第三話 虚人、闘技場に現る

1.塩の市場


 かつて、といってもほんの五十年ほど前の話だが、フレアヒェル大陸は未曾有の戦火にみまわれたことかある。

 あまりの大規模ゆえ今でも〈大戦フュルラ・トレァフ〉と呼ばれ続けるその戦は、当時の四大国全てを巻き込み、五年にわたって大地を血に染め上げた。

 その幕引きは劇的であり、半ば伝説と化しているのだが、ここで多くは語らない。


 あまりにも大きな、そして変革を伴った戦争だった。その影響は大陸全土に渡って今もなお残る。

 いくさを通じて導入された銃や魔法が人の暮らしを変え、当時の城砦の多くは巨大な街として存続している。

 アンメイア王国のコンスナファルツ。

 商都ともてはやされる偉容の街、その全方位を囲む大城壁もまた、大戦の置きみやげの一つであった。



 ***



 低い山地の尾根を覆った林が途切れ、山道は盆地に向かって下っていく。

 尾根の背に上がれば目前に雄大な草原が開け、そのあまりの壮大さにヴェクたちは馬を止めて感嘆した。


 灰色の城壁を冠に頂く緩やかな起伏。それを覆う麦畑と草原とが浅深の違う緑を湛え、同じ風に吹かれて細波に揺れる。

 合間に輝く川筋は、草原を海とするなら壮大な白波のようにゆったりとさざめいていた。


「こいつは……すげぇ所だな」


 ヴェクの単純極まる感想に、ぶぅ、と唇を鳴らしてラファムが茶々を入れる。


「あのさ。キレイ、とか美しい、とかさ、他に言葉ってないの?」


「ラフィもたいして変わらない気がします」


 言葉のつたなさは五十歩百歩。

 旅友たちの言語能力の深刻さにソシアがうなだれ、一方の二人は仲良く口を尖らせた。


「でもよ、すげぇもんはすっげえだろ」

「いやでも、ヴェクほどじゃないから」


「んだよ」

「な、なによぅ」


 そしてこれまた同時に互いを睨む。

 彼らの馬、青毛のメルと栗毛のオッツィが仲良く首をはみ合う上で、乗り手同士は歯を剥いて威嚇を交わす。

 ヴェクは黒いフェルト帽を傾け、ラファムが麦わら帽のつばを指で弾き……。


「二人ともそこまでです!」


 藤色のボンネットから湯気が上るほどほど顔を赤くし、ソシアが怒声ごと二人の間に割り込んだ。そのまま乗馬鞭を教鞭よろしくヴェクとラファムに突きつけ、彼女は語気を強める。


「銃士たる者務めに相応しい品格と知性を備えるべきです! 言葉どころか態度まで子供みたいに張り合わないでくださいまし! まずはヴェクさんっ」


「お、おう」


「あの城壁をご覧なさいまし。あれを何と表しますか」


 完全に教師の顔になったソシアに、コンスナファルツの威風堂々たる城壁を示されるヴェク。彼はなんとか言葉を編もうとするが、いくら頭をひねろうとも辺境育ちの限界は見えていた。


「うーん……馬鹿みたいにデカい?」


「はい問題外です。次はラフィ」


 水を向けられ、ヒイッと声に出して怯えるラファムに、ソシアは草原を横切る河を指し示した。

 一転して余裕をちらつかせたラファムが、ヴェクにちらりと横目を送る。

 そして薄い胸を張り、自信満々で見得を切った。


「キラキラしててスゥって感じでキレイ!」


 ソシアの乗馬鞭がギゥッと鳴る。

 ラファムの帽子から、一筋の麦わらが切り飛ばされた。


「……幼年学校からやり直します? それとも人生を最初からの方がいいかしら」


 ソシアの冷たいつぶやき。

 顔でこそ笑っているが、もちろんそれは怒気の裏返し。彼女の目がカミソリよりも鋭く、不勉強な旅仲間を視線で切って捨てる。


「お二人ともそこに直りなさい。いいですか、そもそも言葉というのは状況を正確に描写するために発展してきたのです。それなのにあなたたちは……デカいとかスゴいとか大ざっぱな区分は禁止、シュッとかバッとかの擬音は動作語であって形容詞ではありません!」


 有無を言わさず始まるソシア先生の熱血講義に、今日も大陸晴れの暑い陽射しの下、ヴェクとラファムはただ粛々と頭を垂れたのであった。



 ***



 ソシアをなんとかなだめすかし、ヴェクたちが見上げるほど高い城門をくぐったのは昼も過ぎての事であった。


「ですから土地の名前にも由来があるのです。このコンスナファルツは古語活用形で〈塩の市場〉を意味し、かつての岩塩採掘拠点と、その積み出しで栄えた往事の姿を……」


 いつの間にか地名学に講義内容を移したソシアが、ヴェクとラファムを先導して中央通りを進む。


 この街は建物の背が一様に高く、白壁には赤塗りの梁と素焼きの屋根瓦が映える。街全体に小洒落た雰囲気があり、ここまで通ってきた田舎町など、それこそ比ぶべくもない都市の風格が漂っていた。

 路面には最低でも白砂、所によっては敷石が隙間なく敷かれ、それを踏む人の量も桁違いに多い。


 中央市場へ向かう大通りの、押し合いへし合いの人ごみを馬でかき分けながら、三人は市の中心部を目指す。


「にしても露店が多いな」


「はい、この街はアンメイアとファービリオ、その国家間物流の大拠点ですから。荷の積み替えだけでなく、行商や小売り向けの卸しも盛んです」


 ようやく冷静になったのか、ヴェクのつぶやきにソシアがにこやかに応じる。


「この中央通りは旅人向けの小売り屋台も集中してます。もうちょっと脇に入ると、問屋や運送屋でいっぱいですよ。ほんとに倉庫だらけです」


「へぇ、ソシィはずいぶん詳しいじゃないか」


「小さい頃に数年ほど、父の仕事の関係でこの街にいましたから」


 相づちを打つヴェク。と、彼の足下でかわいい歓声が上がった。


「まっくろのおんまさんだぁ」

「じゅーしさまだ、おーいじゅーしさま」

「いつもありがとー」


 そのままメルにじゃれつく子供たちに、彼は帽子を直して挨拶する。

 ――ソシアもこんな感じだったのか、と彼女の子供時代を想像してもみる。

 綺麗な青銀色の髪をお下げに結った女の子なら、さぞ近所でも人気者だったのではなかろうか。


「……でも、ソシィはあんまり外に出なかったよね」


「ですね、この血筋では仕方ありません」


 少女たちも同じ事を考えていたのだろう。しかし、交わされた言葉はそうではなかったと告げていた。

 二人の声の底には薄く寂しさがにじみ、ヴェクはそれを何気ない風に問いただす。


「そういや血筋が云々ってのは前にも聞いたな。なんか、あんのか?」


 だが少女二人は口に手を当て、すぐに首を横に振って誤魔化そうとしてきた。


「ま、また後でねヴェク」

「機会があればちゃんとお話ししますから」


 ――なにを焦ってるんだ。

 その理由に心当たりもなく、ヴェクは黙ってソシアの背中を見る。


 ボンネットの日避け布ヴェールに隠れる長い髪。青銀色は確かに珍しい。だが前に彼女自身が言っていたが、それと血筋がどう結びつくのだろうか。

 わからないと言えば首のアザ模様もそうだし、常人を越える魔力ゴーツォもそうだ。


 その生い立ちから魔法と縁の遠かったヴェクでも、一通りの事は王立大で学んでいる。


 〈魔法ボッフェ〉とは、人が生まれながらに持つとされる魔力を〈織魔水晶オビナーシュ〉という特殊な結晶を通して変成、発現させる現象と、それにまつわる技術の総称だ。

 放たれる現象は織魔結晶の種類に依存し、威力や制御については術者に依存する。力の大きさや現象の不可思議さを除けば、魔術は道具を扱う普通の技術と大差ない。


 ただし、大きな違いがひとつある。

 生まれながらにとあるように、魔力の規模、言いかえれば魔法の素質は人によりまちまちなのだ。

 例えば熱を産み出す〈朱の織魔結晶ヴィアル・オビナーシュ〉を使ったとして、火口程度の火花しか飛ばせない者もいれば、高温の球を自在に操ってみせる者もいる。

 それこそ花畑を一瞬で燃やしたソシアの〈焦熱光条ポルバ・リシュローン〉などは、威力と範囲から見れば極地といえよう。


 魔法に長けた者は〈魔術師ベフェアール〉と称され、羨望は集めても疎まれる事はまずない。隠すどころか誇りある能力とされるのが普通だ。

 だがヴェクには、むしろソシアは自身の力を隠そうとしているように思えてならない。彼女の背で風になびくヴェールがそうであるように。

 おそらくは彼女の口走った血筋とやらに関係するのだろう。


 ――まぁ、無理に聞き出すほどの事でもなかろうよ。

 おしゃべりは長生きできない。話したくないのならそれでいい。辺境で身につけた人との距離感は、彼の中でまだ健在だった。


 気付けば露店の連なりを越え、彼らは中央市場の門まで進んでいた。

 立派な灰白石の門柱には、青銅の鋳物で市の紋章が埋め込まれている。六角形に三本の線が入った形は塩の結晶を模したのだろうか。

 先ほどのソシアの言葉を思い出す。――なるほど、塩の市場コンスナファルツ、ね。


 広場へと人が散ることで混雑ははいくぶんか和らぎ、馬たちも安心してか大きな歩を刻む。


 正面に連なる建物はどれも重厚かつ立派な構えで、正面に門番が配されているものも少なくはない。王立大の大校舎ほどではないが、それでもヴェクは連なる偉容に小さな驚きを覚えた。


「ここが中央市場、正面が中心街です。一番目立つ三角屋根が市議場、右の通りを進めば公営闘技場があります。ヴェク、ギルド街は左ですよ」


 ソシアが彼を引っ張り、中央市場を左へ巻く通りへと案内する。

 商都コンスナファルツの昼下がりは、暑い陽射しを跳ね返す活気に溢れ、時は緩くとも濃密に流れていた。

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