2.峠の村
ガルダドック村は
というのも、端的に言って場所が悪いのだ。
北の辺境が近く、西の王都からは遠く、訪れるものといえば砂嵐か霧か、はたまた辺境への入植民が年に一回ぐらいという完璧な僻地にある。
ヒツジの放牧が主な生業であり、これといった特産品もない。
ヴェクたち一行がこの村に来たのは全くの偶然だった。
王立大から最も近い峠がここの近くにあり、しかも彼らはある事情から、峠越えを焦っていた。
地図に小さく書かれた村名を見落としたのも、まあ、むべなるかな。
店が七軒並べば大通り、とは寒村を指して都市の人間があざ笑う言葉であるが、ヴェクが指折り数えたところで、ガルダドック村の細い通りには六軒があるばかりだった。
「鍛冶に雑貨に宿屋に石工、あとは教会に銃士ギルド、と。宿屋の酒場を別にしてようやく七軒じゃねえか。ここまでくるとギルドがある方が驚きだぜ」
銃士ギルドというのは、簡単に言えば銃士のための事務所である。
町程度の規模の人里には必ず存在し、大きなものになると単に事務所というだけではなく、銃士のための詰め所兼酒場や簡易宿舎、さらに魔銃を手入れする工廠や、弾薬や装備を販売する売店まで備えた銃士の一大拠点となる。
とはいえ、そんな大きな施設がこんな寒村にあるものでもなく、事実、軒先にぶら下がった小さな看板を除けば、質素極まる木造二階建はそこらの家と変わりない。
望みが薄そうに視線を交わして、三人はそのギルドらしき建物へ馬を進めた。
一応、それぞれ銃士を表す白のコートをはためかせているのだが、注目する人間が一人もいない。どころか、通りには人っ子一人見当たらなかった。
「人がいない、ってわけじゃないみたいだけど」
ラファムが方々の煙突から立ちのぼる煙に目をやる。
まだ朝も早く、朝食が済んでいない家も多い。賑わうにしても時間が早すぎた。
三人は馬を銃士ギルド(?)の馬繋ぎに留め、建て付けの悪い扉をギシリ、と押し開ける。
あに図らんや、そこでは朝食のテーブルを囲んだ老夫婦と少年が、パンを片手に目を丸くして彼らをふり返るところだった。
老人の肩から下がった飾り帯で、辛うじて彼が銃士であるとわかるが、腰は曲がり頭は禿げ上がり、服装に至っては文句の付け所なく羊飼いのそれであった。
老人は頭を撫でつつ三人に声を掛ける。
「こりゃびっくりした。印のない銃士って事は、お前さんらは新士ですな? いんやぁ、この村に新士が来るとはいつぐらいぶりか。こりゃ砂嵐も回れ右して逃げ出すわい」
「こっちも骸骨がしゃべっててビックリげふゅっ!」
思わずノリで答えたそこへ、ラファムの裏拳をわき腹に受けるヴェク。
とりあえず礼を執り自己紹介する三人に、老銃士は呵々と笑い、かしこまらんでください、と椅子を勧める。
「いやいや、もう半分は墓に足突っ込んだ老骨でのう。魔銃も返納して、この辺の村を息子夫婦の力を借りて見回るのが日課でしてな」
「息子さんも銃士なのですか?」
ソシアの問いに、老銃士は残り少ない歯を見せる。
「自慢の息子でしてな。ですがあいにく、一昨日から夫婦ゲンカの仲裁に別の村へ行っておりましてのう」
「父ちゃん強いんだぞ!」
無邪気に拳を振り上げた少年の頭をポンと撫で、ヴェクは、そうか強いかスゲェな、と少年に話を合わせた。
自分にも父親がいればこんな感じだったかな。
彼はそう考えもしたが、結局想像も付かないので視線ごと考えを明後日に放り投げる。
と、そこで彼は少年を見るラファムの異様な目つきに気付く。
クリッとした鳶色の瞳の奥には、笑うでも怒るでもなく、ただ感情の失せた凪が広がっていた。ヴェクにも、そんな表情に思い当たる節は多くない。
強いて言うなら――
――相手を殺したいほど羨ましがってる奴の目。なんだろうねこの娘は……。
ヴェクの視線に気付いたラファムが顔を逸らしてしまった事で、彼の考え事はすぐに中断される。
そんなヴェクたちを他所に、ソシアと老銃士は世間話を続けていたが、頃合いを見てソシアが控えめに話を切り出した。
「ところで、こちらはギルド業務――仕事の斡旋などは……」
「申し訳ないですが、やっとりませんのお。このガルダドック村は平和そのもの、よそ者もほとんど来ず、そうそう事件などありません」
「マジかい。まあ、もしかしたらぐらいで寄っただけだし、しゃあねえやな」
老銃士の返答に肩をすくめるヴェク。ソシアも残念そうに眉を下げた。
一般に、銃士は国家や都市に仕える者と思われているが、それが全てではない。
むしろ圧倒的にそうではなく、独立独歩の銃士――〈
銃士の務めは銃士ギルドが自由銃士に仕事を斡旋する事で成り立っており、内容によっては日雇いや時間給もあり得る。
三人がもしやと考えていたのは、そういった類の仕事を斡旋してもらえないか、という事だった。
倹約が厳しいなら頼るよすがはそれしかない。
そもそも学校から支給された金貨十枚ぽっちで大陸中を巡るなど土台無理な話で、路銀は道中で稼ぐもの。そのことは証書にも明記してある。ギルドで証書を提示すれば、彼ら新士も何かしらの仕事を回してもらえる手筈になっていた。
なっていはいたが、仕事自体が無いのではどうしようもない。
「予定通りに峠を越すしか無さそうだ。邪魔しちまったな爺さん」
「いやいや、ほんにすまんこって。お詫びというてはなんだが良かったら婆さんのパンでも持ってってくれ。峠越しだと煮炊きは難しいだろうて」
「お気遣い助かります」
席を立つ老婦人にソシアが会釈する。
ちょうどその時だった。扉がバツンと勢いよく開かれ、老銃士よりさらに年かさの老人が、手に持つ杖も定まらない様子でギルドに駆け込んできた。
「銃士様、銃士様! わ、わ、ワシんとこのリーアを見かけとりませんか!」
「アーラブかい? どうしたそんなに慌てて」
老銃士が寄ると、アーラブと呼ばれた老人は精根尽き果てた様子で腰を落とし、なのに腕だけは半狂乱でその袖にすがりつく。
「リーアが、孫娘のリーアがいなくなってしもうた! きっと峠向こうに出て行ったんじゃ」
「まあ落ち着けアーラブ、事情は向こうで聞こう。若いの済まんが手伝ってくれ、こいつ腰を抜かしたようだ」
老銃士に案内され、ヴェクは混乱しきりの老人をこぢんまりした書斎へと運ぶ。
彼が埃っぽい長いすに老人を座らせれば、後ろからラファムとソシアも付いてきた。
「落ちつけアーラブ。まずは順序立てて聞かせてもらおうかの」
紙とペンを持つ手際のよさに往事の雰囲気を感じさせつつ、老銃士は事の子細を聞き出しにかかる。
ヴェクも少女たちも横から聞き取りに参加し、各々で老人の訴えを整理した。
老人の名前はアーラブ・リマール。
フェルト羊毛を作るヒツジ農家の主。
今朝リマール一家が目覚めると、十一歳の女の子リーアム・リマールの姿が消えていたというのが、彼の訴えだった。
一家は家中くまなく探したが見つからず、さらに荷役用のラバも一頭見当たらないという。
「リーアちゃんはよくラバに乗ってたし、懐いてただろうよ。上谷にバラ石でも拾いに行ったんじゃないか?」
「いえそれが銃士様、うちにはもしやと思う事が……」
「それは嫁さんの病気かい? さらに悪くなったのかい?」
何かに合点した老銃士は、ヴェクたち三人に手短に事情を説明する。
リマール一家の嫁、つまりリーアムの母親はいま病に伏せっている。
まだ命までは失っていないが、咳と熱がくり返し襲う「ヒツジ熱」という病気らしく、日ごとに衰弱しているらしい。
アーラブによると昨日、一家は訪ねてきたなじみの羊毛問屋から、ヒツジ熱を治せる医者が峠向こうに滞在している事を聞かされた。
しかし、弱った母親に片道三日という峠越えは無理であり、困った末にとにかく問屋に頼んで治し方だけでも聞いて来てもらう事にしたのだという。
「その時、リーアだけが反対したんですじゃ。私だけでもお医者様を連れてくるとか言って。何とかなだめて寝かしつけたんじゃが」
「とすれば、峠へ向かったのかのう。片道三日はかかる道だが」
「三日、ですか?」
ソシアが地図を持って会話に入る。
「この地図では一日半になっておりますけど」
「あーお嬢さん。その地図の
「なるほど、ありがとうございます」
納得して地図に書き込みを入れるソシア。
と、ここで何を思ったのか、老銃士はチラリとヴェクに目をやる。
「馬があればのお。あいにくと、うちの馬は息子夫婦に貸してしもうたし」
さらにチラッ。おまけに二度ほどチラチラッと。
「誰ぞ行ってくれんかのお。あまり手当は出せぬが」
――この手管よ。きっと現役の頃からそういう人物だったに違いない。
ヴェクは内心苦笑いしながら、悲嘆に暮れる老人の手前、平静を装って手を挙げる。
「爺さん、俺が行ってく――」
「私も行く!」
そのとき予期しない声がヴェクの隣から上がった。
ラファムだ。ここまでほとんど話さなかった彼女が、なぜか身を乗り出して異様なやる気を見せている。そのやる気が強すぎて、さらに無茶な事まで言い出す始末だ。
「リーアちゃんを見つけて、ついでに医者も連れてくるよ」
面食らったのはヴェクである。
「おいちょい待ちお嬢ちゃん。いやラファムさんよ。
そうすると俺たちは行き、帰り、行きで三度峠を越える事になるぞ。いくら馬で走るとしても、少ない手当に六日も七日もかけてられるかよ。問屋が戻るのを待ちゃいいんだから、必要以上のお節介はナシだぜ」
こそこそと声を潜めようとしたヴェクに、ラファムは正面から突っ掛かる。
「リーアちゃんのお母さんが死にそうなんでしょ! もし間に合わなかったらどうするの!」
「そりゃ…………寝覚めが……じゃねえ。銃士は町のご用聞きじゃねえんだ、そこまで面倒は見きれねえよ。時間が惜しいんだよ、最初の教導銃士の居場所だってまだ知らねえのに」
「教導銃士の居所なら知っておるぞい」
「マジかよそりゃありがてえ、ってうわジジィ!」
いつの間にか老銃士が二人の会話に割り込んでいた。
「儂の知り合いでのう。この前、便りが届きましてのう」
そう言ってニタリと口角を上げた老銃士に、ヴェクは思わず天を仰ぐ。
――タダ働きの予感。っていうか年食った銃士ってのは、どうしてこうロクでもねえのが揃ってんだ?
「タダとは言いませんぞ。アーラム、リーアちゃんが戻って嫁が無事に治るんなら、少し金を出しちゃくれんかね」
「そ、そりゃ願ってもないが……ああ、少しなら」
「そういう事でな。どうする若いの」
具体的な金額を出してこないのがいかにも胡散臭く、さらに情報の真偽すら疑わしい。餌で釣って面倒事を押しつける盗賊頭によくある手口だ。
とはいえ、もし老銃士の言が真実なら一週間の上がりとしては悪くない。
ヴェクは頭をひねって慎重に算盤を弾こうとする。ところが何らかの意思に燃えたラファムが、それを見事にぶちこわした。
「やるよ、私やってみせる! ソシィもやるよね」
「はい。これも銃士の務めですから」
「……いやおい、勝手に話決めんなよ、頼むぜ」
もう計算もへったくれも無く転がり出していく事態に、ヴェクはガックリとうなだれるのであった。
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