外のテラスに誘った。室内の席で帽子は逆に目立つだろう。
「柘植さん、隼人がライブ出てたの見たことある? ないよね? 俺、客席に君を見たことないもん」
そんなのいちいち覚えているものなのか、と思いつつ、遥はうなずく。
「はい、ないです」
「見たくない?」
「どちらかというなら、見たいですけど……」
身を乗り出す安藤に、若干引きつつ、遥は答える。
「だったらさ! 隼人にバンドに戻るように言ってもらえないかな?」
「え……」
「今年、卒業だろ? まさか中退しちゃったとか?」
「いえ、今年卒業です。でも、大学院に行くって」
「うっそ、まじで。なんだよ、もう。なんでそんなに……」
それから安藤は、はっと顔を上げ、
「そうか! 君、隼人の後輩なんだ?」
「そうですけど」
「だからかー。君と一緒にいたいから大学に残るんだろ、あいつ」
「えー、違うと思いますよ?」
「いやいや違わないって。あいつ、そういうロマンチストなとこ、あるんだよねぇ」
遥は否定したのに、安藤は一人で納得している。
「あのー、バンドのことなんですけど」
「ああ! はい! そう、バンド!」
安藤は当初の目的を思い出したのか、遥に向き直る。
「私じゃ説得できないと思います。安藤さんが直接話した方がいいんじゃないですか?」
「それはするよ。今伝言で呼び出してるから、ここに来るんじゃないかな」
「伝言? 電話は?」
「あー俺が知ってる番号、もう繋がらなくてさ」
「えっと、それって……」
隼人がわざと切った人間関係なら、何も事情を知らない遥がこうやって繋いでしまってよかったんだろうか。
眉をひそめる遥に、安藤は「大丈夫。喧嘩別れじゃないから」と朗らかに笑う。
遥からも隼人に連絡した方がいいだろう、とスマホを取り出すと、後ろから声を掛けられた。
「遥ちゃん、どうしたの?」
「あ、史郎君」
「誰? もめてるの?」
史郎はなぜか毛糸が入った籠を持っていた。それを気にしつつ、遥は「隼人先輩が前に一緒にバンドやってた人だって」と安藤を紹介する。
史郎は安藤の顔をまじまじと見たあと、「コーヒー・アンド・メキシカンピラフの? 明日、講堂でライブをやる?」と聞いた。
「おおー、気づいてくれた? 良かった良かった。柘植さん、全然気づかないから自信なくすところだったよ」
「すみません……」
遥は特に音楽に興味がなく、テレビに出るような人しか知らないのだ。
というか、隼人はそんなバンドにいたのか。
「お話し中、すみません。合言葉、いいですか?」
女子学生が二人、声をかけてきた。
「おめでとう!」
「ありがとうございます!」
よくわからないけれど、おめでとうと言われたらありがとうかな、と遥は今までそれで返していた。
シールを一枚ずつ配ると、史郎もシールを取り出した。
「あれ、史郎君も、合言葉係だっけ?」
女子学生が去ってから、遥は史郎に聞く。
「今朝、急に頼まれた。それで、今気づいたんだけど、これ、浜崎さんの陰謀じゃないの?」
「え?」
「だから、俺たちにおめでとうって」
史郎はもごもごと言いにくそうに続ける。
「付き合い始めたから」
「ああ! そっか! そうかも」
遥は手を叩く。
「おめでとうって何かと思ってた」
「ごめん! ちょっといいかな?」
ほったらかしだった安藤が片手を挙げて、話に入る。
「柘植さんは隼人の恋人ではないの?」
「違いますよ?」
史郎が「遥ちゃん、また南さんと間違えられてるんじゃない?」と指摘し、遥は「ああ!」と声をあげた。
今日は久しぶりに南そっくりの髪型だったのを忘れていた。
説明しようと安藤を振り向くと、ガラス越しに店内入り口が視界に入った。駆け込んで来たのは、紗那の義弟ではないだろうか。
「紗那を返せー!」
彼の大声はテラスまで響いた。
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