第四章 アリアドネの暗号(7)
「おお、いいじゃなーい!」
「かっわいいー!」
遥の目の前に同じ顔が並ぶ。
「さすが、私たち!」
「ねー!」
ハイタッチして飛び跳ねる双子に、遥は苦笑する。
ここはアイドル研究会――実態はミスコン参加者プロデュース同好会だ――の部室だった。聞けばミスコンに関わることになったのは茗子の代からで、それ以前は普通のアイドル研究会だったらしい。歴史も長いため、サークル棟に専用の部室がある。
茗子が名誉会長になった経緯も、姉がミスコンにエントリーしていた件も、遥は初耳で驚いた。
レポート作成作業をしていたセミナー室に湊がやってきて、ミスコンのエントリー書類のための写真撮影をするからと紗那を呼び出した。そのとき、セミナー室に残っていた茗子から「南のミスコンの写真、見る?」と誘われ、遥はアイドル研の部室に来たのだけれど――。
迎えたのは教養学部の三年、
そして、先ほどから遥にメイクを施していた
「どれにする?」
「部の備品じゃなくて私たちの私物だから、どれでも選んでいいよ!」
本人たちはどこにでも売ってそうなTシャツとジーンズを身に付けているのだけど、ハンガーラックにはレースやフリルが大量に縫い付けられたワンピースしかかかっていなかった。
「えーっと、紗那さんの写真撮るんですよね?」
「大丈夫大丈夫。すぐに終わるから!」
「怖くない怖くない!」
ダメ元の抵抗は、「これなんか似合うと思う」と茗子がワンピースを押し付けるに至って、完全に封じられてしまった。
「わー、かわいい!」
自分の支度が終わった紗那が遥の前に立つ。
遥は、長い金髪のウィッグに、目を強調したメイク。つけまつげのせいで瞬きするたび、違和感がある。茗子が選んだワンピースは、赤のギンガムチェックにマカロンがちりばめられた柄で、これでもかとパニエを重ねたスカートはめいっぱい膨らんでいる。それにフリルたっぷりの白いエプロンをつけた。双子の手持ちに遥に合うサイズの靴がなく、自前のスニーカーなのがとても浮いている。
「紗那さんも素敵です!」
一方で、紗那はとても普通の格好だった。オフホワイトの膝丈フレアスカートに、フレンチスリーブの水色のストライプのブラウス。長い髪は丁寧にブローされ、さらさらと肩を流れる。紗那の華奢な感じが一層引き立っていた。
「清楚系」
紗那のスタイリングをした映子が、にっこり笑う。
「撮影は写真部にお願いしてるから、移動ね」
それはともかく、なぜ遥までひっぱられているのかがわからない。茗子を見上げると「ま、記念だと思って」と肩を叩かれた。
「忍びの者たちがね、遥ちゃんを見たいっていうから、ちょっとつきあってあげて」
「忍び?」
「大丈夫。忍び個人の写真撮影は禁止だから」
遥の左手を掴む美以子――鳥の絵のTシャツを着ているのが美以子だと覚えさせられた――の発言を聞き咎めるも、続く詩以子――猫の絵のTシャツを着ている――に流される。
映子が中から叩くと、部室のドアは開いた。誰か、例えば部室の前で別れた湊あたりが入ってくるのかと思ったのに、誰もいない。
そして、皆が廊下に出ると、ドアはひとりでに閉まった。――ひとりでに、ではなかった。開いたドアと壁の隙間に隠れていた黒服の学生が、振り返った遥に気づいて慌てて走って行く。
「え、あの」
「ごめんねー」
「忍びの者を見かけても気づかないフリしてあげてね」
「いえ、忍びっていうか、あれ」
「黒子だろ」
前を歩く茗子が振り返って軽快に笑う。遥も笑った。
同じサークル棟にある写真部の部室は本格的なスタジオになっていて、そこで撮影してから遥と紗那はアイドル研の部室に戻った。遥の写真はアイドル研のアルバムに入れるだけで、外に出すことはしないと事前に聞いた。映子たちは写真部と打ち合わせするらしく、付き添いは茗子だ。
「南の写真を見せる約束だったな」
茗子は棚板がたわんだ古いスチール棚からファイルを取り出す。開くとリフィル式のアルバムだった。年代順のようで、南の写真は最初のページにあった。
さきほど紗那が撮影したようなプロフィール用の写真。ミスコン当日のステージの写真。姉は最終選考まで残らなかったと聞いた。
一緒に写っている茗子が今よりずっと若い。同じく若い隼人も写っていて、とても仲が良さそうに見えた。
姉の部屋のクローゼットにあるのと同じような服装。懐かしいけれど、遥が知らない友だちに向けた笑顔。
「遥ちゃん、そっくりなんだね」
並んで見ていた紗那が驚いた声で言った。
「見た目だけですけれど」
「もしかして、四月のころってお姉さんのお下がり着ていたの?」
「お下がりじゃなくて、自分で、姉の真似してたんです。髪型とかも」
「それじゃあ、今はもうやめたんだね」
「はい」
紗那はアルバムをめくりながら、
「夏の前、遥ちゃんが髪切ったのって、大学デビューなのかなってちょっと思ってたんだけど」
「うーん、そうですねー。ある意味デビューではあるんですけど……姉の真似はもうやめようって思って、変わろうって」
「そうだね」
紗那は穏やかに同意して、遥に向き直る。
「私も変わらなきゃって思ったの。それでミスコンに出ようかなって」
「そうなんですか」
紗那は目立つことが好きではなさそうに思えた。キャンプのときに優莉が話していた「恋人を作らない口実」は義弟対策なのかと納得していたけれど、そんな思いもあったのかと驚く。
「うん。でもしつこく誘われたのが大きな理由ではあるけど」
微笑む紗那に遥も笑う。
「一つだけいい?」
ずっと黙っていた茗子が、紗那に向かって右手の人差し指を立てる。
「隼人のこと。あいつがおかしなこと言いだしたら遠慮なく私に言って」
「おかしなことって……?」
困惑する紗那に、茗子は弁解する。
「無理やり迫るようなやつじゃないからそれは安心していい」
「はい……」
それから茗子は渋面を作った。
「あいつ、ちょっとこじらせてるんだ」
「えっ、こじらせてる……? 隼人先輩がですか?」
紗那の困惑は深まるばかりだったようだ。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます