第二章 二人で奏でる分散和音(7)

「何か買ったの?」

 合流したブースを離れると、史郎に聞かれた。ブースを離れるときに「ありがとうね!」と愛想よく挨拶されたせいだ。秘密だって言ったのに。

 遥は仕方なくうなずく。

「うん」

「何?」

「うーん……えっと、秘密」

 遥が笑ってごまかすと、史郎はふっと目をそらして歩き出した。

「史郎君、待って」

 置いて行かれそうになった遥は、史郎の手を引いた。

 史郎は、びくっとして振り返る。勢い、遥の手は彼に振り払われた形になった。遥は驚いて固まってしまったけれど、史郎も目を見開いていた。

 一瞬のあと、史郎は我に返って、

「あ……悪い」

「ううん、ごめん」

 遥がぎこちなく笑うと、「突然だったから」と返される。

 狭い通路で立ち止まった二人を押しのけて、人が通って行く。それに気付いた史郎が遥を促した。

「行こう。止まってると邪魔になる」

 回れ右をして歩き出す史郎の背中に、遥は小声でもう一度謝った。

「ごめんね」

 それが届いたのか、史郎はばっと振り返った。

 そして、遥の手を掴む。

 一度振り払われた手が、再び史郎に繋がれている。

 状況がいまいちわからず、ぽかんとしたまま、遥は史郎に手を引かれて歩いた。人で溢れた通路を一気に抜けて、壁際まで出る。

「さっきはごめん」

 遥の手を離した史郎は、軽く頭を下げた。

「え……? え、あの……。別に大丈夫だよ?」

 確かにショックだったけれど、突然触られたら驚くのは当然だ。そこまで謝られるほどのことだっただろうか。

 顔を上げた史郎は眉間に皺を寄せてメガネを直す。だから、遥はわざと明るい声で文句を言った。

「でも、史郎君は急に手を繋いできたりって、何度もやってるのに」

「ああ、そう。そうなんだよ」

 切羽詰まったように繰り返されて、遥は首を傾げた。

「俺、今まで何も考えてもなくて」

「うん?」

 史郎は俯くようにして、聞いた。

「遥ちゃんは俺に手繋がれて嫌じゃなかった?」

 今さら何を言っているんだろう。嫌だったらそのときに振りほどいているし、自分から繋いだりしない。

「うん、全然嫌じゃないけど?」

 遥が答えると、史郎は息をついた。目に見えてほっとしている。

 嫌じゃない理由を聞かれたらどうしよう。そんな遥の心配は杞憂で、史郎は壁に寄りかかるとその場に座り込んだ。

 立てた膝に両腕を伸ばして乗せ、ぐったりと座る史郎。

 そんなに気にしていたのかと思うと、遥の心臓は音を立てた。

「なんでそんなこと聞くの?」

 かすかな期待を込めて、遥は恐る恐る尋ねた。

「突然思いついて、気になっただけだから」

 史郎は顔も上げずにぼそぼそと答えた。

「なんで気になったの?」

「なんとなく」

「なんとなく」

 遥はそのまま繰り返した。少しだけ腹が立ったけれど、このまま追及して、もし自分に矛先が向いてしまったらうまく答えられなくて困るのは目に見えている。

「まあいいけど」

 そう切り上げて、遥は彼の左隣に並んで座った。

 それにしても、今まで史郎は何も考えずに遥の手を握っていたのかと思うと、いちいち気にしていた自分が馬鹿みたいだ。

 膝の上に乗っていた史郎の左腕を引いてこちらに引き寄せると、遥は仕返しのつもりでその手を握った。

「史郎君は? 嫌じゃない?」

「……嫌じゃない」

 史郎は伏せたまま、遥の手を一度離すと、指を絡めるように握り直した。史郎の長い指は遥の甲まで届く。

 くぐもった声で聞かれる。

「嫌じゃない?」

「全然」

 遥は空いている手で熱を持った頬を押さえた。返り討ちにあった気分だ。

 しばらく二人で黙って座っていた。

 外に出られる搬入口が解放されていて、そこから時折風が入ってくる。空調は入っていても、通路やブースの中は人の熱気で暑いくらいだった。しかし、この壁際は人が通らない。少し離れたところに同じように座って休んでいる人はいるけれど、喧噪は遠く、エアポケットのようだった。

 史郎はずっと膝に乗せた右腕に突っ伏していて、遥は彼の後頭部を見ていた。

 手に汗をかきそうで困るなと思ったとき、史郎が遥を呼んだ。

「今度、瑠依ちゃんの部屋が空くんだけど、家具そのまま置いていくから、遥ちゃんが引っ越して来たらどうかって」

「え?」

 史郎は首を回すようにして遥を見た。

「あの部屋に住まない?」

 一緒にと誘われているのかと思って、遥が目を回しそうになったのは、史郎にはばれなかったようだ。

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