第四章 アリアドネの暗号(10)
合言葉係はしばらく目立つところにいて、と言われて遥は正門前の広場にやってきた。浩一郎とチラシ配りを交代するのだ。
「うちのサークルだけ仕事多くない?」
里絵奈と美咲はスタンプラリーの本部当番もやる。遥が口を尖らせると、美咲は「いいのいいの」と笑う。
「ちょっとだけわがまま聞いてもらっちゃったからねー」
「ちょっとだけ?」
里絵奈は呆れたようにため息をついたけれど、遥が聞いても「後でわかるよ」としか教えてくれなかった。
正門前の広場は、真ん中に噴水がある。正門側には本部テントなどがあり、チラシを配ったり段ボール製の看板を持って勧誘している人が多数いた。奥側にはステージが作られていて、今はクラシックギター部の発表がされていた。紗那が出場するミスコンもここで行われる。今日は一次審査で、ステージで自己アピールをするらしい。――自己アピールと無縁そうな紗那は大丈夫かなと遥は心配していた。
浩一郎はすぐに見つかった。
「山本さん! チラシ配り代わります」
浩一郎は遥の格好をちらっと見て、でもそれについては何も尋ねずに「いいの?」と聞く。
「私、合言葉係の代役になったんで。山本さんは都歩研の展示の受付に行ってもらえますか?」
「わかった」
短く了承して、浩一郎はチラシを遥に渡す。くるりと回れ右をしてさっさと去って行ってしまった。
あまり長く話したことがない彼は、いつものサークル活動でも楽しんでいるのかいまいちわからない。
けれど、展示の準備中。地図の印刷版はネット版をプリントアウトするだけですます予定だったところ、彼は別にわざわざ印刷用のデータを作ってきてくれた。
「地図好きなんで」
紗那や優莉に感謝されて珍しく照れたような笑みを浮かべていた。
正門の内側に沿うように設置された手製の門――都内の主要建造物が壊れたオブジェに、テーマなのか「常識をぶちこわせ!」と垂れ幕が掲げられている――を見上げる。「懐かしいねぇ」と思わずつぶやいたものの、安藤は大学には進学しなかった。
「おっと」
後ろから来た人にぶつかりそうになり、安藤は慌てて正門をくぐる。帽子とサングラスを確かめてから、人ごみに入って行った。
出演の前日に会場近くでふらふらしているなどありえないことだけれど、牟礼隼人と直接話をしたくてやってきた。当日よりはましだろう。
隼人は携帯の電話番号を変えてしまったのか、連絡がとれなくなっていた。思えば住所も知らないのだ。知っているのはさぼりがちだと言っていた大学と学部。それから、何かの話で出てきたサークルのことだった。今回出演が決まって大学祭のウェブサイトを見たら、展示のリストに「都内散歩研究会」とあり、そこに行けば隼人に連絡が取れるのではないかと思ったのだ。
本部テントでパンフレットをもらう。それから、ぐるりと広場を見回すと、見たことがある顔を見つけた。
「ん?」
チラシ配りの男子学生と立ち話をしている女子学生。出し物の一環なのかわからないが袴姿で、長い黒髪に紫のリボンが揺れていた。
「ああ、隼人の……」
いつだったかライブの打ち上げで、演奏中に失敗したメンバーへの罰ゲームと称して、携帯電話の写真を見せ合った。そのとき、隼人の携帯には彼女と並んで写っている写真が何枚かあった。他に女の写真はなく、恋人かと囃し立てる皆に、隼人は「柘植南さんです」とだけ返したのだ。
男子学生は彼女にチラシを渡して、二人は別れた。安藤は男子学生を捕まえる。
「さっき、君が話してたのって、柘植さん? 牟礼隼人の恋人の? あ、牟礼は知ってる?」
男子学生は怪訝な顔で安藤を見る。
「俺は牟礼の友人なんだけど」
証明のため、スマホのアルバムから隼人と一緒に写っている写真を選んで彼に見せた。
「知りません」
彼はそれだけ言って足早に去って行ってしまった。よく考えたら今の自分はサングラスをかけたままで、写真に写っているのは素顔だった。まあいいか、と安藤はひとりごちる。
ゆっくりと袴姿の彼女に近づいて声を掛けた。
「柘植さん」
「はい?」
彼女は振り返って返事をした。やはり間違いないようだ。
「俺ね、牟礼隼人の友人なんだ。昔一緒にバンドやってたの。知ってる?」
「えっと、インディーズバンドをやってたって話は聞いたことありますけど……」
首を傾げる彼女に、「おっ、知ってる? それは良かった」と手を打って、安藤は、
「隼人のことでちょっと話がしたいんだけど、いいかな?」
彼女は手元のチラシの束を軽く持ち上げ、
「私、これ配らないとならないんです」
「じゃあ、それ、俺も手伝うわ。早く終わらせてどっか行こう」
「え……えっと、大学内のカフェでいいですか? 私、今日、学外に出られないんです」
「もちろん、君の都合の良い場所でいいよ」
安藤はにっこり笑顔を浮かべると、戸惑う彼女の手からチラシの半分を引き取った。自分の笑顔に対する反応としてはいまいちだなと思ってから、サングラスをかけたままだったと安藤は気づいた。
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