第三章 湖畔のコードネーム(10)

 キャンプ場から湖畔に沿った道路に出る細道は真っ暗だった。遥の背丈くらいある草が両脇に茂っているのが、恐ろしげな雰囲気を盛り上げている。木乃香の姿は見えなかった。

「道路に出ちゃったんだ」

 角に立つ街灯を頼りに、十メートルもない道を走り抜ける。湖畔の道路に出て、両側を確かめると、少し先に小さな影を見つけた。

「紗那さん! あっちです!」

 紗那の手を引いて、遥は指差す。二人で駆け出しながら、「木乃香ちゃん!」と呼びかけた。すると、声に気づいた木乃香は立ち止まってくれた。

「良かったー!」

「木乃香ちゃん、どうしたの?」

 紗那がしゃがんで木乃香の腕を掴んだ。ピンクのパジャマ姿でパンダの編みぐるみを抱いた木乃香は、驚いた様子で紗那と遥を順に見た。

「ママのとこ、行くの」

「ママのところ?」

 紗那はオーナーの話を聞いてなかったかもしれないと思い、遥は簡単に説明する。

「妊娠中で入院してるんだそうです」

「そうなんだ」

 紗那は遥を一瞥して、木乃香に向き直る。

「病院に行こうと思ったの?」

「うん」

 木乃香は今にも泣きそうな顔だった。

「ママのところに行きたいなら、パパに連れて行ってもらわないと。歩いて行ったら遠いでしょ?」

「パパ、ダメだって言ったもん」

「真っ暗だから一人じゃ危ないよ」

 後方から車のライトが近づいてくる。遥と紗那は木乃香を抱えるようにして、道路のギリギリまで端に寄って、顔を見合わせて息を詰めた。車は三人の横を通り、道の先へ消えていく。虫の合唱が再び戻ると、遥と紗那はほっとして息を吐いた。

「車も通るし、危ないから帰ろう?」

「やだ、ママのとこ行くの!」

「うーん、もう夜だし、ママ寝ちゃってるよ? 明日の朝にしようよ。ね?」

 木乃香の説得に、遥も参戦する。

「今行くの! 今じゃなきゃダメなのぉ!」

「どうして?」

「だってぇ、マドレーヌがぁ!」

 ついに泣き声になった木乃香が、編みぐるみのマドレーヌを掲げる。

「マドレーヌがぁ! 痛いってー」

「あ、これ……」

 木乃香が指差すのを、紗那が見つけ「穴が……」と教えてくれた。

 遥も目を凝らすと、確かにパンダの腕の黒い部分に不自然に白く見えるところがあった。

「マドレーヌ、怪我しちゃったんだねー」

 木乃香は「マドレーヌがー」と「ママのとこ行くー」を繰り返し、大泣きしている。

 そんな彼女を紗那は抱きあげた。

「大丈夫ですか?」

「うん、平気」

 木乃香が蹴り落とした靴を拾って、遥は紗那のあとに続く。

 歩き出そうとすると、また車のライトが辺りを照らした。それは車道の向こうからではなく、キャンプ場に続く脇道から出てきたところだった。

 こちらに気づいたのか、すぐに停車する。運転席から駆け寄ってきたのはオーナーだった。

「木乃香!」

 紗那に抱かれたまま、木乃香は腕を伸ばす。オーナーに抱き取られると、木乃香の泣き声はいっそう大きくなった。


 少し落ち着かせてから戻るというオーナーと別れて、紗那と遥は徒歩でキャンプ場に戻った。

「紗那っ!」

 コテージの前で行ったり来たりしていたらしい優莉が駆け寄って、紗那を抱きしめた。

 遥の元にも美咲と里絵奈がやってくる。コテージのカーテンを開けているおかげで、人の表情がわかるくらいの明るさがあった。

「どこ行ってたの?」

「木乃香ちゃん、いなくなったの知ってる?」

 遥は木乃香を見かけて追いかけたことと、オーナーと合流して木乃香も無事だということを説明した。

 男子たちにも心配をかけていたようで、皆が外に揃っていた。

「スマホくらい持っていきなよ」

 呆れたように言う史郎を見て、遥はふと思い立つ。

「史郎君、編みぐるみって直せる?」

「え、急に何」

 彼は戸惑った顔をして、でも「ものによると思う」と答えてくれた。

「木乃香ちゃんが持ってた編みぐるみ、わかる?」

「ああ、パンダの?」

「そうそう。マドレーヌ」

「マドレーヌ?」

「穴が空いちゃって、それをママに直してもらいたくて外に出ちゃったみたいなんだけど」

 史郎は眉間に皺を寄せる。

「白いところ? 黒いところ?」

「黒いところ」

「だったら、どうにかなるかもしれない」

「わ、本当?」

 手を叩く遥に、こちらの話を聞いてた紗那も顔をほころばせる。史郎はメガネを押し上げると、

「……実際に見てみないとわからないけど」

「だよね。そういえば、道具もないよね。木乃香ちゃんのママのがあるといいけど」

「道具は持ってるから大丈夫」

 それから、隼人に「先輩の黒い毛糸、少しもらえますか?」と聞いた。

 そこで初めて、遥は、史郎も隼人も編み物道具一式を持って来ていることを知ったのだ。「キャンプに編み物?」と首を傾げたのは女子一同だった。

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