第二章 二人で奏でる分散和音(2)

 輪になっているヘアゴムに長編みを一つ編みこむ。それから鎖編みを一つ。また長編み、鎖編み。そのセットを九十二回編むのが一段目だった。

 ……九十二回。

 すでに、遥は二十回目あたりで数え直している。

「うわぁ、またわからない……」

 たぶん五十六か五十七だ。数え直すのもうんざりして、遥は音をあげた。

 一連のセットがもっと多種の編み目でできているのなら、模様から何目編んだのか判断しやすいのに、延々ずっと長編みと鎖編みだと数えるのも大変だった。

「夏子さぁん、無理ですー。数えながら編むの、全然できません」

 隣に座る夏子に泣きつくと、彼女は「あはは」と明るく笑った。はっきり聞いてはいないけれど、姉よりいくつか年上の夏子は三十歳前後だろう。茶髪をニットのヘアバンドでまとめ、瑠依のようなばっちりメイクのキャリア系タイプとは違った、気後れせずに付き合える親しみやすいタイプの人だった。

 夏子は机に吊るしてあるウォールポケットからメモ用紙とペンを取り出して、遥の前に置くと、

「十回ごとにチェックしたらいいわよ」

「あーなるほど」

 東京湾に面した大きな展示場で開催されているイベント、ACTエーシーティー。夏子の手伝いに来ている遥は、開場して一段落したところで夏子からシュシュの作り方を習っていた。

 五月に史郎と一緒に「ハンドクラフト・バザール」という同じようなイベントに来たけれど、そのときは客――「一般参加者」と呼ぶらしい――としてだった。今日は出展者として参加している。

 一般参加者の入場時間より前、遥が会場に着いたときには、床が白いテープで区切られて、ところどころにパーテーションが立てられたり机や椅子が置かれたりしている他は何もなく、がらーんとしていた。それが、出展者が集まり作品が並べられていくと、たちまち色が溢れる会場になった。開場してからは、人も溢れ返っている。そうでなくても、八月最後の土曜日。「熱中症対策は万全に」と夏子に注意されていた。

 出展者が借りるブースには大きさの違いがあり、夏子は小さい方のミニブースを借りていた。一畳くらいだろうか。会議用の長机に、遥たちが座っているパイプ椅子を置いたら、ほとんどぴったりだった。かろうじて出入りする隙間があるくらいだ。

「机と椅子は別料金なの。最初のころはパーテーションも借りてたんだけどね」

 夏子が教えてくれた通り、皆が同じ机を使っているわけではなく、自前の机や棚を持って来ている出展者もいるようだった。

 夏子は机に布を敷いて、組み立て式の金属製のラックを乗せた。それが机の半分を占めている。ラックには帽子や鞄など大きなものを飾り、机の方にシュシュやブローチといった小物を並べていた。すべてニット作品だ。

 そのシュシュを見て、遥が「かわいい!」と声をあげたところ、「作ってみる?」となった次第だった。店番しながら時間があったら作れるように、材料と道具を持って来ているそうだ。

 メモ用紙に「正」を書きながら、なんとか九十二セットの長編みと鎖編みを編み上げたところで、遥は力尽きた。

 夏子が南と始めたニット作家のユニットwhite-picotホワイト・ピコは、名前の通り、白やパステルカラーの作品が多い。なので、夏子がくれたコットンの毛糸も淡いピンクだった。

 そういえば、南の服の趣味も淡い色だった。南の真似をしていたころは遥もパステルカラーの服を着ていた。それはそれで好きだったし、無理をしていたわけではなかったから、今でも着る。しかし、「お姉ちゃんだったらどれを選ぶか」を意識せずに買うようになったら、途端にはっきりとした色合いのワードローブになっていった。

 夏休み前に知り合った姉の友人、高野茗子たかのめいこに昔の写真を見てみたらと言われて、小学生のころのアルバムを開くと、スカートばかりの姉とは対照的にショートパンツ姿が圧倒的に多かった。

 ずっとメールでやりとりしていたから、夏子と直接会うのは五月以来二度目だ。あのときは遥はまだ南とそっくりの格好をしていた。南が亡くなったことを知らなかった夏子は、遥を見て「南ちゃん!」と呼んだのだ。「姉は亡くなりました」と返したときの申し訳なさは、何度でも謝りたいくらいだ。

 だから、今日はあえて南は着そうにない服を着てきた。熊のような犬のような謎の動物の線画調のイラストがプリントされた黒いTシャツに、ロールアップジーンズ。赤系のチェックのロングシャツも羽織っていたら、white-picotの作品とはイメージが合わない格好になってしまい、シャツの代わりに六月の誕生日に夏子からもらったストールを巻いてごまかしていた。とはいえ、夏子もどちらかと言えばエスニック風のラフなスタイルで、white-picotの作品とはイメージが違う。あまり気にすることではないのかもしれない。

「ストール、ありがとうございます」

「使ってくれてるのね」

「はい! 気に入ってます。すごく綺麗で」

「そう? 良かった」

 夏子はうれしそうに目を細めた。

 ブースの内側に座って通路を見ていると、横目でちらっと見る人はまだいい方で素通りする人も多いことに気付く。立ち止まって手に取ってくれる人はなかなか貴重だ。それからさらに買ってくれる人となると、来場者に対しては本当にごくわずかの割合だろう。開場してから一時間ほどで、シュシュが二つと、ラリエットが一つ売れただけだった。夏子から「シュシュを作ってみる?」と言われたとき、そんな暇はないんじゃないのかと思ったけれど、全然そんなことはなかった。斜め向かいのブースでも、出展者らしき女性が羊毛フェルトをちくちく作っている。

 売り子が手持無沙汰にしていると、待ち構えられているようで客に引かれてしまうこともあるのかもしれない。「いらっしゃいませ、じゃなくて、こんにちは、ね」と最初に夏子に教えられた。

「今日はお客さん、多い方ですか?」

 そう尋ねると夏子は苦笑した。

「うーん、イベント全体なら多いかもしれないけれど、うち的にはそうでもないかな。ニットは夏はね、けっこう厳しいわね。やっぱり」

「そうですよねー」

「もう今から冬用の作品を作っておいて、次の十一月でどーんと並べる感じね」

「そういえば、史郎君――五月に一緒に来ていた彼ですけど――、史郎君も冬用のストールとか編んでました」

 遥は夏休みになっても毎週土曜日に史郎の家に行って編み物を習っていた。モチーフ一個でできる小さな作品は卒業して、姉がデザインしたモチーフを繋げてストールを作ろうと決めてから、一ヶ月ほど。あんまり進んでおらず、冬までにできあがるのか怪しかった。

 高校時代にアルバイトしていたファーストフード店に夏休み中だけまた雇ってもらい、平日昼間はそこで働き、夕方は四月から続けている家庭教師――近所の中学生の宿題を見てあげていた。先週から教習所にも通っている。逸見里絵奈へんみりえな浜崎美咲はまさきみさきとも、花火大会に出かけたりした。充実しているせいで編み物が進まないというのもある。

 でも、自分で何か作るより、人が作ったものを見る方が、自分は好きなんだろうと、遥は気付き始めていた。

「彼、作る人なの?」

 夏子が驚いた声で言ってから、「あ、でも、プラモとかだったら違和感ないわね」と続ける。

 遥はスマホのアルバムから、史郎が作ってくれたストールの写真を表示して夏子に見せる。瑠依の披露宴のときの写真だ。遥のオレンジ色のワンピースに合わせた薄い黄色のレースのストール。「ひまわり?」と遥が聞いたら、難しい顔で「方向性としてはそう」と答えていた。

 夏子からは一日ずっと店番していなくてもいいと言われていたから、本当は今日、史郎も誘うつもりだったのに、用事があると言われてしまった。先ほど、瑠依からメッセージがあり、帰りに和田家に寄ることになった。史郎に新婚旅行の土産を預けたと瑠依が言うからには、自宅にいるのだろう。今週は彼に会わないで終わるのかと思っていたから、うれしい。会場を見て回って何か見つけたら、史郎に教えてあげよう。

 夏子は、史郎の作品を見て、感心したように、

「わー、きっちりしてる。綺麗だわ」

「編み物はパズルみたいでおもしろいって言ってました」

「パズルかー。なんとなくわかるわ」

 史郎は自分でデザインせずに、手芸店のワークショップ講師の作家がデザインしたものを編んでいるそうだ。夏子が編んでいるのも南がデザインしたものだと聞いた。

「史郎君は自分はデザイナーじゃなくて職人だって言ってたんですけど、夏子さんは? 自分でデザインするんですか?」

「そうね。売ろうと思ったのは南ちゃんと出会ってからだけど、その前から作ってはいたから」

 夏子は机に並べた小物を指して、

「この辺の小さいのは、私のデザイン。南ちゃんはモチーフが得意だったから、ストールとか鞄は南ちゃんデザインね」

「色はもしかして姉の趣味ですか?」

「そうそう。彼女は、自分が欲しいものを作る人だったから」

 夏子は少し遠くを見るように顔を上げて、懐かしそうに微笑んだ。

「ホワイトって名前に付けて、パステル調で統一した方が、ブランドとしていいかなって、私も南ちゃんの趣味に合わせたの」

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