第四章 アリアドネの暗号(3)
九月最後の水曜日。柘植遥が所属しているサークル「都内散歩研究会」――通称「
皆が「イチカフェ」と呼ぶカフェ一号館の窓際。丸テーブル二つを占領していた。
都歩研の正式メンバーは、キャンプに参加した十一人に加えて四年生があと三人いる。就職活動や卒論で忙しく、春ごろは何度か参加していたけれど、最近はちっとも現れなかった。
今日は牟礼隼人もいない。他大学に通っている浜崎美咲も参加していなかった。
遥は、同じ文学部一年の逸見里絵奈と並んでサンドイッチを食べていた。
逆隣に理工学部一年の和田史郎が座っている。史郎と会うのはキャンプ以来だった。
そのキャンプで、お互いに相手を特別に思っていると伝え合った。うっすら感じていた状況をはっきりさせただけ。付き合うという言葉は出ないまま、キャンプは終わり、現在に至っている。それについて聞きたいし、母に一人暮らしの話をしたことも伝えたいのだけど、なんだか気恥ずかしくて遥は史郎の顔を見れないでいた。
都歩研は名前の通り、都内を散歩するサークルだった。月に一度のペースで、休日に名所やその周辺を巡る。
九月はキャンプに行ったため、通常の活動はなかった。今日のミーティングは十月の活動の相談だろうと遥は思っていたのだけれど。
「今日の議題は、大学祭について!」
男性にしては高めの声で、会長の
「大学祭っていつ?」
隣の里絵奈が遥に聞いたのを、聞き止めた同じく経済学部三年の
「金曜は半日くらい準備で終わるけどなー」
「準備ってことは何かやるんですか?」
理工学部一年の
「展示だよ、展示」
教養学部二年の
「教室を一つ借りて、今までに歩いた場所のレポートを作って展示する!」
雄貴が皆の注目を取り戻すように声を張る。
「毎年学年で割り振ってるんだが、四月の大学周辺は三年の俺らでやるわ」
三年は雄貴と翔平の二人だけだ。
「二年はどれがいい?」
優莉と紗那と、経済学部二年の
「俺は何でも……」
「じゃあ、ゴールデンウィークのにしようか。一年生はまだ参加してなかった人もいるし」
「そうだね」
ゴールデンウィークの活動は、神保町から秋葉原までだ。そのころはまだ史郎と湊は都歩研に入っていなかった。
「二年は五月でいいか?」
二年メンバーがうなずくと、雄貴は一年メンバーに顔を向けた。
「一年はそれ以外の、六月と七月と八月でいいか?」
「人数多いから行けるよな?」
三年の二人に聞かれて、遥たちはそれぞれ「はーい」「わかりました」など承諾した。
「詳しいことは二年から聞いてくれ」
「それで、ここからが重要なんだが、今年は展示をする文化系サークルでスタンプラリーをやることになった」
「二十三ヶ所を全部回ってスタンプを集めると、なんと、豪華景品が!」
「当たる!」
「かもしれない!」
順にしゃべる雄貴と翔平に、里絵奈が「どっちですか?」と呆れたように聞く。
「それが、まだ決めてるところなんだよなー。駄菓子一つくらいの粗品はもれなくもらえるようにして、それとは別で先着でくじ引きができるようにしようって話してるんだが」
「一等、二等って、当たりくじに順位をつけるか。当たり外れだけが書いてあって、当たった人は先着で好きな景品が選べるか」
「順位がつく場合は金を集めて代表者が買ってくる。景品を選べる場合は、各サークルいくつって同じ値段の品物を提供することになると思う」
「来週までには決まる予定だから、まあ、今のところはスタンプラリーがあるってことだけ覚えていてくれ」
二人の説明に、一年と二年はうなずいた。
水曜の三限は、学部に関わらず履修できる一般教養科目の授業がある。前期に受けた「西洋音楽史概論」は遥と史郎が知り合うきっかけになった授業だった。
後期は美咲と湊とも相談して、同じ授業を選択した。「西洋美術史概論」は、毎週一人の作家やムーブメントを取り上げて解説を聞き、プロジェクターで作品を鑑賞して、出欠代わりの感想を提出する楽な――もとい、人気の授業だ。幸い抽選で落選することなく四人とも履修できることになった。
イチョウの木陰を辿って、教室があるD号館まで四人で歩く。
史郎は湊と何か話しながら前を歩いていた。
「美咲に大学祭のこと連絡しといた」
「あ、ほんと? 放課後来れるって?」
放課後、二年から展示するレポートの作り方を聞く予定になったのだ。里絵奈は「絶対行くって」と答えてから、遥に囁いた。
「和田君に話があるんでしょ?」
「えー、な、なんで?」
「ずっと見てる」
「え、嘘」
「本当」
里絵奈は小さく笑って、遥の背を押した。
「ちょっ、里絵奈!」
「気になることは早めに対処した方がいいと思うな」
もうD号館の前だった。入り口の階段に足を掛けている史郎を、遥は呼びとめた。
「史郎君、ちょっといい?」
二人を追い越した里絵奈が湊の荷物を引っ張って、「席取っておく」と中に入っていく。
「何?」
遥を振り向いた史郎は、難しい顔でメガネを押し上げた。
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