7.貴人の長風呂


 ガルダドック村を後にしたヴェクたちは、ようやく峠を越えて薔薇岩山脈ルーカ・ルショイツの西側へと入る。


 王国は荒野と森が入り交じる国土を持つが、大きく分けて東は荒野が優勢であり、そして西では森が優勢だ。

 海からの西風と山脈により西の地には恵みの雨が降る。

 その恵まれた土地柄のおかげで、街道には数多くの宿場町ができ、旅人を野宿から解放してくれていた。



 ***



「やたら峠越えを焦ってたと思えば……金よりこっち目当てかよ」


 宿屋の安楽椅子にもたれ、全身から石けんの匂いをさせながら。

 ヴェクは天井に揺れる安っぽいガラスのシャンデリアを目で追いかけていた。


 水の貴重な東側と違い、西の宿屋は湯浴み場を設けているところが多い。

 砂だ泥だをよく引っかける旅人には、湯を沸かしてのもてなしはありがたく、そして大好評なのだ。


 この日に三人が泊まった宿屋は、特に浴場に力を入れていることで有名だった。

 浴室はくつろげるように衝立仕切りではく個室。しかも湯は手で運ぶ必要がなく、蛇口をひねって合図をならせばボイラー室から送られてくる仕組みだ。

 すでに入浴し終えたヴェクも、浴室は王侯並みという宿の謳い文句が、あながち嘘ではないと納得する。

 もっとも王侯の浴室がどんなものなのかは、彼は知らないのだが。


 無駄を表す大陸のことわざに「貴人の長風呂、盗人の風呂要らず」というのがある。彼のカラスの行水と入れ違いに入った少女たちは、ことわざ通りにずいぶんと長湯を楽しんでいる様子だった。

 ヴェクは彼女たちを待ちながら、湯浴み場の前のロビーで見張りを続ける。


 警戒すべきは銃士全般への逆恨みによる襲撃、いわゆるところのお礼参りだ。

 彼らが銃士なのは一目瞭然であり、噂を避けようにも人の口に戸板は立たないと相場は決まっている。

 それに入浴中は誰しもが無防備になるし、銃士とてそこに例外はない。


 もっともヴェクの知る噂には、さる醜い銃士がお礼参りにきた悪漢を湯船から銃で返り討ちにし、おまけに「くっちゃべってねえで撃てよ」と嘯いたというものもある。

 用心するなら銃を肌身離さず持つのが理想だろう。しかし現実には、湯船に銃を持ち込むのは不合理だ。水中で撃てば故障や怪我のリスクが高まり、水に浸かった銃の手入れはそれはもう面倒極まるもの。

 結局のところ二人以上で組んでいるなら、見張りを立てるのが簡単かつ効果的だった。


 ――まぁ、見張りに指名してもらえるぐらいには信用されてるってことか。

 少女たちの長風呂を守りつつ、ヴェクは安楽椅子を揺らして独り笑う。

 

 揃って一山越えた・・・・・というのもあるだろうが、もう三人とも、お互いの流儀に口を挟まなくなった。ヴェクが少女たちに一方的に扱われている感は否めないが、それでも知り合った直後のような険呑さも、旅立ちの朝の反目もありはしない。

 彼は宿に泊まって身綺麗にする事をおぼえ、少女たちは彼の無知や粗暴に付き合ってくれている。

 一蓮托生なら心は近い方がいい。

 彼流に言えば、宿でも野宿でも飯は美味いのだから。


「にしても長すぎねえか? 二人ともふやけて土左衛門にでもなったんじゃ――」


 気楽な様子で独り言をぶち、彼は無音の動きで立ち上がると、そっと浴室のドアに寄った。

 実際の心配は窓からの襲撃なのだが、彼は生来の用心で何気ないふうを装う。


「もうラフィったら、お風呂で寝ると風邪をひきますよ」


「いいじゃない姉さん。もう少しのんびりさせてよ、久しぶりなんだしさ」


 幸い心配は杞憂に終わり、扉越しにのんびりした会話が漂う。

 ヴェクは「長げえよまったく」と無音のツッコミを入れ、扉から離れようとして思い直し、再び聞き耳を立てる。


 ――いま、ラファムのやつ「姉さん」って言ったか?


「姉さんこそ、そんなに流して羽根、痛まないの?」


「ちょっと凍みますけど逆に心地良いくらいです。ずっとコルセットの下に畳んでましたし、伸ばしておかないと気持ち悪くて」


「そうかぁ。それにしても姉さんのはいつ見ても綺麗だよね」


 言葉そのものはわかるのだが、ヴェクには会話の内容が全く掴めない。

 姉さん? 羽根? コルセットの下で綺麗?

 一瞬、不埒な想像がヴェクの頭をよぎったが、いやいやそれは無かろうよ、と彼は真顔で否定した。


「そういえば本当にヴェクが見張りでいいの? 姉さん」


「ラフィ、相手は年上なのですからさん付けしなさい。それと、どういう意味で、ですか」


「ううぅ……そんな目で見ないでよ姉さん。私もヴェク、さんが裏切るとか、逃げるとかもう思ってないから。そうじゃなくて変な事をするんじゃないかな、って。例えば私たちを覗いたりとか」


 ――乳臭いガキの裸なんぞ金を積まれたって覗かんわい。とは、盗み聞きという今の状況を見事に棚に上げたヴェクの憤りである。


「しない、とは断言できませんが」


 水の流れる音。


「だとしても、彼は私たちを背中から撃ったりはしない。私はそう言い切れます。

 そう、彼は悪魔の麗花の前で憤っていました。ぼんやりとしか聞こえなかったけれど、何か悲しい出来事とそこから来る怒り。

 大丈夫、そんな思いを持てるなら、彼は信頼できる人間です。なんなら私たちの裸ぐらいは物の数から外しましょう」


 聞いているだけで、ヴェクの頭の上には疑問符の山ができあがっていく。

 話の流れからすると彼の事と思われ、信頼に値するという評価もありがたいのだが、ソシアはいったい彼から何を聞いたというのか。

 悲しい出来事に心当たりはあるが、他人に語った憶えなどヴェクにはない、そのはずだ。


「もちろん私のそれは邪道ですけれど。それよりも、ラフィはもうちょっと信頼を学ばないと。私たちの関係も信頼から始まったのです。次はあなたの番ですよ」


「そう、だよね。だってアイツは――あの人は私と同じ名――」


 すわ核心、とヴェクが戸にへばりついたその時、宿の女性が通りかかって彼と扉とを見比べ、手で何かのジェスチャを作った。


 さすがに拙い現状に気付き、彼はばつの悪さに手を振るとしれっと安楽椅子へ座り直す。


「あら、お安くしとくわよ? のぞきよりは良いと思うけど」


「いやいい。間に合ってるってわけじゃないが、連れがいるんで夜遊びは禁止なんだ、これが」


「そう、見かけによらず義理堅いのね。お兄さんアッチが強そうなのに残念だわ」


 ヴェクに断られ、品を作って去っていく女性。

 その背中に彼は数日前の捕り物、その残響を感じ取って天井の煌めきを仰ぎ、誰にともなく言葉を紡ぐ。


「なぁ姐さんよ、アンタの言ったとおりだったぜ。世の中わからねえ事ばっかりだ」


 ギラギラと安っぽい輝きの向こうに、安物のドレスとガラス玉に飾られた白い背中が遠ざかっていく。彼にはそれが見えた気がした。


「俺はもうちょっと勉強した方がいいな。

 それと賢かったアンタだ、もし来世ってのがあるんならマシな両親を選んだ方がいいぜ。アンタみたいな人が二度とあんな所に来ちゃいけねえや」


「なにブツブツ言ってるのヴェク……さん」


 どうやら長い湯浴みは終わったようで、いつの間にか横に立っていたラファムが、怪訝そうに彼をのぞき込む。


「何でもねえよ。それよりよせやい、さん付けなんざガラじゃねえ。呼び捨てで充分だ」


「そう……なら私の事も『さんよ』なんて変な言葉付けずに呼んでよ。それでお相子でしょヴェク・・・


「はいはい、気が向いたらなラフィ・・・


「ちょ、愛称までは許してないし!」


「いいですね」


 ヴェクのいきなりの愛称呼びに髪の毛を逆立てるラファム。

 そこに湯上がりの髪を布巾でまとめながら、ホワホワとソシアが合流する。


「これからは愛称で呼び合いましょう。これも信頼の鍛錬です」


「姉さ、ソシィまで!」


「んじゃ、お許しも出たしそういう事で。ソシィ、ラフィ、俺先に寝るわ」


「だーかーら!」


「おやすみなさい、ヴェク」


 宿の部屋へ向かおうとしてヴェクは、ふいに老銃士の言葉を思い出してふり返る。やいのと怒るラファムと余裕で応じるソシア。湯上がりの空気に縁取られた二人はシャンデリアの薄明かりに麗しくも見える。


「だがよ、んなわけねえだろ」


 頭を振って、彼は薄暗い廊下へと歩いていく。

 その先に白い背中を、いるはずのない女性ひとを追いながら。




 第二話 「魔の花、峠に咲く」 終幕、次話へ続く

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