第三章 湖畔のコードネーム(3)

「えっと、ごめんね?」

「なんで遥ちゃんが謝るの?」

「うーん、なんとなく」

 一年が先に行って並んでおくようにと言われたアトラクションの列に、遥は史郎と二人で並んでいた。

 目当てのコースターの列の最後尾が見えた辺りで、美咲が「飲み物買ってくる」と言いだし、里絵奈を引っ張って、「細川君も!」と湊も連れて行ったのだ。里絵奈は苦笑していて、湊は二つ返事で美咲の誘いに乗っていた。

 今日、美咲はずっとそんな感じで、何かと言えば史郎と遥を近づけようとしていた。しかし、あからさますぎていたたまれない。遥が美咲に頼んでやってもらっていると史郎に誤解されていたらどうしようと、遥は気が気じゃなかった。

 横目に史郎を見る。

「怒ってない?」

「え、別に。なんで?」

「不機嫌そう……」

 遥が言うと、史郎は眉間に皺を寄せた。

「いや、これは……。細川が……」

 勝手に気を回すから、とぼそぼそと史郎が続けた後半は、遥にはよく聞き取れなかった。

 先々週、ハンドメイドのイベントで少し史郎と距離が近づいた話は、美咲や里絵奈にもしていない。それを話して心配しなくても大丈夫と言うべきか。……逆にもう一息だと、より積極的に応援されることになるかもしれないから、言わずにいるべきか。

「どうしたらいいのかなぁ」

 独り言のつもりでつぶやいた遥に、「あのさ」と史郎が言葉を返した。

「悪いんだけど、もう少し待って」

「え?」

 列が進む。史郎を見て止まっていた遥の手を引いて、彼は前に詰める。遥は促されるまま歩き、恐る恐る尋ねた。

「……何を?」

「何をって、それは俺が――」

 史郎はここで初めて遥に目を向けて、はっとしたように言葉を切った。

「いや、ひっかけようとしてもダメだから」

「そんなつもりないんだけど……」

「それ含めて、待って」

「うん……」

 若干不満に思いつつ、遥は了承する。史郎はほっとしたように視線を前に向けた。

 もう遥もなんとなくわかっている。

 史郎には嫌われていない。好かれていると思う。それはたぶん、従姉の瑠依や舞依まいと違う意味でだ。

 別に遥から言ったっていいのだけれど、待ってほしいと言われたら何も言えなくなってしまった。

 自然に握られていた手を、遥はぎゅっと握り返した。それで史郎は自分の所業に気づいたらしく、慌てて手を離す。

「悪い」

「全然」

「……怒ってんの?」

「全然」

 ぶっきらぼうに短く答えると、史郎は「全然って感じじゃないんだけど」と小声で言った。

「そういえば、そのシュシュ、夏子さんの?」

 史郎は少し視線を泳がせたあと、さっきまで繋いでいた遥の手首に嵌るシュシュを指差した。遥は気を取り直して、腕を目線まで上げて、史郎にも見えるようにする。

「うん。こないだ買ったの」

 山根夏子やまねなつこは、遥の姉の南と一緒にハンドメイドの編み物作品を売る準備をしていた。その直前に姉が亡くなったあとも彼女は一人で続けていて、それを手伝いにハンドメイドの展示即売イベントに行ったのだ。

 手首からシュシュを外して、史郎に渡す。白をベースに微妙に色の違う水色二色が使われた、南と夏子のユニットwhite-picotホワイト・ピコを象徴するパステルカラーのシュシュだった。

「相変わらず、丁寧だな。……色数を抑えると子どもっぽくならないのか……でも減らせばいいってもんでもないだろうな、だから近い色の二色か?」

 途端に興味深そうに分析しだす史郎に、遥は微笑んだ。

「店番してるときに教えてもらってたんだけどね、さすがに時間足りなくてまだうちに作りかけが置いてあるの」

 作りかけどころか、一段目で力尽きている。「今度教えてね」と言うと、史郎はうなずいて、シュシュを遥に返した。

「シュシュなんて使うの? 髪また伸ばすつもり?」

「それはわかんないけど。シュシュは手首につけてもいいし。ブレスレット代わり」

 もう一度手首に嵌めて見せて、遥は、はっと気づく。

「あ、史郎君からもらったやつは、こっち。鞄に付けてる」

 斜め掛けしたショルダーバッグの金具には、誕生日に史郎からもらったレインボーカラーのブレスレットを付けていた。紐で縛るタイプなので着脱が簡単ではなく、キャンプには不向きだと思ってそうしたのだ。

「そうだよな。留め具は考えないとな」

 説明せずとも察したのか、史郎はため息を吐いた。そのまま腕組みをして考え込みそうになるのを、遥は引き止める。

「史郎君、こないだ言ってた瑠依さんの部屋のことなんだけど」

「ああ、どうするか決めた?」

「え、と……まだ」

 遥は視線を落とす。

「父には話したんだけど、母に言いだせなくて……」

「ああ……」

 姉が生前一人暮らししていた部屋に母が通っていることを、史郎には話してある。

「結局、遥ちゃんはどうしたいの?」

「私は……できるなら一人暮らししてみたい……でもお母さんとまたこじれるのは嫌だなぁって」

 やっと姉の不在をきちんと受け止められるようになったところだった。遥が一人暮らしをしたいと言いだすことは、良い方向に変わるかもしれないし、悪い方向に変わるかもしれない。全く読めない賭けになる。それが怖かった。

「お父さんからも、お母さんの気持ちを無視するなって言われてるから」

 遥が顔を上げると、史郎はこちらを見つめていた。

「もうちょっと待ってもらってもいい?」

「ああ、大丈夫だと思う。瑠依ちゃんが引っ越すのは早くても来月だと思うから」

「そうなの? 良かった。ごめんね。瑠依さんにも伝えておいて」

 遥がほっとして笑顔を浮かべると、史郎はうなずいてからメガネを直しつつ視線をそらした。

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