第二章 二人で奏でる分散和音(1)
「あれ?
LDKのドアを開けるなりそう聞く
「今日は来てない」
従姉の瑠依は、ちょうど一月ほど前に結婚して、
「どうして? 何かあったの?」
真剣に心配していそうな声だったから、史郎は顔を上げた。
「元々毎週来てるわけじゃないから。今日は、
ACTは、正式には「アート・アンド・クラフト・トーキョー」という。アート作品やハンドメイド作品の展示即売イベントだ。五月に
遥の亡くなった姉、
先週、夏子に誘われてACTに行くと遥から聞いたとき、なんともいえない気持ちになった。今まで、遥が編み物やハンドメイドに関わるとき、そこには必ず史郎がいたのだ。
「史郎君は、来週……」
「俺はやることがあるから」
「そうなんだ……」
彼女はきっと史郎を誘おうとしてくれていたのだと今ならわかる。しかし、あのときは、なんだかおもしろくなくて、遥の言葉を遮るようにして断ってしまった。
結果、遥は夏子とACTに行き、史郎は特にやることもなく朝から編み物をしている。時計を見ると十一時――開場時間だ。
「なんで一緒に行かなかったのよ」
経緯を説明したわけでもないのに、瑠依は呆れた表情を史郎に向ける。
「うるさいな」
編み物を再開したものの、瑠依から無言の圧力を感じて、史郎は渋々答える。
「遥ちゃんはお姉さんの友だちの手伝いに行ったんだよ。邪魔したら悪いだろ」
「出展の手伝いなの? だったら、お客さんとして会いに行くのは問題ないわよね」
手芸店を経営している史郎の母は、店の名前で手づくり市などのイベントに出ることがある。自分や史郎が作ったものの他、店でワークショップの講師をしている作家の作品も集めて販売するのだ。その話を聞いたり、売り子に駆り出されたこともあるため、瑠依もこういったことに詳しい。
「新婚旅行のお土産買ってきたのよ。史郎、これ持って行って、遥ちゃんに渡してよ」
「はあ? なんで。今日じゃなきゃダメなわけ?」
「消費期限があるの」
手渡されたのはチーズケーキの箱だった。『北海道』とか『牧場』とか、日本語が書いてある。新婚旅行というからなんとなく海外に行ったのだと思っていた。
「新婚旅行、北海道だったの?」
「あんたって、興味ないことは本当に聞いてないわよね」
お盆から少しずらして夏休みを取って出かけていたことと、おととい帰ってきたことはちゃんと覚えている。失礼なと思ったものの、ここで反論しても無駄だとわかる程度には学習している史郎だった。受け取った箱に『要冷蔵』のシールを見つけ、
「今、真夏なんだけどさ、これってこのまま持ち歩いて大丈夫なもの?」
「そういえばそうね。……無理よね?」
「たぶんね」
史郎はチーズケーキの箱を持ってキッチンに入ると冷蔵庫に入れた。瑠依はオープンキッチンのシンク越しに、「これも」と生チョコレートや海産物の箱を史郎に差し出す。
「遥ちゃんのは? どうするの?」
「保冷箱とかないし、こんな大きいの持ち歩くの大変だし、帰りに寄ってもらう」
「そうね、私から伝えておくわ」
瑠依はスマホを振って見せる。
「遅くなりそうだったら私のところに泊まってもらって。今日、私いないけど」
「ああ、うん」
瑠依の部屋のスペアキーは、史郎の家に一つ置いてある。
「新居決まったの?」
「まだ。……だけど、決まりそうかなってところ」
瑠依は遥とグループメッセージでやりとりしているのか、ソファテーブルの上に置いた史郎のスマホも振動している。半ば上の空で、瑠依は「私の家具は新居に持って行かない予定だから、そのまま遥ちゃんが引っ越して来たらいいのに」とつぶやいた。
それは難しいだろうと史郎は思う。姉の南は同じ大学に通っていても一人暮らししていたのに、遥は隣県の実家から電車で一時間近くかけて通っている。親に反対されたか、遥が気を使ったのかはわからないけれど、南が亡くなったことが原因の一端であることは想像がつく。
編み物の道具をまとめてLDKを出ようとすると、瑠依が呼び止めた。
「ACTに行くの?」
「ああ。……暇だし」
史郎は瑠依に何か言われる前にドアを閉めた。
家に籠って編み物をしていて暇だと感じたことなんて、今まで一度もなかったのに。
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