第一章 夏のドレスコード(8)

 屋上は、ペントハウスの周囲五メートルほどがフェンスで囲まれていて、自由に歩ける範囲だった。その先は、立ち入り禁止で何かの配管が見える。

 昼間よりはだいぶ涼しい。星なんて数えるほどしか見えないけれど、地上は色とりどりの光が滲んだように広がっていた。

 そこには三十人ほどが集まっていた。皆が白衣にメガホンで、こけしを持っているのがおかしい。ほとんど心理学コースの学生のようだ。茗子の紹介で香坂准教授にも挨拶した。

「せっかく高野さんの行動範囲から外れたところを狙ったのになぁ」

 香坂准教授が頭を掻いて残念がると、茗子はメガホンをパンッと勢いよく手のひらに打ちつけた。

「人脈の勝利です」

 北東の方角が喜田龍川だ。もう花火は上がっていた。確かに期待したほど大きくはなかったけれど、ちょうどいい具合に遮るものがなく、丸い光の花が開いて散る様子がよく見えた。遅れてかすかに音も響いてくる。

「来年も参加しようよ」

 遥が言うと、里絵奈が「来年は高野さんもういないんじゃない?」と首を傾げる。

「心理学コースの知り合い他にいる?」

「いない」

 遥と里絵奈の腕を美咲が引く。

「じゃなくてさ、来年は会場に見に行こうよ」

「あ、そっか」

「それなら、今年まだ他にあるよね」

 そんな話になったとき、遥は茗子に手招きされた。遥が近付くと、茗子は、皆から離れたところにひっそりと立つ隼人を指差した。隼人は花火よりも景色を見ているようだった。

 茗子は遥に耳打ちする。

「隼人に『牟礼君』って声かけてきな」

「え、それって」

「いいから、ほら」

 茗子に背中を押され、隼人に向かって歩き出す。

「今だ」

「む、牟礼君っ!」

 遥がそう呼ぶと、隼人は勢いよく振り返った。遥を見て表情を凍りつかせたのは一瞬で、すぐに力が抜けたようにフェンスに寄りかかった。

「先輩、すみません」

 遥は慌てて謝る。

「生きていることが大事だってわかったか?」

 茗子が遥を追い越して隼人に近付く。強い風が吹き抜けた。

「まだ見えてるって言うつもり?」

「ああ」

「手に負えない」

「どうにかしてほしいわけじゃない」

 強風のせいで遥には二人の会話がよく聞こえない。隼人は茗子を片手で押しのけるようにして歩き出すと、ペントハウスの方に行ってしまう。遥は彼を追いかけた。

「隼人先輩、ごめんなさい」

 遥が声をかけると、隼人は立ち止まった。

「遥さんは悪くありませんよ」

「でも……」

 遥は知らないけれど、おそらく南は隼人のことを「牟礼君」と呼んでいたのだろう。

「生きていることが大事って……メイから何か聞きましたか?」

「え。えっと……先輩はお姉ちゃんのことをずっと想ってるとか、そういう……」

「ああ、そっちですか」

 隼人は息をつく。

「遥さんは、僕が南さんのことをずっと想っているのはおかしいって思いますか?」

「そんな風には思ってませんけど……」

 遥は隼人を見上げる。

「先輩はつらいんですか?」

「いいえ、全く」

 隼人は即座に否定した。

「それならいいんじゃないでしょうか」

 遥がうなずくと、隼人は目を瞠った。それから、ふと視線を逸らして、微笑んだ。

 茗子かと思って振り返ろうとすると、隼人が呼んだ。

「遥」

 驚いて止まる遥に、隼人は一歩近付く。

「君が南を忘れさせてくれるなら、どうかな」

 首の後ろに隼人の手が伸びる。寸前。状況が理解できず突っ立ったままだった遥の頭に何か布がかぶせられた。

「きゃ、何?」

 視界が遮られて、小さく悲鳴を上げる遥の横に誰かが立った。

「遥ちゃん」

 名前を呼ばれると史郎だとわかる。遥はほっとして、

「びっくりした」

「悪い、これ出来上がったから」

「あ、ずっと編んでたストール?」

 暗くて色もよくわからない。頭からはずそうとしたら、何かにひっかかってしまって取れなかった。

「嘘、ごめん。ピンにひっかっかってるかも」

「どこ?」

 右耳の上を指差すと、史郎がストールをめくった。視界が急に開けると、思ったよりも近くに史郎の顔があった。史郎は遥よりも少し背が高いくらいだから、ほとんど目の前だ。驚いて硬直する遥だけれど、史郎はストールが気になるのか全くこちらを見ていなかった。

「わからないんだけど。ちょっと屈んでくれない?」

 両手で肩を押されても遥は動けなかった。そこで史郎も気付いたのか、「うわっ」と声を上げて、跳ねるように大きく一歩下がる。

 くつくつと笑い声が聞こえ、振り返ると隼人が肩を震わせていた。

「先ほどのことは気にしないでくださいね。僕はもう帰ります」

「先輩、白衣は」

「いつでもいいですよ。だいたい研究室にいるので」

 隼人は片手を振って去っていく。

「何なんだよ、あの人は」

 史郎が隼人の背を不機嫌に見送る。

「俺が来たのに気付いてやったんだ」

「あーそれで」

 史郎は「明るい方に行こう」とペントハウスに向かって歩き出す。彼は当たり前のように遥の手を引いた。どういうつもりでこういうことをするのか問い詰めたいけれど、怖くてできない。史郎は相手が瑠依でも舞依でも手を繋ぐ気がする。里絵奈や美咲ならしないかもしれない。しかし、そうすると、身内扱いを喜んでいいのか悪いのか。遥は白衣の背中を見つめた。

「そのストール、明日、使ってよ」

 前を歩く史郎が振り返らずに言う。

「えっ! そのために作ってたの?」

「そうだけど、全然気付いてなかったわけ? 本当に?」

「うん」

「逸見さんも浜崎さんも気が付いたみたいだったのに……」

 呆れた声のあと、ペントハウスの扉の蛍光灯の下に出る。

「そのストール、遥ちゃんにあげるから」

「なんで?」

「なんでって……こないだの買い物と着せ替えの件の迷惑料みたいなもんかな……」

「でもあれは史郎君だって付き合わされた側でしょ。それに瑠依さんからワンピースもらったし」

「これ、いらない? もし気に入らないなら……」

「ううん! 欲しい! とっても素敵だと思う」

 遥が意気込んで言うと、史郎は「ならいいけど」と小声で言ってから、

「気に入ったならもらってよ」

「うん、じゃあ、遠慮なくいただきます。ありがとう! ホントにいいの? こんなに素敵なのに」

「できあがりを見てもないのに」

「史郎君が作ったものだから、絶対素敵だよ」

「大げさだな……」

 史郎が右に回るから、遥は少し屈んだ。ピンからストールを外すとき、史郎の指が遥の耳を掠めて、心臓が鳴る。

 ――隼人に付き合ってくれと言われたらどうするか。

 茗子にそう聞かれたのを思い出した。

 イエスと答えることはないな、と遥は思った。


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ピコット ~夏と秋のコード~ 葉原あきよ @oakiyo

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Webサイト「オレンジ宇宙工場」で、主に短い文章作品を公開中。 「超短編の世界」シリーズ(創英社)、「てのひら怪談」シリーズ(ポプラ社)などのアンソロジーに作品掲載。 豆本作家としても活動中。『豆本…もっと見る

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