6話―2 君を守らせてくれないか



「……!!?……ぬかったわ!!まさか、ヴィーナ嬢が動くとは……!!」


 恐らくこの事態――かの第六天魔王ですら、予想出来なかったのだろう。

 魔王は、戦場とは無縁の小さき少女の心の弱さまでは、算段に組み込めなかったのだ。

 戦場においてでさえ、心が折れれば戦略も戦術も途端に機能しなくなる。


 地球は日本――戦国の世ではその弱さを強さに変え、逆に弱さを突く事で幾多の修羅場を越えたはずの魔王。

 だがそれでも第三王女の異常なまでの偏愛は、想定外以外の何物でもない。

 見誤った算段が、ノブナガの魔界での戦歴に残した致命的な敗北となった。


 吸血鬼レゾンの器が底知れぬほど巨大である事に魅了され、彼女を最強に仕立てた策略。

 しかし、仕立てられた最強が目指すはずの、最良の流れを完全に打ち砕かれてしまった。


「レゾン嬢!!くそっ、この状況我等は手出しが……!!」


 懐刀ふところがたなのミツヒデさえも、完全な失態に動揺があらわとなる。

 その最悪へ最悪が重なる。

 想定外の凶刃は、あろう事か反論決闘を監視する監査官の眼前で振るわれた。


 絶望的な状況――ともすれば、第三王女は真祖諸共その存在すら危うい事態。

 それが魔界における法的処置であれば、最早ノブナガ勢には打つ手は皆無である。


「……そんな!!嫌だっ、嫌だよ……レゾンちゃんっっ、レゾンちゃーーーんっっ!!」


 最悪の現場は第二王女の思考すら正常さを吹き飛ばし、信じられぬ結末と惨劇の中ジュノー・ヴァルナグスの心まで引き裂いていた。

 耐え難い現実にガクガクと震える両の足――絶望を否定しようとする両手が見開く瞳を覆い、少女はただ立ち尽くすしかなかった。


「これ……では、我等の……計画さえ。ヴィーナ様……。」


 真祖らはすでにその意を消失する。

 王女がこの様な凶行へ走る前に、全て事を終わらせたかった。

 しかし、吸血鬼レゾンの実力を思い知った時点で――全てを彼女へ委ねる事を決意していた。


 ――言葉も浮かばぬまま、失意の底へ突き落とされた真祖達。

 全ては手遅れだったのか――そんな、絶望に駆られそうになった王女を慕いし者達へ――


 ――そして、引き裂かれた心が魂さえも絶望に突き落とされそうになる第二王女へ――鮮烈なる希望の雄たけびが彼方より響く。


「テセラっっ!!――私は大丈夫だっ!!」


 【ネツァク】の大地――絶望が覆い始めたその大気を吹き飛ばした声。

 それはまがう事無き赤き吸血鬼の声。


「レゾン嬢っ!!」


 ミツヒデは叫ぶ――彼女の様相を凝視しながら。

 視界の先では確かに赤き吸血鬼の心の臓を通り抜け、銀の輝きがその背まで伸びている。

 ――否、それは途端に無数の黒き物体へ変異する。

 そう――吸血鬼レゾンを構成していた肉体が、数多あまたのコウモリへと姿を変えたのだ。


 そして再びその場を直視すると、銀のきらめきは寸での所――レゾンの手により心の臓を逸らされていた。


「ノブナガ勢の奇襲を回避するよりはマシだったな……!」


「レゾン……ちゃん……!!良かった……!」


 その声を聞き――大切な友人の姿が無事である瞬間を目にして、第二王女は盛大に崩れ落ちた。


 確かに赤き少女は油断の刹那を突かれたのだろう。

 だがその刹那――レゾンにとってはわずかに冷静を取り戻すには充分過ぎた。

 まさにそれは修練の賜物たまもの――彼女は究極の頂きへ至るため、一ヶ月の時の中奇襲と言う名の修練を耐えしのいだのだ。


 魔王ノブナガが課した、修練の過程で得られた研ぎ澄まされた感覚の前では、殺意ある凶刃も予定調和。

 無数の猛者が振るう刃に比べれば、避け難くとも避けられぬ一撃ではなかった。


 そして、貫いたはずの刃が的外れの場所で空を切る事態――今度は第三王女が、平静を失った。

 もっともそれは暗き狂気の深淵しんえんもたらした平静無意識であり、本人が意識を一時的に戻り取り乱した形だが。


「ナンデ……ナンデタオレナイノ!!」


 狂気をまとったまま戻った意識が再び深淵しんえんへ落ちようとし、第三王女が銀の小剣を抜き――再び、赤き吸血鬼の心の臓を貫こうとした――

 が――小剣は赤き吸血鬼の握った所から無残にへし折られ、吸血鬼の鮮血と共に切っ先が地面へ音を立てて跳ね落ちた。


 すると今まで深淵しんえんの狂気に駆られていた少女の表情が一変――何かとてつもなく恐ろしい異形を――惨劇を見る様な、凍てつく恐怖に駆られた瞳へ変わる。


「――イヤッ、来ないで……コナイデーーーっっ!!」  


 ジリジリと後へ引き下がる第三王女へ向け、赤き吸血鬼は両の手をかざして――

 その凍てつく恐怖ごと――優しく抱きしめた――


「やっと……届いた……。」


 見開く第三王女の深淵しんえんを宿す瞳――その心をまるで最愛の友〈姫夜摩ひめやま テセラ〉が放つ慈愛のごとき暖かさで、優しく……ただ優しく包み込む様に抱きしめた――



****



 何も考えずに飛び出した。

 そうせねばならぬと、心が直感した。

 あの時――ベルでさえ、私を止めるか躊躇ちゅうちょしていたのが分かった。


 それでも、今をおいて他にない――この切なる思いを第三王女へ告げるために。

 しかし、わずかな油断で危うく全てが無に帰す所。

 けれど身体に染み付いた、あの過酷極まりない修練が功を奏する。


 これはもう、あのノブナガへ足を向けては寝られないなと嘆息してしまう。

 さらには真祖らとの戦いで、本質的な魔法力マジエクトロンが底上げされ――いつの間にか擬態への変化が自在に行える様になっていた。


 私は自分で、これらの力を偶然の産物では片付けたくは無い。

 そう――それらは全てこの瞬間のために、己の全身全霊を掛け手に入れたのだから。


 今――この腕の中で未だ深淵しんえんに駆られてはいるが、しかと抱きとめられている

 もう最初の出会いの頃の様に、彼女の力で卒倒したりはしない。

 それだけの力を引っさげてここに来たんだ。

 今だから思う――あの力の放出、本人は自覚などないだろうがサインだったと感じている。


 〈私をこの暗き絶望から助けて〉と言う切なるサイン――


「ヤメテ――」


 まだ深淵しんえんの狂気が抵抗を続けているのか、瞳への光が戻らない。

 ならばその光を戻すために、届けたかった思いを告げるまで。

 やっとこの手が届く所へ、この少女を迎え入れる事ができた――言葉を届けることが出来るんだ。


「ヴィーナ・ヴァルナグス……待たせてしまったな。君の放ったサインに、もっと気付くのが遅ければ取り返しがつかなくなる所だった。」


 ビクッと王女が反応した。

 それは暗き深淵しんえんの物ではない――紛れもなく、〈助けて〉のサインを放っていた第三王女の意識。


 その正常なる意識を深淵しんえんの底から救い出す様に――優しく、そして暖かな言葉をつむいで行く。

 難しい事など無い――私はそうやって、テセラに救われてきたのだから。

 彼女の様に――否、私が彼女テセラそのものになるのだ。

 それはテセラとの【惹かれあう者スーパーパートナー】に目覚めた私にしか出来ない力。


「けれど、もう大丈夫――何も怖い事なんて無い。だからここへ戻ってきてくれ。そして――」


 そのたった一言を届けるために、抱く手にありったけの優しさを込めて――


「私に――君を守らせてくれないか?」


 深淵しんえんほどけた――

 ただ抱きしめられていたその身体が、淡い力を取り戻し――はかなき小さな両の手が、私をつたなく抱きしめる。

 少女の瞳に光が灯ったのを感じた。


「――では一つ……お願いがありますの。」


 包んだその手をゆっくりと放し――願いを放とうとする王女の瞳を見る。

 真っ直ぐに――その願いを聞き漏らさぬ様に。


「あなたを……レゾン姉様と呼ばせて頂けませんか?」


 その目は淡い薄緑の髪と同様に、淡いグリーンの大きく美しい瞳。

 輝きが戻った少女は、これ程愛らしいのかと思うほど。

 そして瞳いっぱいに浮かんだ、恐怖と戦っていた証――宝石の様な涙が、幾筋のきらめきとなって止めなくこぼれ落ちていた。

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