第四章 アリアドネの暗号(1)

 サークルのキャンプで、柘植遥つげはるか碓井紗那うすいさながいなくなったと聞いたとき、一番に反応したのが山本浩一郎やまもとこういちろうだったのには驚いたけれど、そこまで意外でもなかった。あまり団体行動に向かなそうな彼が、サークルの活動にけっこう頻繁に顔を出しているから、なるほどと和田史郎わだしろうは納得したのだ。それよりも意外だったのは、牟礼隼人むれはやとが遥をちっとも心配していなさそうに見えたことだった。

 春に遥が見舞われた災難では、隼人は人が変わったようだった。――普段は温厚さの裏に隠してある性格が表に現れただけで、人が変わったのとは違うだろうけれど。元凶になった相手に対して、一切の容赦がなかった。

 それなのに、今は誰よりも落ち着いていた。

 外に出ると、逸見里絵奈へんみりえな浜崎美咲はまさきみさきが史郎に駆け寄る。

「和田君、遥に会ってないよね?」

「会ってないけど、いなくなったって何があったの?」

 尋ねた史郎に、彼女たちは順番に説明した。

「二人で涼んでくるって外に出てったきり戻ってこなくて」

「どうしたのかなって思ってたら、オーナーがやってきて、木乃香このかちゃんが来てないかって」

 木乃香はキャンプ場のオーナーの娘で、四歳だと聞いた。

「一緒にいるのかなぁ」

「だったらいいんだけどね」

 花火を一緒にした史郎たちサークルメンバーのところなら、木乃香が来ていてもおかしくないとオーナーは思ったらしい。

 コテージにいないのを確認したら、そのあたりを見てくると車で出て行った。「くれぐれもキャンプ場から出ないように」とこちらは釘を刺されてしまった。「車と行き違いで戻ってくるかもしれないから」と言われると待つしかない。

 史郎は、皆から少し離れて、デッキのベンチに腰かけている隼人に近寄った。

「先輩、遥ちゃんが心配じゃないんですか?」

 隼人は微笑んだ。

「もちろん、心配していますよ。そう見えませんか?」

「あんまり」

「そうですか?」

 ふっと小さく声に出して笑って、隼人は頬杖をついて皆のいる方に視線を移す。

「先輩は遥ちゃんが無事だと思うんですね?」

「無事だったらいいと思っていますよ」

 ニュアンスを変えて答えた隼人に、史郎は「そうですか」と先ほど言われたセリフを違うアクセントで返した。

「和田君は遥さんが心配ですか?」

「もちろんです。そう見えないですか?」

「見えますね」

 ほとんど同じ会話を、発言者を逆にして繰り返す。お互いがわざとそうしている。

 隼人との中身のないやりとりが馬鹿らしくなって、史郎は「失礼します」と声をかけてその場を離れようとした。

「遥さんは無事だと思いますよ、たぶん」

 史郎は足を止める。振り返ったけれど、隼人はこちらを見ていなかった。

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