3.銃士の心
コンスナファルツの城壁近く。
朝の忙しさも一段落つき、市民が仕事や買い物に動き出す時間帯。
何の変哲もない二階建て
閂を外すゴトリという鈍い音に続いて扉が少し開き、家主だろうか冴えない中年男が隙間から顔を覗かせ……。
「げっ」
招かれざる客に気づいて男性が慌ててドアを閉じようとする。
だが間髪入れずに鉄板留めのつま先がブーツごとねじ込まれ、それを阻止した。
「ちょっと、おやっさん、それはねえんじゃねえの?」
そう嘯いてブーツをさらに押し込もうとする黒ずくめの長身は、ヴェクだ。
その後ろで水色のドレス姿のソシアが隙間越しに書状をバッと提示する。
「トニット・ガトンタールさん、隣家からあなたの家の騒音について苦情が上がっています。
私たちは民生銃士ギルドより、あなたを取り調べるために派遣されました。令状もありますので、素直に開けてくださらないと強制的に入る事になりますよ」
「そーゆーこと。で、さっさと手ぇはなしてくんねぇか。これでも足痛えんだよ」
ドアと枠との間隙いっぱいに顔を寄せたヴェクが、凄みを利かせて中年を威嚇した。
中年男はヒィっ、と怯えて扉を離したが、だからといって観念した様子はない。
むしろ往生際などどこへやら、悪く脱兎のごとく逃げ出して途中の家具を手当たり次第に引き倒し、ついには勝手口へ体当たりして外へと飛び出した。
だがそこまでだ。
男が路地を一歩踏んだ途端に、陰で待ち伏せていた半ズボン姿の少女、ラファムがその胸ぐらを捕らえ、足を払って地面へ突き転がした。
「いっちょーあがり。ハイ、そこ動かない」
油断なくホルスターに手をかけたラファムが男を上から威圧する。
そこへ間を置かず二人が合流し、ソシアが中年男に再び例の書状を突きつける。
「ガトンタールさん、今の行動は褒められたものではありませんよ。逃亡と試みたと判断し、これより民生銃士の権利としてあなたを拘束させていただきます」
魔銃と銃士、抗う事など問題外の三人を前に、男は恐怖を通り越して涙を浮かべ、命だけはなどとつぶやきはじめる始末。
オイオイと泣き崩れる男に縄を掛けながら、ヴェクはラファムと肩をすくめ合うのだった。
しかし、だ。
銃士の試練に挑みに来たの三人が、なぜにギルドの手伝いをしているというのだろうか。
その答えは、金に困ったからでも、暇をもてあましたからでもない。
実はこれこそ、ヴァルーシャが課した試練、もとい課題であったのだ。
***
時はさかのぼって前日の昼下がり。
自身の執務室で三人に薄黄色の
「おさらいからいきましょうか」
彼女は三人にそう言って、織魔水晶の入った袋を再び袖にしまうと、自分の帯から八つの水晶を外してテーブルに置く。
ヴェクたちから見て右から、薄黄、藍、水青、深緑、深紅、薄紫、そして燦めく白と黒という順で並べられた水晶たちを指して、ヴァルーシャが問いかける。
「銃士に備わるべき八つの徳、それを表した〈
ヴェクはてっきり今度も、チームの知識番ソシアが答えるものと思っていたのだが、控えめに挙手したのがラファムだと横目に気付いて驚く。
彼女はヴァルーシャの指を追うように水晶を示しながら、声は小さいながらもハッキリとした調子で答えた。
「
連なった言葉に、ヴァルーシャが喜びも露わに手を叩いた。
「はいよくできました。
さて、八徳には位階があるのは知っているわよね? 錬磨の第八位から正義の第一位まで。あなた方の試練の目的はズバリ、八徳の修養。そのためには徳の位階を上げていく事が肝要よ」
したがって、とヴァルーシャが薄黄色を除く七つの水晶を帯に戻す。
「その
「あー、ちょっといいかい」
ヴェクは彼女に挙手して訊ねる。
八徳と試練の関わりはともかく、彼らが何をするのか、何を以て徳に適うと判定するのか、つまりは今からの行動がまるで見えてこない。
「具体的に何をしたら、いや、この場合は何を成し遂げたら、かな。とにかく俺は課題が知りてえんだ」
――ちょっと失礼だったか? というヴェクの内省に、右に並んだ少女二人の厳しい視線が応える。
一方、ヴァルーシャといえば気にした様子もなく、むしろ彼に意外そうな目を向けたあと、さも可笑しそうに肩を震わせた。
「ふふっ、せっかちだとは手紙に書いてあったけど、まさかここまでとは。
もう、がっつかないのヴェク君、若さに任せて突っ込むような歳でもないでしょ。何事も、前置きが肝心よ」
そう言って微かに唇を舐めてみせるヴァルーシャに、ヴェクはフェアラムあたりとは別種の怖気を感じた。
年齢なら彼とそう違わない、むしろ服装のせいで若くすら見えるのに、その視線はネットリと彼を値踏みして止まない。
フェアラムの雰囲気が突進寸前の雄牛だとすれば、ヴァルーシャのそれははヤブに潜んだ
「まあ、ねえ。そんな事を言っても、確かに回りくどい言葉は減らすべきだわね。そう、正直に言うと、実はまだ決まってないのよね」
「……は?」「えっ?」「はいぃ?」
意外にも意外すぎる言葉に、揃ってソファーからずり落ちそうになる三人。
彼らにパタパタと手を振ってくさしながら、ヴァルーシャが困った様子で先を続けた。
「そんなに驚かないでよぉ。だってこんなに早く来ると思わなかったんだもの。
まだなーんの準備も出来てないのよ、ほんとに。前置きで引き延ばしてる間に何とか考えようとしてたのに、ヴェク君のせいで台無しだわ」
「そのヴェク君ってのは……」
「いえそれより、一応、その、お聞きしますが」
あっさりと雰囲気をひっくり返したヴァルーシャ。
彼女が先ほどから使う穏当ならざる呼称にツッコミかけたヴェクを制し、ドレスの肩紐を直したソシアが質問する。
「普通であれば、つまり準備が整っていた場合だと、一体どのような試練になるのでしょうか。た、例えば去年であるとか、そう、先例はあるのでしょう?」
遠回しではあるが、ソシアはヴァルーシャに助け船を出したい様子だ。
だが当の教導役たるや、アゴに手を当てると小首を傾げてしまう。
「先例って言われても、第八位の教導なんて『適当に苦労させろ』ってぐらいしかないのよ。
いつもは取り置きしといた事件を当たらせて、採点してダメ出しして修了っ! てなものなんだけど、ここ数日まともに取り組める事件が何にもないのよぉ。
もー、そんなときに来ちゃうもんだから、あなたたち運が悪いわぁ」
「そ、れはそれでいいんじゃないの。な、なにごとも平和が一番だし」
「平和って言うけど、民生の仕事はいっぱいあるのよぉ。
それも苦情とか相談とかそういう地味なのばっかりね。まったく手間だけは減らないんだから……」
ラファムのなけなしのフォローも、本格的に愚痴りはじめたヴァルーシャには意味を成さない。
そのままくどくどと何かをつぶやき続けたヴァルーシャだったが、そのうちにふっと天井に目を向け、かと思えば子猫のようなニヤリ顔へと……。
――あー、いやな予感がするぜ?
毎度を重ねるヴェクの直感は、今度も外れることはない。
「そうだ――こうしましょう!
あなたたち、しばらく
爛々と目を輝かせ身を乗り出してくるヴァルーシャに、思わず追いつめられる三人。ヴェクは頭の中で彼女の言葉をなんとか解きほぐす。
「そりゃあ……いや、待て、それってギルドで仕事請け負うのとどう違うんだ?」
「もちろん評価と指導はするわよ。
そうねぇ、三ヶ月ぐらいみっちり苦労してもらえたら無条件で、もし何らかの功があったらその時点で修了ってのはどうかしら」
「最長三ヶ月……ですか」
「でもそれってタダ働きじゃないの? たしか試練と仕事は別なんだし」
少女二人がそう言うのを、ヴァルーシャがちっちっ、と指を振って止める。
「そーんなケチ臭いことうちのギルドが言うもんですか。
もちろん新士でも斡旋扱いで報酬は出すわよぉ。あと、うちのギルドは宿舎も食堂も新士はタダなの。
ねぇ、三ヶ月ぐらい住み込んでいきないさいな。そうしなさいなぁ」
もはや三人がどう言おうとも、ヴァルーシャの思いつきが揺らぐ気配はない。
結局、彼女の提案を飲む形で、三人はコンスナファルツ民生銃士ギルドに居候し、その手伝いをする羽目になったのである。
***
時は戻って当日昼前。
民生銃士ギルドの別棟。
俗に牢棟と呼ばれる石造りの建物に、三人は件の中年男を伴って帰ってきた。
すぐに拘留係の屈強な銃士が中年男を預かり、三人に事情を聞く。
「当番どうもごくろーさん。こいつが壁際三丁目の騒音男だね?」
「本人は黙秘していますが、間違いはありません」
涙と埃にまみれてぐしゃぐしゃの中年男を牢に繋ぎ、拘留係がソシアの報告と、手元の訴え状その他を照らし合わせて首をひねった。
「なにか重い物を引きずる音が複数回、石か何かを床に落とす音が何度も……うーん、こいつを見る限り、重い物なんて持ち上げられそうにないんだがなぁ」
「銃突きつけて吐かせるか」
冗談めかして魔銃に手をやったヴェクに、交流係が笑いつつも渋い顔を向ける。
「こーら、ダメだぞ。暴力や脅迫で事を聞き出そうとすると、有ること無いこと喋ってしまうのが人間だ。いくら口を割らない相手でもそれは禁止。
ま、詳しい事は追々聞き出すとして、まずはこいつの部屋を誰かに検分してもらわなくちゃなぁ」
「私たちが行きましょうか?」
「いやいや、そういうのは本職の仕事。
それに君たちは午後番じゃないでしょ? あと一件ぐらい回ったら宿舎で休んじゃってちょうだい。旅から昨日の今日ってのもキツいでしょ」
団長が
特に残る理由もなく、三人は礼を言ってその場を離れた。
「なんだか、なぁ」
再び厩舎の馬たちへと足を向けたヴェク。
そのぼやくような声に少女たちが足を止める。
「なによヴェク」
「どうかしましたか?」
「いやね、ちょっと拍子抜けと思ってな。さぞ無理難題を振ってくるかと思ったら、これじゃ雑用係じゃねえの」
「なに、初日から文句言うの?」
「そういうんじゃねえ。ただ、気が抜けちまうなぁって、そんだけ」
ラファムに睨まれて首をすくめたヴェクに、ソシアが柔らかく微笑む。
「いいじゃないですか血を見るような事件がなくて。この街は本当に平和ですから」
「そーいうもんかねぇ」
歩き出す少女たちを追いかけながら、ヴェクはなお釈然としない気持ちを抱える。
そも、平和という言葉そのものが彼にはピンと来ない。
彼が知る世界とは辺境の混沌、王立大の厳しさ、そして荒野の荒々しさ。
生まれて初めて、彼はそれらと関係のない場所に立ったとでも言うのだろうか。
残念ながら、真実はそうではない。
平穏は表向きだけだということを、彼は追々、恐怖まで揃えて嫌というほど味あわされる羽目になる。
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