第四章 アリアドネの暗号(11)

 中井なかいは高野茗子が留学から戻っていると聞いて、久しぶりに会いに来た。アイドル研の部室かミスコンのステージのときに見つけられるだろうと思って事前に連絡はしていない。卒業以来だ。

「お、中井! 久しぶりだな!」

 本部テントでパンフレットをもらったところで、声を掛けられた。振り返ると、よく日に焼けたスポーツマン体形の男――落合おちあいだ。どう見ても体育会系なのに、落合はアイドル研の歴史研究派――分裂後は「アイドル歴史研究会」と名乗っていた――の初代会長だった。一方で、中井は男性アイドル派――分裂後は「メンズアイドル同好会」と名乗っていた――の初代会長だ。茗子に追い出された三派閥のうちの二派閥が揃ったことになる。

「落合、久しぶり」

「お前、変わらねぇなぁ」

「そっちだって」

 就職したところで趣味が変わるわけでもなし、オフの服装は学生時代と同じだ。土日だけで落とすのが面倒になって、派手なネイルは控えるようになったけれど。

「今日は? 後輩の展示でも見に来たの?」

 通行人の邪魔にならない場所まで移動しながら、中井は落合を見上げる。

「それもある。あと、高野が帰って来たって聞いてな」

「うん。私も。高野に会いに来たの」

「じゃあ、一緒に行って驚かせるか?」

 にかりと笑う落合に、中井は「だね」と同意する。

「今の時間だと、部室かなぁ」

「けど、もう正会員じゃないだろ」

「名誉会長だって」

「四年のときだってそれほど顔出してなかったんだぜ。今は関わってないんじゃねぇ?」

「そかな? うーん、連絡してみよっか?」

 中井がスマホを取り出すと、落合は首を振った。

「驚かせてやりたいよなぁ」

 背後のステージで軽音楽部の演奏が始まる。わっと響く音と歓声に思わず振り返ると、見たことがある顔を見つけた。

「あれ? 柘植?」

「え? 柘植ってあの? ああ、本当だ。なんであんな格好してんだか。似合ってるけどさ」

 アイドル研がミスコン参加者のプロデュースを始めて、最初の参加者が柘植南だ。広場の反対側に彼女を見つけた。袴姿に大きな紫色のリボン。今はもう人ごみに紛れてしまってわからない。

 中井は自分の目を疑う。しかし落合も認めた。他人の空似だろうか。

「あいつも大学に残ってたのかよ。そういえば、牟礼も未だに学部生だってよ。あいつ留年しまくってたもんな」

「ちょ、待ってよ。知らないの?」

「何が?」

「牟礼の留年の原因って柘植が交通事故で亡くなったからだよ」

「えっ? え、じゃ、さっきの。えっ?」

 落合は真っ青になって慌てる。

「幽霊?」


 茗子の居場所はわからないけれど、隼人はサークルの展示に行けば連絡が取れるんじゃないだろうか。茗子を驚かせることを諦めきれない中井と落合は、先に隼人を捕まえようと「都内散歩研究会」の展示教室に向かった。

 三人は都歩研で知り合ったと中井は聞いていた。南が亡くなったあと、茗子は都歩研に行かなくなったけれど、隼人は変わらず参加し続けていた。

 講義棟の建物に入ると、独特のひんやりした薄暗い廊下がとても懐かしい。

「この雰囲気は大学にしかないよな」

 落合も感慨深そうにしながら、しかし深呼吸なんてし始めるから全く情緒がない。

 都歩研の展示教室に客は誰もいなかった。受付に男女二人の学生が座っていて、特に話すでもなく、女子はスマホを弄っていて男子は本を読んでいた。

 在学中も隼人目当てで何度か足を運んだけれど、相変わらず地味な展示だ。適当に流し見してから、受付に座っている学生に話しかけた。

「牟礼隼人に会いたいんだけど、どこにいるかわかる?」

 すると、女子の方が「デートです」と答えた。

「デート?」

 南の幽霊と楽しそうに模擬店を回る隼人を想像しそうになり、中井はこめかみを押さえた。

「じゃ、高野茗子は? こっちに来ることある?」

「いえ、ほとんどないですけど」

 首を振ってから、女子学生は机の上に置いていたスマホを取り上げる。

「高野さんは知りませんが、牟礼さんなら連絡取れますよ。何か伝えましょうか?」

「ううん、大丈夫。高野の連絡先は知ってるから」

「とりあえず、アイドル研、行ってみるわ」

 落合と二人で断って、女子学生に礼を言う。

 ずっと黙って座っていた受付の男子学生が「スタンプラリーやってます」と差し出したチラシを受け取って、二人は教室を後にした。

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