第三章 湖畔のコードネーム(5)

 キャンプ場は早位湖さいこの湖畔に沿って巡る道から横道に入ったところにあった。

 送迎のバスの中、木々の合間に見えた湖面はときどきキラキラ光っていた。「たぶん魚」と隣に座った里絵奈が目を細める。思っていたよりも大きくはなくて、対岸のこんもりと茂った木々が見える。遊園地から途中までは湖の向こうに富士山を臨んで進んだけれど、キャンプ場は逆で正面に湖、背後に富士山の布陣だった。

 バスから降りると、湿った匂いがした。土と緑。キャンプ場の敷地の柵の向こうはもう森だった。

「水際に降りたかったら、少し先にボート乗り場があるから。うーん、徒歩だと五分くらいかかっちゃうけど」

「五分くらいなら行けるだろ」

「行ける」

 そう言いだす学生たちに、オーナーは「もう暗くなるから朝のほうがいいよ」と注意する。

「夜はキャンプ場から出ないようにね」

「はーい」

 素直に皆が声を揃えた。


 他の利用者はテントを張っているグループが三組いた。車とバイクで来ているようだった。やはり九月に入った平日のおかげで、混んでいる様子ではない。

 ログハウスのコテージは、男女別で二棟借りていた。

 敷布団代わりのマットレスに、毛布とシーツが用意されている。ベッドはなく、板張りの床にマットレスを敷いて寝る。夏でなければ寒くて無理だろう。女子は、一階が一年、ロフトが二年で分かれた。

 ミニキッチンとトイレ。風呂はないから、明日の朝、近くにある温泉施設まで送ってもらう。そこから駅までは路線バスで帰る予定になっていた。

「暗くなると寒いから、上着持って行った方がいいよ」

「あと、虫よけ」

 昨年もここに来ていた優莉と紗那のアドバイスに従って、長袖を羽織った上で薄手のパーカーを腰に巻く。シールタイプの虫よけを分けてもらい、ジーンズの裾に貼った。

 バーベキューは隣の男子用のコテージのウッドデッキに用意されていた。「火が! 火がぁ!」という大声と笑い声が聞こえる。

「何やってんだか」

 笑い合ってから、遥たちも外に出た。


 肉と野菜を食べ終わるころには、日が沈んでいた。

 微かに赤く光る炭火にマシュマロを翳して温め、少し膨らんだところでウエハースに挟む。融けたマシュマロが伸びるのを頬張りながら、女子五人でテーブルを囲んでいた。

 里絵奈が紗那に聞いたのはそんなときだった。

「細川君に聞いたんですけど、紗那さんって、アイドル研でミスコン出るって本当ですか?」

 紗那は、はにかむように微笑んだ。

「本当」

「え、いつからですか?」

 湊から遥が勧誘を受けたときにはそんな話は出なかった。

「七月くらいかな。細川君が都歩研に来るようになって、誘われて」

「もしかしてそれで、髪ストレートにしたんですか?」

 確か春はゆるいパーマだったと思う。

 ミスコンに髪型の規定はないのだけれど、アイドル研独自のルールがあるそうで、黒髪ロングのストレートが好ましいらしい。遥が髪を切って茶色に染めたのを見た湊は嘆いていた。

 もう一つ、アイドル研の独自ルールがあった。恋人がいるとダメなのだ。

「紗那さんは彼氏いないんですか?」

「いたら、アイドル研代表にはなれないからね」

 優莉が意味深に笑うから、遥は驚く。

「まさかこのために別れたんですか?」

「さすがにそれはないよ! 元からいないの」

 紗那は笑って否定する。そこでさらに優莉が口を出す。

「逆なんだよー。彼氏作っちゃいけないのを口実にしてんの」

「優莉!」

 四月生まれで成人している優莉は一人で缶チューハイを開けていた。酔っているのか機嫌よく笑う。

「確かに、紗那さんもてそう」

 美咲は得心顔で何度もうなずいた。

「わかるわー。好きでもない人から好かれるの面倒ですよね」

「面倒って、あんた」

 里絵奈が呆れたように言うと、美咲は「面倒でしょ?」と遥に振る。現在進行中の件以外で過去に恋愛経験のない遥は、さあ、と首を傾げるしかない。美咲は「もー!」と憤慨しつつ、今度は紗那に振る。

「面倒ですよね?」

「え、えっと……そんなこと言ったら相手に悪いんじゃない?」

 紗那は戸惑ったように優莉を見た。

「紗那もそのくらいでいいんだよ。気使いすぎ」

 優莉は隣に座る紗那の肩に自分のそれをぶつけて、一転静かに微笑んだ。

 遊園地で紗那に怒られたことは里絵奈にも話していたから、見合わせた一年三人の顔に「何かあるのかな」とそれぞれ書かれていたのは言うまでもなかった。

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