―贖罪の章―

―投獄 第三王女―

 7話―1 その罪を救うため



「それでは行って参ります……姉様方。」


 薄暗闇の朝。

 小さな少女は先の見えぬまま、かの地【魔厳の牢獄界マガ・プリズンズ・ヘル】への旅路へとおもむく。


 上層界へは下層界間よりも長距離を移動する事となるため、地球で現すならばその裏側までの総距離に匹敵する。

 しかし――少女はこれより、法廷の場へ上がるためにそこへ行くのだ。

 ともすれば、良くて永き投獄生活――もし最悪の判決が下れば、もはやこの魔界の地を踏む事すら許されない可能性すら存在する。


 魔族と言う種族にとって、光量子ひかりさえぎる大気に魔法力マジェクトロンで満ち溢れたこの地こそ唯一の生存圏――外界へ追放されると言う事は、光量子ひかりが満ちる生き地獄へ放たれるのと同義。

 そこで永く生きられる魔族は、高位の魔王ですら皆無であり実質的な死刑宣告とも言えた。


 例外として地球の地上界へ逃亡できたとしても、人里離れた闇夜が限られた生活空間――大都市のような場所では、主の加護を受けた討伐者らに害獣として刈り取られるのが関の山。

 友人である姫夜摩テセラと言う王女が、いかに特別で特殊な存在かを感じずにはいられないほどだ。


 深淵しんえんに蝕まれた少女は、己が理性が上回る事でようやくその恐怖の根幹を沈める事が出来た。

 それは心の奥底に未だ巣食っていると言う事だが、その瞳を見ればそれでも耐えうる意志が輝きと共に刻まれる。


「うん、いってらっしゃい……ヴィーナ。」


 罪人として突き放した――その罪悪感を押し殺し、今は親愛なる妹へ暖かな思いをありったけ贈りたい――両の手が、悲しき旅立ちを待つ第三王女を優しく包み込む。


「大丈夫ですわ。わたくしにはこの様な素敵なお姉様方がいます。それがとても嬉しくて――これから先の試練へ向かうための、力を頂いておりますの。」


 罪人として、その手を汚してしまった妹も同じ――次には会えるはいつとも知れない愛おしき姉、第二王女の手に抱かれながらつたないその手で抱き返す。


 するとその二人をさらに深い愛情が、聖母の慈愛の如く包み込んだ。


「ミネルバ……姉様。」


 愛しき妹を最初に王族へ迎えた【ティフェレト】の主――第二王女ジュノーと同じく妹を見送るために同席する。

 彼女もこの様な事態が訪れるとは想像していなかった。

 それでも――自分が信じて地球へ送り出した妹が、強く立派になってこの地へ戻り――本来魔王である自分が、全うするはずの責務を引き受けた。


 それが嬉しくあり、しかしこの事態には悲痛しか浮かばぬ魔嬢王と言われた女性は、ただ別れを待つ二人の親愛なる妹を共に抱きしめた。


「ごめんなさい、二人とも。私の配慮が至らぬばかりに、あなた達へ悲しい別れを導いてしまいました。本当に――」


 魔王とは思えぬその慈愛が、強く――強く二人を包み、


「本当にごめんなさい……。」


 二人の妹は、大いなる姉の慈愛をその抱く両の手から――つむがれる言葉から、余す事無く受け取った。

 だからそこに悲しみの表情など浮かべない――慈愛に答えるは、陽だまりに揺れる一輪の花の様な輝く笑顔。

 二つの笑顔が姉へ慈愛で微笑み返す。


「ミネルバ姉様、私達は大丈夫です。」


「はい、大丈夫ですわ。」


 その輝く微笑みは魔王の心にも伝わり、最愛の妹の試練への旅立ちを最高の面持ちで送れる。

 そしてその時を告げる鐘ともなる言葉は、元第三王女を最悪の地へ連行する番人達――【ゲブラー】の魔王に仕える監査官が、しばしの憂慮の時間を終えて宣言した。


「そろそろ時間となります。お辛いでしょうが、これより【ゲブラー】へお送りします――では、ヴィーナ様。」


 つたない手が姉から離れる――だが、そこに悲痛は無い。

 決意の瞳で凛々しく――堂々たる歩みには、監査官らも息を飲む。

 おおよそ罪人の姿などでは無い――やはり彼女も【テフィレト】がほこる王族。

 そこに血縁関係が無いなどと言う無粋な言葉も挟めぬほどに、ヴィーナ・ヴァルナグスは王族であった。


 そして最後――その視線が送られた先。

 そこに立つのは新しき彼女の姉様――最強の頂きに辿り着きし吸血鬼レゾン。

 無言の瞳に込められたのは、願いと信頼――彼女の決意の根幹は、と言う確信。


 決意の瞳へ、返すは自信にたぎる不敵な笑み。

 それはあたかもこの事態を見越していたかの様な、計算された策士の面構え。

 何よりも赤き吸血鬼は、「守らせてほしい」と告げた。

 第三王女にとって素敵な姉様達の思いとは、まさしく吸血鬼の思いも含んだ物であるのだ。


 別れの挨拶が済むと共に、監査官が呼び寄せたのは魔界の魔獣内でも最強の部類に当たる【竜種ドゥラグニート】。

 通常峻厳しゅんげんの地へと罪人を移送する際は、抵抗等を考慮し対応戦力としての力を持つ三つ首の番犬【魔獣ケルベロス】を遣わすが、王族クラスの大物を移送する場合、【竜種ドゥラグニート】が遣わされる。


 なかでも上位種エルダークラスにある双頭竜デュアブル・ドゥラグニールは、魔界の王族式典等でも見られる守護の象徴――この度ヴィーナを移送するために、わざわざ用意させたのだ。

 移送される者が王族クラスであり、その護衛を含めた特例事項と見受けられた。


 双頭竜デュアブル・ドゥラグニールの咆哮が【ティフェレト】に木霊すると、その背に設けられた王族クラスの罪人用設備――第三王女の搭乗を確認した監査官が、20mサイズの巨体を空へと上昇させた。


 天空を飛行する【竜種ドゥラグニート】。

 罪人となった第三王女は別れと共に移送される。

 その姿を見送りながら、導かれる最後のチャンスへの準備――その算段を張り巡らす吸血鬼が決意を胸に言葉を発していた。


「待っていろヴィーナ。私が必ず君を守ってみせる!」



****



「私をお呼びか?ヴォロス殿。」


 それはヴィーナが連行されるのを見送った後、今後の策に必要な情報とを整理しようと、臨時に【ティフェレト】の一室を拝借しようとした時。

 ミネルバ様の側近である、あの顔が心臓に悪い男が呼び出してきた。


「おいおい話すと言った事――覚えているか?恐らくお前の決意は、遥かな先を見据えている様だ。」


「ならばそれは、早い方が良いと感じたのでな。」


 感情の判別が出来ぬ表情で、髑髏どくろの暗き双眸そうぼう――かすかに瞳と思しき機械的な輝きが、予定していた一室から遠ざかる方へ目配せする。

 少し話そう――そんな意志がかすかに見て取れ、それに従った。


【ティフェレト】の城は通称【美麗殿アテニア・キャセル】と呼ばれるらしい。

 〈美〉をシンボルに持ち、ミネルバ様が治めるに相応しいきらびやかさを感じさせるネーミングだ。

 そこに秘められるのは単純な美意識も含まれるが、本質は生命の生き様やあり方に対する所が大きいと、これは友人ベルから説明を受けた。


 その城の中央にある中庭では、それらを感じさせる庭園が広がり――侍女達の世話によって、魔界でも珍しい木々や花々が命を脈動させていた。

 種族的な問題により生涯闇に包まれるこの世界では、日の当たらない場所で生きる夜光草の様な種が存在していた。


 そんな中で息づく草木は淡い光を溜め込んで、開花と共にそれを放つ摩訶不思議な生態と聞き及ぶ。


 その庭園へ言われるままに足を向けた私へ、異形の側近がこちらへ向き直る。

 草木の放つ淡い光が、いよいよその異形を恐ろしく照らすかと思いきや、存外なほど幻想的に照らされた髑髏どくろの将――思わず見とれてしまった。


「この庭園は私も気に入っている。お前も感じたであろう……この誰もを恐れさせる異形の姿さえも、美の一角へいざなうう生命の美しき魔光。」


「ここにある魔界の草木は、いにしえの強大な力を持つ魔族らによって植え付けられた物だ。」


 話の前振りにしてはやたらとロマンじみた感じがしていたが、と言う言葉でその流れが重要である事に気付かされる。

 いにしえ――つまる所、あの【竜魔王ブラド】がそこに関係している感が、私へ語られる言葉への聞く真剣度を上げるキッカケとなる。


「私もお呼ばれしてもよろしいでしょうか?」


 今の今まで空気を読み姿をくらましていたベルが、いつの間にか私達のそばへたたずんでいた。

 なんとなくそのいきなり感で、なるほどと状況を察し、


「お前もここにいたのか、ベル。」


 ――と返したら案の定だった様だ。

 いつものややいたずらっ子な笑顔で首を傾ける。


「ブラックファイア嬢もずいぶん久方ぶりとなるでしょう――昔話を少々……披露させて頂きましょう。」


 ヴォロス殿はどうやら私も想像した通り、ベルとは知る仲――それも言葉にされた〈いにしえ〉が指し示すほどの古い時代からの物だと推測した。


 そして語られる昔話は、この天楼の魔界セフィロトすら存在しない神世の時代――その舞台は、かつて生まれたばかりの魔族達がひしめき生を享受していた大地。

 主惑星【ニュクスD666】――そこがかつての魔界の中心地。

 今の魔界が天楼てんろうと称されたのは、正にその主惑星の天を仰ぐ姿から。


 髑髏どくろの将が言葉にした昔話――それは魔界が大地から天楼てんろうへ移った、変革の時代のあらましであった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る