第三章 湖畔のコードネーム(12)

「なんで夢なんて言ったの?」

「お母さんが作ってくれたものを他人が勝手に修理したなんて、嫌じゃない?」

 管理棟からコテージに向かいながら、一歩前を歩く史郎はそう答えた。

「和田君は優しいんだね」

 遥の隣を歩く紗那がつぶやいた。

 それで、遥は紗那から頼みごとをされていたのを思い出す。

「あの、史郎君、ちょっといい? 話あるんだけど」

 声をかけると史郎は立ち止まって振り返った。

「私、先に戻るね」

「紗那さんも一緒に」

「……うん」

 遥と史郎を追い抜いてコテージに戻ろうとした紗那は、遥に引き止められると何の話をしようとしているか気づいたようだった。神妙な顔でうなずく。

「何? 碓井さんにも関係ある話?」

 二人を見比べて、史郎は怪訝な顔をする。

「うん、あのね……瑠依さんの部屋、私じゃなくて紗那さんに貸してあげられないかな?」

「何それ? どういうこと?」

「紗那さん、一人暮らししたいんだって」

「それはわかるけど」

 史郎は眉間に皺を寄せる。

「遥ちゃんは? お母さんにダメって言われたわけ?」

「ううん、まだ話してないって昼間も言った通りだよ」

「電話でもしたのかと思って」

「ううん、全然」

 遊園地で話をした時点から、遥の状況は変わっていない。ただ、紗那の事情を知ってしまっただけだ。

 史郎は大きくため息を吐いた。それから、顔を上げた彼の視線は真っ直ぐに遥を射抜いた。

「俺も瑠依ちゃんも、遥ちゃんだから誘ってるんだよ。ちゃんとわかってる?」

「え……うん、わかってるよ」

「わかってないだろ。わかってたら、簡単に人に譲るなんてしないよね」

 史郎の珍しくきつい言葉に遥はたじろぐ。そこで横から紗那が割って入った。

「違うの、私が無理にお願いして。だから遥ちゃんは悪くないの」

「碓井さん、この話、ちょっと待っていてもらえます?」

 史郎は、紗那の発言内容には触れない。

「遥ちゃんが住まないって決めたなら、両親と今住んでいる従姉に、碓井さんのことを話します」

「もちろん、それで構わないから。……ごめんなさい、私、家にちょっと居づらくて……」

 うなずいた紗那が言い添えた謝罪に、史郎は少し考えるようにした。それから再び遥に向き直ると、

「先に遥ちゃんがどうするか決めて。お母さんに話したくないから住まないっていうなら、それで構わないから」

「あ……」

 史郎に言われて、初めて遥は自覚した。紗那のことはちょうど良い逃げ道になっていたのだ。

「うん、わかった」

「一人暮らししたいって言ってたのは、変わってないんでしょ?」

「うん」

「俺が、遥ちゃんの近くにいたいから誘ったんだって、わかってる?」

「う、ん? ……え? そうなの?」

 驚いて遥が顔を上げると、史郎は一転視線を逸らした。

「そうなんだよ……」

「そんなの、言われないとわかんないよ。ちゃんと言ってよ」

 そこで紗那が走って行った。無言だったけれど足音は立てていたし、遥も史郎もはっとして、顔を見合わせる。

 遥はそのまま史郎を見つめた。二人の間には数歩の距離が空いていた。それが、普段よりも遠いことに遥は気づいた。

「遥ちゃんは、俺にとって特別なんだよ」

 史郎は頭を片手で抱えるようにして、「わかる?」と聞いた。

「うん。わかる」

 彼の顔が見たいと思った。

 遥は史郎との距離を詰める。

「私も、史郎君が特別だって思ってるんだけど」

 顔を隠している腕を引くと、史郎は抵抗せずこちらを見た。困惑しているような瞳が、メガネの奥で揺れている。

 遥はふふっと笑った。

「わかる?」

「……ああ、わかった」

 コテージに戻ってから、遥は首を傾げた。

 結局、これは付き合うことになったのか、どうなのか、全くわからないのだった。

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