8話―4 裁きの第三王女



 黒馬の馬車が魔界を繋ぐ回廊を駆けます。

 目的地は【ゲブラー】――ヴィーナが裁判を受ける事となる、魔界唯一の法廷です。

 けれど私も、そして姉様も【ティフェレト】の王族である限り――その裁判への口を出す口実を持ちえていません。

 それは私達が、【ティフェレト】の魔王の名の元にヴィーナを追放したのですから……。


「ローディ君、レゾンちゃんが言った事――本当なのかな。」


 ヴィーナの件はもう私達にはどうする事も出来ないから、やっと落ち着いた私は今自分が【ティフェレト】の王族として求められる事を成すための決意を固めて居る所――なのですが、言いようの無い不安が先程から消えません。


 それはレゾンちゃんとノブナガ様が、私達に関わる一つの事態を目撃し――そこに関連する存在を突き止めたから。

 止まらない不安のままに、同席してくれるローディ君へぶつけてしまいます。

 ――今私は、ヴィーナに追放を言い渡した者として傍聴席での見届け役を担うため、再び使い魔として同行してくれるローディ君と黒馬馬車で【ゲブラー】出向中のご身分です。


 その使い魔君は私が【ティフェレト】でのお仕事中は基本お暇を持て余してたらしく、私の仕事を害さぬためとの理由で天楼の魔界こちらや、主惑星あちらを久しぶりに遊覧していたそうです。


 思えばローディ君の本体はルシフェル様であり、あの主惑星にそびえる万魔殿パンデモニウムにその身体が魂ごと封印されているため、魔霊力的な量子体を取らざるをえないのです。

 量子体であれば、受ける時間の制約を最小限にしてあちこち移動が出来るのも頷けます。


「レゾン様は導師側の斥候せっこうでもあったからね。今の状況で導師サイドを詳しく知るのは彼女しかいない上――あのノブナガ殿も、そのレゾン様の意見に共感を示している。」


「本当の詳細は姿、最後の解が浮かび上がるだろう。」


 ローディ君の最もな意見で、私も已む無く納得せざるを得ない状況です。

 不安は確かにつのる一方――ですが私は、少しだけ懐かしさを覚える彼の口調に笑みを零します。


「そういえば――ローディ君、久しぶりにお友達口調でしゃべってくれたね。なんか久しぶりな感じがする~。」


 私が足をパタパタさせながら、笑いかけると――使い魔さんな元天使様が、困ったような顔で答えてくれます。


「うん、ごめんねテセラ。ボクはこの天楼の魔界セフィロト側に存在を定着させる条件として、受け入れてくれる側の魔王に従事するための、使い魔としてのみ許可を受けていたんだ。」


「だから――最初にボクを受け入れてくれたミネルバ様の手前は、使い魔としての態度を取る必要があった。……まあ、なかなかそれが抜けなかった訳で、一度それに戻してしまうとせっかくテセラといる時まで……ね。」


 分かる気がします――ローディ君のそういう所は、やっぱり昔魔界のために光の神様へ怒ってくれた天使様です。

 聞いた話では、ルシフェルと言う天界の天軍を司る偉大な熾天使してんし様――彼は己が仕えるしゅの如き慈愛で、全ての天使を従え――同時に兄弟であるルシファー様の大切な同族である魔族までも慈愛に包んでくれたと言う事です。


 慈愛と……それを生み出す誠実さに真摯さ――それを持つが故の、最高位天使様だったと思います。


 そこまで語った使い魔なお友達が、逡巡しゅんじゅんした後――ちょっと話題を逸らして来ました。

 ふふっ……ちょっと照れくさいって顔に出てますね。


「まあ、それはそれとして――今回の作戦でのレゾン様は、正直本当に見違えたね。まさかミネルバ様に……――」


 ローディ君が振ったお話、それは私も凄いとしか思えず――何かこう、背中にたくさんのお花が咲き乱れた様な熱い感覚で、レゾンちゃんを見てしまいました。


「うん……それはそうだね。とんでもない事件だよ?」


 とんでもない事件の真相……本来今向かっている先での私のお役目は、特段一人でと言うくくりはなく――姉様も同行を検討していたんです。

 そしていざ姉様が「私もヴィーナのためにジュノーと同席して――」と言った時、あろう事かレゾンちゃんたら――


『今回ミネルバ様は、魔界側のバックアップに従事して頂きます。――今のあなたを導師が現れようとする場所へは同席させられません。』


『先の魔界の軌道維持――そこで消耗した魔法力マジェクトロンが回復しきっていないでしょう?』


 それはつまり要約すると――「今のあなたは足手まといだ。」と遠まわしに宣言した様な物でした。


「姉様……驚きすぎて目を見開いてたものね。レゾンちゃんが見抜いてたのは事実だったんだから。」


 気丈に振舞う姉様は、【ティフェレト】の主としての威厳を損なわぬ様――決してその魔法力マジェクトロンが消耗しているなど、誰の目にも分からぬ様に偽装してたんですから。


 先の危機――地球と魔界が衝突する恐れが刻一刻と迫る中、暫定処置として代替の当てが付いた【震空物質オルゴ・リッド】を用い――姉様が一時的に、強制的に魔界の軌道修正を計っていたと言うことです。

 ――が、いくら魔王と呼ばれる者の力が強大であっても限度もある訳で――その事件を境に、姉様は大きく魔法力マジェクトロンを消耗する結果となったのです。

 姉様は自分の管理化にある下層界の魔族が起こした事への責として、その身を掛けて魔界救済に力を注ぎ――今の状態と相成っていたのです。

 

 でも――レゾンちゃんは、そのわずかな違和感すら悟って姉様を被害が及ばない魔界本土の護衛へ回したんです。

 その時の姉様――とても素敵な笑顔で、レゾンちゃんに言ってました。


『ありがとうレゾン。では……そうさせて頂きます――後は、頼みましたよ?』って。


「ミネルバ様はきっと、レゾン様の姿にあの白魔王シュウ様を重ねたんだと思う。――あの魔王様であれば、同じ事をおっしゃったはずだから。」


 ローディ君の言葉で、何だか私まで嬉しくなり――心の底が熱くなる気がします。


「シュウさん――ジョルカさんは生きてるんだね。レゾンちゃんの、心の中で。」


 私はジョルカさんを救えず、心が引き裂かれそうにもなりました。

 けど――あのレゾンちゃんが、ジョルカさんの魂までも継いでくれたその事実が、嬉しくて仕方が無いぐらいでした。


 その嬉しさにひたる中――視界に映る【ゲブラー】への回廊の先。

 目的地である峻厳しゅんげんの地であり――【魔厳の牢獄界マガ・プリズンズ・ヘル】と多くの魔族から恐れられる地が、私の心へ強烈な圧力をもたらします。


 厳しさ、おごそかさ、荘厳そうごんさ――同じ部位を持つ言葉が無限の重圧となって次々と襲い来るこの世界は、正に

 視界に広がる世界の構造だけで、その恐ろしさを魂の奥底に叩きつけられる様な厳格なる様相。

 私は息を飲むので精一杯でした。


「来たよ、アーナダラス。魔界の希望と共に……。」


 だから……隣りで囁くようなローディ君の言葉――それにも気付かぬほどの緊張で、峻厳しゅんげんの世界へと足を踏み入れる事となったのです。



****



 峻厳しゅんげんの世界であるここ【ゲブラー】。

 その地の果てとも言える世界外郭――魔界における唯一の司法【帝魔統法】により、魔族を裁判にかける巨大法廷施設がそびえていた。

 それは正にそこより外の世界は、魔族にとっての地獄であると言う意味を併せ持つ立地条件である。


 魔法陣マガ・サーキュレーダーを描いた様な塔の配置は、万が一の罪人魔族反乱に対する防御の備え―― 一部の巨大なドーム状の屋根を除き、吹きさらしの傍聴席。

 それは、地球が擁する様な法廷の場とは根本が異なる姿――比較にすらならない巨大さは、さながら多くの魔族の目に晒される公開処刑場の様相を呈する。

 裁判を勤める魔王の席を取り囲む、魔界での法を叩き込まれた裁判員。

 傍聴席が最早、格闘トーナメントの観客席並のスケール。

 現に、この場所で反論決闘を目論んだ魔族の決闘が、傍聴席の魔族を大歓声を送る観客に変える事も度々あると言う。


 そもそも魔族らは傍聴のために訪れるのだが、やはり今回もその目には今にも観客へと変貌しそうな――ギラギラとしたたぎりを宿した者が続々と入場している。


 それもそのはず――このたびは史上稀に見る、王族クラスの罪人の裁判。

 それもあろう事か、近年魔界下層界を震撼させたあの【ティフェレト】よりの王族追放者。


 下層界の魔族であれば、その罪人と罪の内容を口伝えで知る者もいるだろう――しかしそこに混じる上層界魔族は、未だヴィーナと呼ばれる罪人が斯様な人物かを知り得ない者が殆ど。

 上層界の魔族からすれば、どの様な愚かで無知な下等が姿を見せるのか――またその者が、どの様に法廷で無様に抗うかを見ようと訪れたのかも知れない。


 魔界の法の頂点に逆らう様な魔族は、この場には訪れていない。

 まだこの場には――


 今この場には、【帝魔統法】にのっとった反論決闘――それを台無しにした張本人、王族を追放された魔族へのさげすみの目が集結し――

 罪人が立つべき壇上を注視している。

 魔界においての法は地球と比べれば簡素で荒々しい。

 検事や弁護人と言った制度は未だ確立されておらず、魔王を中心とする法を叩き込まれた裁判員の多数決による罪の決定が基本だ。

 極めて長命な魔族の寿命も関係し、当然そこに未成年云々と言う概念も存在しない。

 

 ――しかし、その場にいる裁判員のいずれも固い表情。

 そこには最早くつがえる事がないであろう重罰と、それを受けるまだ幼き元王族の少女の心を思い――渋面じゅうめんを作らざるを得ない心情が見て取れる。


 厳格ではある――しかし無情ではない。

 魔界の司法の頂点とは、そういう世界である。


 対して、傍聴席が未だざわめきをとどめない――小声の集合が、すでに辺りの静寂さをも凌駕し始める。

 魔界歴史上この様な事態は異例であり、あってはならない――反論決闘をないがしろにした魔族の醜態しゅうたいを、その無様な末路を見届けようと傍聴席が更なる沸き返りを見せようとした――


 だが、次の瞬間――その傍聴席が水を打った様に静まり返る。

 見開かれる傍聴人の瞳は、罪人が立つ壇上に現れた一人の少女を注視し――そして、魅了された。


 そこに立つは罪人――しかも反論決闘をないがしろにし、王族を追放された愚かなる下賤げせんやから……そのはずである。


 包むその衣服は明らかに罪人用に用意された――しかし、元王族と言うことに配慮したささやかではあるが、なけなしの装飾が揺れる。 

 だが――彼らが魅了されたのは、そんな物ではない。


 その囚人服に身を包んで現れたのは、かつて伝説と言わしめた美貌の魔族――シャス・エルデモアを彷彿させる少女。

 あどけなさが残るもその凛々しさは、いずれ女神の容姿を讃えてもおかしくはないと断言出来る整った顔立ち。

 淡い薄緑のウエーブが、歩みに合わせ肩口でさらさらと流れる。


 彼女は王族の血筋も何も無い流浪るろうのならず者――しかし、そこに立つのはまがう事無き美の化身。


 重罪人――元【ティフェレト】第三王女、ヴィーナ・ヴァルナグスがその壇上へ凛々しく舞い降りたのだ。

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