6話―5 姉妹の証



 その思いは嬉しくもあった。

 この世界に来てようやく自分の存在が認められ、自分自身が無様と嘆く日々から逃れられたから。


 それでも――今はまだ、その時じゃない。

 だから彼らの思いを、来るべき時のために少しだけ保留とし――変わりにこちらの願いを差し出した。


「今は私の事よりヴィーナの事だ。――きっとこれから暫くの後、あなた方の力を必要とする時が来る。それはまぎれもなくヴィーナのための物……。」


「その時にこそ、あなた方の力をお借りしたい。【ネツァク】がほこる最強の吸血鬼達の力を……!」


 強き真祖らの思いと誓いを胸にしまい、私はを成すために【ティフェレト】はミネルバ様の居城へ向かう。

 私が向かう頃に、あの峻厳しゅんげんの地の使者が訪れるはずだ。

 ヴィーナの気持ちを優遇し、わずかの時を姉妹水入らずで過ごす執行猶予を与えられたと言う。


 それでも彼女の行動は魔界において極めて重罪、罰が消失する事はまずあり得ない。

 けどそれはあとの事――今はただ、彼女が安らかに過ごせる様私も最大限の思いを捧げよう。


 に相応しく――



****



 お約束の黒馬の馬車――だがこの大きな黒馬も、何やら元気が消失している。

 【ティフェレト】へ向かう速度に変わりはなかったが、いつもの威勢の良いいななきが影をひそめている。


 魔獣としてはそれなりに上位であるこいつは、高位魔族の魔霊力ともなれば過敏に反応すると言う。

 しかもどうやらこの黒馬――テセラがまだ地球にいた時分は、あのヴィーナが世話を焼いていたと言う。


「元気を出せ……。まだ事が全て無に帰した訳じゃない――私に任せておけ。」


 テセラが待つ城へ着いた私は、みるからに意気消沈した黒馬へ言葉をかけて、そっとその鼻筋をでてやる。

 相手は魔獣――しかしその瞳がまるで悲しさを訴える様に、こちらを見つめ返す。


 魔界に訪れてからと言うもの――この黒馬の世話になりっぱなしの私としては、何とかしてやりたいとの深い情すら芽生えていた。


「待っていたぞ……。」


 黒馬を精一杯愛でていると、不意に声が掛けられる。

 しかし姿を見ずともその強力な魔霊力――確かに感じた覚えがある。

 記憶に残る魔霊力の主を想像し、声の方へ振り向いて――


「やはりあなたか……なるほど、失礼だがその顔――心臓に悪いな。」


 振り向きざまの悪態が飛び出てしまった。

 その表情――いや、そもそも表情が分からぬ形状が私を呼んだ。

 初顔見せはあの反論決闘――違う、もっと前。

 それは私がこの魔界へ訪れた時、私の失言で眉の角を吊り上げた


 あの時もその表情は分からず、結果もう一人の側近が見せた表情に慌てた自分の恥ずかしい過去が蘇る。


「ふむ……失言が、もはや失言のレベルを超越しているな。――私も、それほど堂々と悪態をぶつけられたのは久方ぶりだ。」


 だろうな。

 かのミネルバ様に仕える恐るべき側近――それを相手に悪態など、自ら地獄の門をこじ開けに行く様なものだ。

 少し前の自分が正にそれ――そう、それもほんの少し前の話だ。


「改めて名乗ろう――我が名はヴォロス。【テフィレト】ではミネルバ様の側近を勤めているが、通常は魔王が今なお不在の世界【イェソド】を仮に管理している。」


 そういえば【イェソド】も魔王が不在だった――テセラから聞いた魔界の説明にあったと思い当たる。


 そもそも地球と魔界の衝突と言う事件をろうした導師ギュアネスは、下層界でと仮定し策をくわだてた。

 【マリクト】に魔王が誕生した想定外を除けば、【イェソド】の魔王不在――守護者を欠いたまま稼働していた、世界の安定化の基礎【震空物質オルゴ・リッド】を強奪して、全ての策が完成するはずだっただろう。


「いろいろと聞きたそうな顔だが――それはおいおい語ってやろう。ジュノー姫がお待ちだ、来るが良い。」


 見抜かれたか――しかしこちらは顔に出れば見透かされるのに、あちらは顔の表情が読めない以前に表情が存在しないのは反則だろう。

 そんな他愛も無い思考にふけりながら、ミネルバ様側近の将に着き案内を受ける。


 だが自分でも気付いてはいなかった――いや、むしろ自然であった。

 側近の一人も相手に出来ないと嘆いていた自分が、その相手へなんの躊躇ちゅうちょも無く悪態を付けるほどの恐ろしき頂き。


 すでに私はその恐るべき側近のすぐ隣りへ、肩を並べて歩く現実へ到達していたのだ。






 見慣れた王宮の長い廊下を、なんとも心臓に悪い城主の側近の傍――さも自然に歩を進める。

 だがその状況はさしものミネルバ配下の者達でさえ、近づくのもはばかられる悪夢と化していた。


 つい先日訪れたはかなき存在が、わずかな時を進めただけでこの異形の側近と居並ぶ様は、驚愕を通り越し畏怖いふを覚えているのだろう。

 まあ悪い気はしないが、あまりにも遠巻き過ぎていささか寂しさも覚えるな。


 この感情はきっと、魔王やそれに並ぶ者に共通する感情だろうと直感した。

 巨大すぎる力はそれを持つ者に、孤独と言うかせをはめるのかも知れない。

 それは力を持つ者が、過ちを犯すキッカケにもなるのだろう――それがあの、導師ギュアネスと言う存在だったんだ。


「レゾンちゃん……。」


 魔将ヴォロスに案内されたのは、いつもあの友人が居た部屋とは別の場所――そこは要人なり何なりを向かえる

 そこに大切な友人が居た――その目元は、もうどれくらい泣き腫らしたかも分からぬ程無残なあとを刻んでいた。


 悲しみに沈む表情が、目に写るだけで心に激痛が走る。

 彼女がいかに慈愛を放つ存在かは、地球で出会った頃から思い知っている。

 その彼女が怒気を放ち――愛しき者を突き放した瞬間も目撃した。

 想像を絶する悲しみを耐え抜いた友人に、今はただ多くは語らずその頭へそっと手を添え――


「お疲れ様……よく……耐えたな。」


 それだけを贈り、思いを込めて優しくでる。

 どうやらその言葉が静かな落ち着きへと導けた様で、未だ泣き腫らす潤んだ若草色の瞳がにっこり笑う。


 この客間――ヴォロス殿は部屋の外へ何となく外し、絶妙な空気のさじ加減を読み取ってくれた。

 一緒に【ティフェレト】へ訪れたはずの戦友である友人も、いつの間にか姿をくらましている。

 あいつも、今の状況を察してくれる素敵な友人の一人――その思いには感謝しか浮かばない。


「ジュノー姫殿下、レゾン様。【ゲブラー】からの監査官殿――それとお客人……ヴィーナ様……がお見えです……。」


 客間に並ぶ落ち着いた装飾のテーブルの傍で、定刻通りのが告げられた。

 それを告げに来た侍女――私の事を介抱してくれた女性の一人。

 しかしその表情には、言いようの無い悲痛を浮かべていた。

 当然だ――今まで心を込めて尽くして来た幼き王女を、いち客人として迎えた。

 そして――罪人として迎えたのだから。


 薄緑の髪の奥――明るさなど微塵も無い元第三王女。

 深淵しんえんに蝕まれていたものとは、別の暗さで瞳が陰る。

 

 ようやくの再会――だが友人は尻込しりごんだ。

 無意識に生んだ溝が、テセラの思いにブレーキを掛けているのを感じる。

 けどその溝はヴィーナが罪を犯した事に対してではなく、自分が彼女を突き放した事への罪悪感なのは明白だ。

 その表情をみれば、愛しい妹をすぐにでも抱きしめたい――そう書いてあるのだから。


 だからあえて私がその間を取り持つ事にする。

 ヴィーナにとってのとなった私の初仕事だ。


「よく来たな、待っていたよ?さあ……こちらにおいで。」


 テセラに感じた罪悪感――そして自分の犯した罪。

 姉と同じく前へ踏み出せない少女を、その罪の矛先となった私がそっと引き寄せてやる。

 そうして彼女はようやくささやかではあるが、つたない笑顔を見せてくれた。


「はい……レゾン……姉様。」


 まだ慣れぬ呼び方で、どもりそうになるがやっと生まれた笑顔はまさしく彼女の物。

 そのまま小さなその手を取って、本当の姉の前へ進めてやる。

 このままではせっかく与えられた姉妹水入らずな時間が、矢の如く過ぎ去ってしまいそうだから。


 そのやり取りの中――城主であるミネルバ様が客間へ静かに足を運んでいた。

 当然この方もテセラの思いを何よりも理解している。

 だからだろう――私がヴィーナの手を取るまで時を置いてくれた。

 テセラの事を理解した上、

 偉大なる魔嬢王の思いに、私も答えたいと――そのまま二人の姉妹の手を握り、思いを橋渡しする。


「さあテセラも。このまま何も語らぬままでは、せっかくの時間が台無しだ。私にもを見せてくれ。」


 【ゲブラー】の観察官も言葉を挟まず見守ってくれる。

 彼らの行動は、罪人を連行したとは思えぬほど配慮に満ちていた。

 立場的にはその場を外す事が出来ぬ故の、その配慮に感謝しつつ貴重な時間を刻もうと、私も二人と同じ姉妹が生み出す世界へと――足を踏み入れた。



****



 いったい自分がどれだけ泣いたのか分からないくらい、鏡に映ったこの目元がくっきり痕を刻んでいました。

 きっと人生で、こんなに心を切り裂いた事も――怒りをはらんだ怒気を振りまいた事も初めてだと思います。


 ただ自分が目指すのは姉様である魔嬢王ミネルバ――そこからくる重圧のまま、仲良くしたかったヴィーナを突き放してしまいました。

 けどそれは引き裂かれた二人を、救うと約束してくれた人がいたからです。


 私はこの魔界に戻り、成すべき事を成した――それをほこっていいと、私の大切な友人が……レゾンちゃんが肩を押してくれるから、今は大切な妹を姉妹として迎えようと思います。


 これから彼女が――ヴィーナが向かう、元【ティフェレト】第三王女としての贖罪しょくざいを果たすと言う戦いにおもむくまで――


「どお?ヴィーナ。――これ……姉様から教わって作った地球の料理、和食だよ?以前の姉様が作ったメニューとは少し違うけど。」


 監査官さんの監視付き――ではあるけれど、私は今ヴィーナのために腕を振るった料理をテーブルへ所狭しと並べます。


 姉様ほど手の込んだ物は無理だったので、焼き物、炒め物や揚げ物と簡単な味付けの品々です。

 何度も味見して、ホウチョウという道具で何度か指を切りながらでしたが――改心の出来だと思います……たぶん。


 魔界へ訪れてから、ミネルバ姉様の料理を頂いたあの落ち着いたクロスが広がるテーブルで――まさか私がお料理を披露するとは夢にも思わなかったけど――

 ミネルバ姉様とレゾンちゃん――二人の大切な人に囲まれて、ささやかな晩餐ばんさん大切な妹ヴィーナへ戦う勇気を贈ります。


「素敵ですわ、テセラ姉様!このワショクと言う食事を、また食せるとは思いませんでした!――いい香りですわ~。姉様、このカリッとした感じの物は何?」


 ヴィーナの指差したのは揚げ物。

 地球の日本では勝負前に、験担げんかつぎとしてしょくされると聞いて刻んだお野菜を添え用意したものです。


「それはカツと言って、勝負事の前に食べる事で――勝負に勝てるよう願いを込める料理なんだよ?」


 ちょっとかっこがいびつではありますが……ヴィーナのために頑張った一品です。


「ヴィーナ、まずはそれを食べてみたらどうだ?香りも良い――なかなか食欲がそそられるぞ?」


 すかさずのレゾンちゃんが、ナイスフォローで支援してくれます。

 その言葉で笑顔のままヴィーナが、ナイフで切り分けたカツを一口頬張り――


「あ、あふあふ――んぐっ!?こえふごいこれすごいほへほほいひいとてもおいしい――」


 うん、嬉しいよ?でも感想は食べてからでいいからね(汗)?

 でもこんなに可愛らしいヴィーナを見たのは、もしかしたら初めてかも知れません。


 ミネルバ姉様もレゾンちゃんもくすくす笑ってくれてます。

 ――ずっとこんな時間が続けばと、また痛み出した心のまま素敵な晩餐ばんさんでその日を終える私でした。


 そうして私たちは試練の朝を迎えます。

 大切な妹がこの城から――【ティフェレト】から追われる日。

 そして訪れる【帝魔統法】の裁判の日までの間、彼女は【魔厳の牢獄界マガ・プリズンズ・ヘル】へ収監されるため【ゲブラー】へ旅立ちます。


 それは悲しくとも、決して目を背けてはならない瞬間。

 静かにその朝が魔界の薄闇の中――私達へ、決意の目覚めを知らせてくれました。

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