第一章 夏のドレスコード(6)

 最後の一つ――毎年アイテムは三つだそうだ――を探すため、遥たちは分担して大学内を回ることにした。

 遥は茗子と一緒だった。美咲と里絵奈が一緒で、隼人と史郎は単独でそれぞれの知り合いから情報収集している。――たぶん、史郎はスマホでやりとりしつつ編み物を続けているだろうけど。

 イチカフェは教養学部と、大教室が入る講義棟が建つエリアの境界あたりに位置する。南北に長い長方形に似たキャンパスからすると、東側の長辺の真ん中といえる。ちなみに地下鉄の駅と正門は南側の短辺にある。遥と茗子は逆時計回りにキャンパスを一周することになり、イチカフェを出て北向きに歩き出した。美咲と里絵奈は時計回りに一周することになっている。

 もう十七時を過ぎているのに、むっとする暑さはあまり和らいでいない。セミの鳴き声がどこかから聞こえていた。甘い匂いに元を探すと、芝生の中にあるクチナシの木に花が咲いている。

「高野さんは」

 遥がそう呼びかけると、茗子は「メイでいい」と遮った。

「メイさんは、姉と仲が良かったんですか?」

「まあ、都歩研の中では、仲良い方だったね」

 彼女はジーンズの後ろポケットに指をひっかけ、上体を反らせて空を見上げる。

「お葬式にも行った」

「あ、はい。……えと、ありがとうございます」

 礼を言うのが正しかっただろうかとまごつきながら、遥は頭を下げる。茗子はそんな遥に視線を向けると、目を細めた。

「あのとき、中学生? セーラー服だった」

「はい、中二でした。……先月、姉の年に追いついてしまいました」

 遥は視線を落として笑みを浮かべた。仕方ないと史郎に慰められたのを思い出す。

「ああ、もうそんなに経つのか」

 茗子は、ふっとため息をつく。

「私は南の妹に会うのが怖かった」

「え?」

「四月に隼人がメールを送ってきた。南の妹が入学したって写真付きで」

「あ……」

 四月なら、遥は南にそっくりだった。

「すみません。私ずっと姉の真似をしていたんです」

「もう吹っ切れた?」

「はい。そうですね」

「それなら良いけど」

 東門の前の掲示板で「全部確認しよう」と、並んで見ていく。

「忘れろとは言わないけど、捉われすぎるのもどうかと思う」

「はい、そうですね」

「妹はまだマシ」

「え?」

 眉間に皺を寄せて掲示板を見ている茗子を見上げる。

「もしかして隼人先輩ですか?」

「あの男はどうかしている」

 心底心配している様子を感じて、遥は思わず聞いていた。

「メイさんは、隼人先輩とは……どういう……」

「どういう? 関係?」

「えっと、隼人先輩が丁寧語じゃないのが珍しくて」

 遥がそう言うと、茗子は唇を歪めて自嘲した。

「別れるときの交換条件」

「えっ! 付き合ってたんですか?」

「隼人が小笠原から戻ったあと。……小笠原のことは聞いた?」

 遥はうなずく。南が亡くなったのを旅行中で知らなかった隼人は、あとから知ったそうだ。それから傷心を癒すため、三ヶ月ほど小笠原に行って、バイトして生活していたらしい。それが留年の一因だ。

「南以外の女と付き合っていたのは知らなかった?」

「はい」

「隼人に幻滅した?」

「いえ、そんなことは……」

「ずっと姉のことを想っていて欲しかった? 悲劇のロマンスが台無し?」

 首を振る遥に、茗子は畳みかける。

「隼人は南のものだって考えてないか?」

「え……」

「隼人から、南より好きだから付き合ってくれって言われたらどうする? ほら、思いもよらないって顔してる。それが証拠だ」

 遥は否定できない。

「確かにね、あいつはずっと南のことを想ってる。それはいい。でも、南はそうじゃないだろ。南はもう死んでるんだから、あのころと同じに南からも気持ちが、現在進行形で返ってくることなんてないんだよ。得られるのは全部思い出か残り香だ。それを隼人はわかってない。南が今でも……」

 茗子は一度言葉を切ると、

「ま、とにかく、隼人の勘違いはひどい」

「勘違い、ですか」

「そう。言葉遣いもだけど、あの男の場合、おかしな方向にこじらせてるだけじゃないか」

「こじらせてるって」

 六年生の隼人はサークルでも最年長だから、彼をこんな風に言う人に今まで会ったことがなかった。遥はくすりと笑う。

「あのマフラー、南が編んでたやつ?」

「あ! はい、そうです。すみません、私が姉の部屋から持って来て、隼人先輩に続きを編んだらどうかって勧めたんです」

「あれで気が済むならいいけど」

 姉が生前一人暮らしをしていた部屋は、両親が借り続け、今でもそのままになっている。遥はこの春までそれを知らなかった。

 そのことを話すと茗子は目を伏せた。

「皆、そうなのか。私が冷たいだけ?」

「いえ、そんなことないと思います」

 遥は茗子の腕に触れる。

「メイさんは生きてる人に優しいです。だって、隼人先輩から姉のマフラーを取り上げたりしなかったですもん。私にも吹っ切れて良かったって」

 茗子は目を瞬かせる。そっと遥の髪に手を伸ばすと、顎のあたりにある毛先を軽く指で摘まんだ。

「五年前もこのくらいだった。おかっぱ頭で」

「え、そうでした?」

 にやりと笑うと、手を離す。

「南が言ってた。妹は自分のお下がりを嫌がったって」

「姉がそんなことを? 全然覚えてません」

「小学生のころのアルバムを見たらいい」

 そういえば、姉が写っている昔の写真を、遥はずっと見ていない。ホームビデオだって何本もあったはずなのに、きっとどこかにしまわれてしまっている。

「さて、真面目にドレスコードのヒントを探さないとな」

「はい、そうですね!」

 伸びをする茗子に、遥もうなずく。視線を動かすと、掲示板の脇の生垣の向こうにブロンズ像が見えた。

「あ、メガホン片づけられちゃったんだ」

「ん?」

 槍投げのようなポーズの男性像を指差し、遥は笑う。

「あの銅像、朝、メガホンを首から下げてたんですよ。野球の応援みたいな黄色の……って!」

 そして、話しながら思い至った。

「もしかして!」

「それだろうね。なんでもっと早く気づかない?」

 呆れた調子で言って茗子は歩き出す。大股でずんずん進む彼女のあとを、遥は「すいません」と小走りで追いかけた。

「どこに行くんですか?」

「そこの守衛室。メガホンを片づけたのが彼らなら、保管してるかもしれないだろ」

「そうですね」

「引き取ったら一個買わなくてすむ」

 茗子はちらっと遥を振り返った。

「メガホンってどこに売ってるんだ?」

 こけし班にまた依頼しないとならないだろう。そう思ってからさらに重大なことに気づき、遥は「あっ!」と大きな声を出す。

「もしかして、こけしもサークルから引き取ってくれば良かったんじゃ?」

 立ち止まった茗子と顔を見合わせる。

「……そうだな。うっかりしてた。……まあそういうこともあるな」

「ですよねー」

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