第一章 夏のドレスコード(1)

 牟礼隼人むれはやとは、ふと風を感じて窓の方を見る。怪談めいた話が始まったせいだろうか、女が宙に浮いていた。彼女の身体は半分透けていて、背後の窓の景色がうっすら見える。コナラの葉が夏の日差しを弾くのを、彼女の体が和らげていた。白いふんわりとしたワンピースの膝から下は、煙のようにもやもやとして、形になっていない。

 彼女――柘植南つげみなみが交通事故で亡くなってから今度の十二月でちょうど五年。この春に南の妹の遥と知り合って、別の角度から南を知る機会を得た。そのせいで、南はもう現れなくなるのではないかと心配していたのだけれど、杞憂だったらしい。

 南は隼人を見つめ、血の気の引いた顔でにっこりと微笑んだ。隼人も笑顔を返す。周りに人がいなければ話しかけていたところだ。南は口をきかないが、身振り手振りや、物を動かしたりして返事をしてくれることがあった。

「牟礼さん?」

 呼ばれて振り返ると、その場の皆が隼人を見ていた。

「窓の外に何かあるんすか?」

「まさか、白衣が見えたとか」

「いえ、何もないですよ」

 せっかく現れてくれた南から視線を逸らすのは心苦しいけれど、円滑な社会生活のためにはしかたない。隼人は話の輪に戻ることにした。所属するゼミの同期――と言っても隼人は二年留年しているから他の三人の方が年下だ――で集まっており、夏休み中に予定されているゼミ旅行の打ち合わせから雑談に流れたところだった。学内のあちこちで深夜に空飛ぶ白衣が目撃されているらしい。

「牟礼さん、もしかして霊感あるんですか?」

 噂の提供元の尾形おがたが、隼人に聞く。

「ありませんよ、霊感なんて」

 見えるのは、南だけだ。

「空飛ぶ白衣でしたっけ?」

 話を向けると、尾形は何度もうなずく。

「そうです、そうです。四階の窓の外を、こう、すーっと」

 彼は手を左から右に動かした。

「釣竿みたいなもので吊れば、どうです?」

「白衣の上には何もなかったみたいです」

 否定する尾形に、久保田くぼたが突っ込む。

「お前が見たわけじゃないんだろ」

「まあそうだけど。建物からちょっと離れてたんだってさ」

「誰情報?」

「友だちの友だち……の友だち?」

「なんだよ、それ」

「わかった。ドローンだ」

 矢本やもとも混ざり、隼人そっちのけで話が盛り上がっていく。

「ドローンで吊り下げる」

「無理だろ。重すぎじゃね?」

「だから、上には何もなかったんだって」

「うーん、じゃあ、逆に下から長い棒で持ち上げる」

「四階だろ」

 黙って聞く隼人の手元に、細い指が伸びる。紫に変色した爪がゼミ旅行の資料の上を滑り、ある文字の上でぴたっと止まった。隼人が指を重ねると、南の指は次の文字に移動した。隼人の指もそれを追う。

 メ。イ。

 南を見上げると、彼女はうなずいてから消えた。

「なるほど」

 隼人は思わずつぶやく。南がそう言うなら、心当たりは一人しかいない。

「牟礼さん、空飛ぶ白衣の謎、解けたんすか?」

 久保田の質問には答えず、

「君たち、予備の白衣を持っていますか?」

 三人はそれぞれうなずく。隼人もだが、全員すでに白衣を着ていた。

「実証でもするんですか?」

「そうですね。僕の予想が当たっていたら必要になるので、用意して、ここで待機していてください」

 隼人はそう言うと、ゼミ室を出て電話をかけた。

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