第四章 アリアドネの暗号(13)

 遥の母、柘植美穂は、新山大学の大学祭を訪れていた。

 一月ほど前、遥から一人暮らしをしたいと言われた。

 亡くなった長女、南のことを思うと、遥の一人暮らしは許可できるものではない。

 けれども、遥にずっとそばにいてほしいと言うのは、南の身代わりとして見ているようで、後ろめたい。

 南のように髪を伸ばし、同じような服を着ていたころの遥は、南によく似ていた。南を忘れることができない自分へのあてつけにも思えたし、南が遥を連れ去ってしまうかのような不安も感じた。南が一人暮らししていた部屋を手放せないことがつらかったけれど、手放すことを想像する方がよりつらかった。

 南の部屋を遥に見つかり、それから遥とはきちんと話ができるようになった。南の不在と向き合って、新しい関係が作られ始めた矢先だ。

 南はあまり実家に帰ってこなかったけれど、遥は週に一度は帰ると約束した。

 遥は四年後には就職するし、いつかは結婚だってするだろう。いずれ独り立ちするなら、今であっても構わないはずだ。

 わかってはいる。けれど、どうしても素直に認められない。

 夫の博司ひろしからは、美穂の意見を尊重すると言われていた。

 先方の都合もあるからこれ以上結論を先延ばしにすることはできない。

 そこで、この大学祭だった。

 話には聞いているけれど、美穂は史郎に会ったことがなかった。

 彼に会ってから決めようと思ったのだ。

 しょっちゅう一緒に出掛けているし、編み物を習っていると家にも押しかけているらしい。一人暮らしのことは別として、挨拶はしておいたほうがいいと思う。南の恋人だったという牟礼隼人にも会ってみたいし、南の葬儀で友人関係を取りまとめてくれた高野茗子にも会えるかもしれない。

 出がけに遥にメールを送ると、午後に展示の受付当番があるからと待ち合わせ場所を指定してきた。

「早く来すぎちゃったわね」

 南のときの大学祭も来ていないし、娘たちの高校の学祭だって行ったことはない。賑やかさに気後れしてしまう。

 自分の大学時代はどうだったかしら。そんなことを考えながら、正門をくぐった。

「スタンプラリー、やってまーす!」

『写真同好会』と書かれたTシャツを着た学生に渡されたチラシを見て、美穂は「あら?」と首を傾げる。遥が話していたのはこのことだろう。

 せっかくだから、時間までスタンプを集めるのもいいかもしれない。

 美穂はD号館に足を向けた。

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