第二話 魔の花、峠に咲く
1.トカゲの野盗鍋
フレアヒェル大陸の内陸南方を占めるアンメイア王国。
長大な山脈〈
命を賭して荒野に緑をもたらした聖女の伝説。この国は〈聖メイア神話〉の聖地として南大陸の諸国から尊重され、聖女の威光を今に伝えている。
大陸最大の面積を誇る領土を持つが、その山がちの地形から未開の地も多く、主要産業を牧畜に頼るため人口はあまり多くない。
***
日がバラ色の峰にすっかりと隠れるころ、うす霧の巻く山道にポツ、と焚き火が熾きる。
「獲ってきてやったぜ!」
道の脇に鎮座した大岩の陰で、ヴェクが仕留めた砂漠オオトカゲをドサリと地面に置く。両手に余るほど肥えたトカゲに、だが少女たちは手を伸ばすどころか露骨に顔を引きつらせた。
ソシアがおずおずとヴェクに訊ねる。
「あの、ヴェクさん、これは?」
「今日の晩飯に決まってるじゃねえのよ。いやぁ久々の大物だ、こいつは食いでがあるぜ」
答えるヴェクはというと、久々の狩りと大物に満面の笑みを隠そうともしない。
荒野の空気は涼しいを通り越して寒くなり、そろそろ夕餉の準備にかかる頃合いなのだが、少女二人は毛布にくるまったまま微動だにしない。
ヴェクは心配そうに二人をに訊ねる。
「どうしたよお二人さん。真っ青だぞ腹でも下したか」
「な、何で女の子にそんなこと聞くの? おっさんバカなの!?」
「――い、いや、野宿で腹をこわすのはわりとマズいぞ? 水気が抜けてあっという間に動けなくなるし、
「ああもう! そうじゃなくって、こんな不気味なのを本当に食べる気なの!?」
木の枝でトカゲを押しやりながら、ラファムが心底嫌そうに叫んだ。
二人の体調は問題なさそうだとホッとして、しかし散々な言われようにヴェクは憮然とトカゲを見下ろす。
ラファムに言われるでもなく、まだら灰色の体中が棘だらけの、血の泡と舌を垂らした爬虫類だ。見た目の不気味さはかなりのもので、女性受けなど論外だろう。
それでもヴェクは、それがご馳走であるという認識から抜け出せなかった。
「あんがい美味いぜ、でっけえ鶏肉みたいなもんさ」
「あ、あの――私たちまだトカゲを捌いた事がないので、ヴェクさんお願いできます?」
明らかに引きつつも物腰は丁寧に、ソシアはトカゲを彼に突き返した。
ヴェクは肩をすくめ、火の横に座ると仕方なくトカゲの腹に刃を入れる。
内蔵を取り、頑強な皮をソードブレイカーを器用に使って除く。
皮を剥いで白い身を出しながら、彼は野生の臓物臭に顔をしかめる少女たちに努めて語りかける。
「トカゲも食わないとか……って良家の出ってのはそんなもんなのか。まあでも、これから食う事も増えるだろうし、そう毛嫌いしたもんでもないぜ?」
「食うに困ったとしても絶対食べたくないし」
「そんな食わず嫌いしてっから貧相なんだよ。どことは言わねえけどさ」
「それこそ関係ないし。っていうか干し肉とかビスケットとかあるのに」
「阿呆」
背嚢に手を伸ばしかけたラファムを、ヴェクがそっけなく止める。
「日持ちする物は最後の手段、そう習ったろう? 砂漠のど真ん中ならともかく、水も獲物も困らない街道筋で無駄に食ってんじゃねえよ。金の無駄遣いだ」
「それは、確かにそうですけれど」
彼に同意したソシアの顔が、トカゲを見て曇った。
三人が王立大を発ってそろそろ一週間。
支給された路銀は減り続けており、すでに各々、金貨の一枚は姿を消している。
ヴェクの財布にはまだ余裕があるが、余分の着替えや何かの材料、そして宿賃と、金を払いっぱなしの二人は果たしてどうだろうか。
「散財してると行き着く先は日干しだぜ。悪い事は言わねえからちっとは倹約しようや」
そんな事を言いながらも、ヴェクは二人にそれなりの気を使っていた。
少なくとも、本人はそのつもりだった。
でなければ奮発してオオトカゲを仕留めてこなかっただろうし、野宿にしても街道筋を避けて人目に付かない場所を選んだだろう。
何泊かに至っては宿屋に泊まってすらいる。
もし彼の一人旅なら、多少空腹だろうが寝心地が悪かろうが関係はないのだ。
酒にしても
全ては彼なりの、上品な――あくまでも彼を基準にしてだが、少女たちへの気遣いだった。
だが、今のところ少女たちは旅にあまり良い顔をしていない。
無論二人も、これが楽しい遊山の旅などとは思っていないだろう。
だがヴェクの考えと、彼女たちのそれとの間にはけっこう深い溝があるのも事実だった。
「ま、大抵の事は美味い飯があればなんとかならあ」
ちなみにこの呟きが、彼の見解の全てである。
彼に圧倒的に足りないのは繊細さであった。
「後は鍋がひと煮立ちすりゃ終わりだ」
肩肉やモモ肉は枝を刺して直焼きに。洗った内臓の一部と腹肉はぶつ切りにして、酒と香辛料、芋や豆と一緒に鍋で煮る。
あっという間に、オオトカゲは野趣に溢れたディナーへと生まれ変わった。
彼の鮮やか手並みに、二人も驚きと感心の息をもらす。
「へへっ、そんなに驚くなよ。料理も狩りも四歳から仕込まれてんだ。作らざるもの食うべからずってな……働かざるだったか?」
せっかくの格言も、炙ったトカゲのスネを歯でこそぎながらでは様にはならない。ラファムは眉根を和らげ、ソシアも口に手を当てて微笑む。
――少しは和んでくれたか。ヴェクは安堵しながら、鍋が噴きこぼれる寸前で火から離して蓋を開ける。
姿を現したのは豆の色が移ってほんのりと赤く染まった、美味しそうな煮込み料理だ。半ば崩れた芋と豆が脂の乗った肉に身に絡み、辛みと甘みを含んだ匂いが風に舞って食欲をかき立てる。
ラファムがノドを鳴らし、横ではソシアが鍋を指す。
「……これは何という料理なのです?」
「いや特に名前はないぜ。強いて付けるなら〈トカゲの野盗鍋〉ってところかな」
「なんかひどい名前」
「うるせえ、文句があるなら食わなくていいんだぜ」
ヴェクは茶目っ気に、三人分のカップからラファムの分を抜こうとする。
それを慌てて止めながら、ラファムが唇を尖らせた。
「食べないなんて、言ってないし」
「言ってましたね」ソシアからのツッコミ。
「言ってました」それも丁寧に二度である。
思わぬ裏切りに涙目になったラファムは、張っていた意地を即行でかなぐり捨て、カップを掴むと乱暴にヴェクへと突きつけた。
「ごめん!」
「えぇ……まあ、あれだ、名前なんかどうでもいいんだ。冗談さ、ははっ、ぁ?」
親友というには親密に過ぎて、姉妹すら思わせる二人の力関係。
それを見せつけられて、未だに二人を深く知らないヴェクは困惑しながら、料理をラファムにも注ぎ分けた。
「……これ、美味しいです」
しれっと先に口を付けたソシアが目を丸くする。
ヴェクはそれみたことかと笑って、自らもカップを啜った。
味付けは目分量だったが、まずまずの出来。
トカゲに脂が乗っていたおかげでコクが深く、程よく甘めのスープには、微かにピリッとした香辛料の香りが混じっていた。
あれほど嫌がっていたラファムも、口を付けるなりパッと顔を輝かせる。ヴェクはニッと歯を見せ、焼き色の付いた串肉を二人に配りながら自信を深めていた。
――な、やっぱり美味い飯が一番さ。
欠陥含みの持論を確認しながら、彼は冷たさを増す空気に負けじと、肉汁溢れるトカゲ肉をもしゃもしゃと噛みしめたのであった。
***
翌朝。
大岩の横でまだ夢の中の三人。
と、そこに鈍い蹄の音がゆっくりと寄ってくる。濃い霧の中、それは四本の脚でトコリ、トコリ、と岩の間を動き回り、黒い顔でわずかな草を探しては根本からはみ千切る。
やがてそれは、少女たちからすこし距離を開け、見張りに疲れて爆睡していたヴェクへと近づき……二又の蹄が彼の腹にドスッと食い込んだ。
「ぐはッ――ってんめぇぇ!」
安眠を邪魔されたヴェクは悪鬼の形相で跳ね起き、怒り任せに銃を抜く。
だがそれは逃げるどころか悠然と角を降りかざし、半月形の据わった目で銃口を不思議そうに眺めるだけだ。
それは白くてモコモコとしたヒツジだった。
黒く小さな耳に木製のタグをぶら下げ、ヒツジは動かないヴェクから興味をなくして草を探す作業に戻る。
無論、彼が怒ったところで理解する相手でもければ、銃声で少女たちを起こすわけにもいかない。ヴェクは憤懣やる方無しと銃を収める。
「まったくひっでえ朝、だ?」
目が覚めるにつれ、彼は気付いた。
立ち上がって無礼なヒツジの尻をひと叩きすると、彼は岩の尾根へと静かに脚を向けた。途中で数頭のヒツジとすれ違い確信を深めた彼は、やがて尾根に登り切るなり、朝霧たなびく谷を見下ろして軽く舌打ちした。
「近くに、村、あったんじゃねえのよ」
周囲から小川が流れ込む大きな谷。
その中央に横たわった質素な家並みが、谷にさし込む朝日に映えていた。
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