第三章 湖畔のコードネーム(9)

「ちょっと、これどういうこと?」

「せっかくキャンプなんだから、もうちょっとなんかあるだろ」

 男子用のコテージで、雄貴と翔平の三年コンビが叫ぶ。

 ロフトもあるのに、一階に全部のマットレスを敷き詰める指示を出したのも彼らだった。

「マイペースばっかりですね!」

 彼らに主に付き合っているのは湊だった。

 布団の準備が終わったらすぐさま二年の浩一郎は壁に寄りかかって本を読み始めた。「それじゃあ僕も」と隼人が編み物道具を取り出したから、それなら自分もいいか、と史郎も編み物道具を取り出した。そこで先ほどの叫びだ。

「暇つぶしするもの、何かあるんですか?」

 史郎は道具を鞄に戻して、二人に聞く。

「それが、トランプしかないのだ……」

「くっ、期待にそえず面目ない」

「いえ、別に期待してませんから」

 もはやこちらの話を聞いてもいなそうな浩一郎は放っておいて、湊が隼人に声をかける。

「隼人先輩もトランプやりませんかー?」

「ああ、はい。いいですよ」

 そう言って彼が脇に置いた編みかけのマフラーを見て、史郎は思わず感嘆の声をあげた。

「先輩、上手いですね」

 遥の姉の南が隼人のために編みかけていたマフラーを、「続きは先輩が編んだら姉も喜ぶと思います」と遥が勧めたのは夏より前のことだ。黒と濃いグレーの編地は、隼人の手に渡ったときよりも倍くらい長くなっている。冬までにできあがりそうだ。

 編み物は未経験という隼人に史郎は初心者用のテキストをコピーして渡し、何度かレクチャーした。それだけなのに、きっちり揃った編み目になっているのは才能だろうか。隼人は何でも器用にこなしそうな、得体の知れなさがある。

「うわ、ほんとだ。売り物みたいじゃないすか」

「おーすげー」

 他の人も集まり、隼人のマフラーを取り囲む。

「卒論、進んでます? 卒業できないとまずいんですよね」

 翔平が恐る恐るという様子で隼人に聞くと、彼は微笑んだ。

「大丈夫ですよ。編み物は息抜きでやってますから」

「院に行くんですよね? 試験ってないんですか?」

「それも大丈夫です」

 雄貴や翔平も初耳だったらしい。史郎と隼人のやりとりを聞いて、どっと湧く。

「えー! 大学院!」

「六年行ったら十分じゃないすか! なんでまた」

「もうちょっと猶予期間が欲しかったんですよ」

 史郎は、昼間、遥と一緒にこの話をしたときのことを思い出した。あのときの隼人は気になることを言っていた。

「もう少し一緒に過ごしたいっていうの、遥ちゃんのことですか?」

 史郎が尋ねると、隼人はわずかに目を瞠った。それから首を振る。

「いいえ。南さんです」

 南は亡くなっている。史郎は少し考えて、

「それは……南さんとの思い出とか?」

「……そうですね。そういうことになりますか」

 隼人は薄く笑う。

「とにかく遥さんではないので、君は遠慮せずにぶつかって砕けてください」

 だったらいちいち牽制しないでほしいし、砕けろなんて縁起でもないことを言わないでほしい。そう思ったけれど、史郎は口に出さずにうなずいた。憮然とした顔になっていたのは仕方ないだろう。

「えっとー、何の話? 南さんって誰?」

 湊に聞かれたけれど、勝手に話すわけにはいかず、史郎は隼人に視線を向けた。遥たちの話に出てくることもあったから、湊より彼女と関わってきた期間が長い雄貴と翔平はわかっているだろう。二人も隼人を見た。全員の視線を受けた隼人は「こちらの話です」とそれ以上の質問を許さない微笑みで返し、「ですよね! 了解しました」と湊は引き下がるしかなかった。

「そういえばさ、柘植さんのこと。和田はどうすんの?」

 どう考えても南が遥の姉だというところからの連想だろうが、突然雄貴が史郎に尋ねた。

「浜崎さんがすごいがんばってたよな」

「細川もかなりわざとらしかったっつうの」

「ですかね?」

 史郎はため息を飲み込む。できれば避けて通りたかった話題だ。

「てかさ、ぶっちゃけ好かれてるって自覚あるだろ?」

「そうそう、何が問題なわけ?」

 三年コンビに詰め寄られて、史郎は身を仰け反らせる。そこで逆に湊が身を乗り出した。

「問題ありますよー。柘植さんは来年のミスコンに誘う予定なんですから!」

「細川、まだそれ言ってんの?」

「あきらめろって」

「隼人先輩、どう思いますー?」

 雄貴が隼人に振ると、隼人は苦笑した。

「遥さんが出たいなら応援しますけどね」

「え、いいんすか? 隼人先輩は断固反対かと思ってましたよ」

 隼人は少し遠くを見るように視線を上げて、微笑んだ。

「南さんも出たんですよ」

「そうなんですか?」

 初耳だ。遥いわく「お姉ちゃんは秘密主義」だそうだから、彼女も知らないかもしれない。

「ほら、夏休み前に高野茗子たかのめいこに会ったでしょう?」

 史郎はうなずく。心理学科の大学院生で、隼人や南の同期だったそうだ。

「彼女がアイドル研究会を、今のミスコンプロデュース同好会に変えたんですよ。知りませんか?」

 最後の問いかけは湊に対してだ。湊は顔を輝かせる。

「知ってます知ってます。高野さん! 今でも名誉会長ですよ」

 湊が言うには、当時の都歩研の二年にアイドル研究会と掛け持ちしている学生がいて、前年度のミスコン優勝者についてぐだぐだ文句をつけていたのを聞き咎めた茗子が、「文句を言うくらいなら自分たちの好みの女の子をエントリーさせればいいんじゃないか」と言いだし、美容部隊を集めてアイドル研に乗り込んだらしい。結果、アイドル研は分裂。八十年代・九十年代の歴史研究派、現代アイドル派、男性アイドル派を追い出す形で、ミスコンプロデュース派が残ったのだそうだ。

 湊は熱く語るものの、史郎は全く興味がわかない。翔平たちも若干引き気味に、相槌を打っていた。

「あれ? 南さんって、高野名誉会長のときの出場者なんですか?」

 話しながらやっと繋がったようで、湊は首を傾げる。

「確か、名前は……柘植南さん? って柘植さん?」

「遥さんのお姉さんですよ」

 隼人が肯定すると、湊は手を叩く。

「ああ! だから! なんか見たことある気がしてたんですよ。サークル棟の部室に歴代参加者の写真があるんです」

 南が隼人と親しくしていたけれど恋人ではなかった理由は、もしかしてアイドル研のせいなのでは、と史郎は思い至る。

「やっぱり柘植さんはもう一度誘わないと」

「ちょっと待った、細川」

 拳を握りしめる湊の肩を押さえて、史郎は隼人を振り返る。「話しますけど、いいですよね?」と言ってから、隼人の返答を待たずに、湊に向き直った。

「南さん、交通事故で亡くなってるんだ」

「え、まじで? いつ?」

「南さんが一年の十二月。大学祭の二ヶ月後くらい」

 驚く湊に、史郎は言い含めた。

「だから、安易に南さんの話を遥ちゃんにしない方がいいと思う」

「……了解」

 神妙にうなずいた湊の肩から手を離すと、今度は隼人が史郎の肩を叩いた。

「どうもありがとう」

 隼人からよくできましたと言わんばかりの微笑みを向けられ、史郎は思わず舌打ちしそうになった。

 そんなときだ。

 コテージの扉がどんどんと強く叩かれた。

「遅くに悪いんだけど、木乃香、来てないかな?」

 焦ったようなオーナーの声のあと、優莉の声。

「紗那と遥ちゃんも来てない?」

 意外にも一番に立ちあがったのは浩一郎だった。

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