７．出立の朝
白染めのコート、金貨十枚、毛布二枚、整備用具一式、大きな水筒一つ、着替えが数着、その他細かいのが多少。
新士に与えられた支給品を背嚢にまとめ上げ、ヴェクは朝日を横面に、生あくびを打つ。
二日と留まらない。そんな教官の言葉に偽りはなく、彼はフェアラムに急かされるまま、ほぼ徹夜で準備をさせられていた。
宿舎には戻らず、また戻る用事もない。
生徒の私物などせいぜいが服ぐらいで、ヴェクはそれすら上から下まで支給品の身だった。
フェアラムも戻るのはおすすめしない、と彼に釘を刺している。
曰く、過去に深刻な事件があったせいだとか。やはり銃士も人の子なのだ。
準備を終えたヴェクは背嚢を担ぐと、休む間もなく教官詰め所から外へ出た。
その足どりが重いのは、背嚢の大きさのせいであり、徹夜まがいの疲れからであり、そしてなにより……。
「せっかくの旅ぐらい、一人で気ままに過ごしたかったぜ」
大校舎前の馬寄では、独り言に愚痴る彼を二人の少女が待ちかまえていた。
青銀髪の娘、ソシアが彼にペコリと頭を下げる。
「おはようございます、ヴェクさん」
「遅い、さっさと来る」
金髪を冷えた空気になびかせたラファムが、彼を手招きしながら不平をもらす。
「ほんとに、何でこんなのと組むんだか」
「そりゃこっちが言いてえよ」
疲れた顔でぼやき返したヴェクに、ラファムは無言で目くじらを立て、ツイとそっぽを向いてしまった。
このちょっと険呑な事態の切っ掛けは、フェアラムからの最後の申し送りにあった。
「ヴェク、お前だけ一人で試練に挑ませるのは少々不安が残るからな。ソシアとラファムを目付として同行させる事にした……じゃねーよまったく」
人を嵌める事に関しては周到なフェアラムである。万が一にもヴェクが魔銃を持ち逃げしないようにと、弟子二人を同行させると言い出した。
もちろんこの処置について、彼の拒否権などあろうはずもない。
断れば首が飛ぶ。物理的に。
「酒も女も賭けも我慢した四年……おめガキ……じゃなくて淑女方にゃあ俺の気持ちなんてわからねえよな、わからねえはずだ。んったく教官殿も適当なこと言いやがって、なーにがテストに受かれば全部問題ない、だよ！」
そういうわけで、四年に渡る厳しい訓練を大の大人に堪え忍ばせるには、実体のない飴が平然と使われていたのであった。
やはりここでも、銃士も人の子なのである。
「わけわかんない事ブツブツ言ってないで、とっとと馬に鞍を乗せてよ」
石畳に向けて呪詛を吐くヴェクを、ラファムが馬繋ぎに押しやる。
学校からの最後の支給品である青毛の馬と対面したヴェクは、その堂々たる佇まいに不機嫌を散らして口笛を吹いた。
大きくはないが堂々たる太さの牝馬。
黒に近い体色とがっしりした体つきは、いずれも荒野を制してきた血筋の証であった。
銃士と馬とは切っても切り離せない関係にある。
フレアヒェルは人の住む大地ではあるが、その大半は乾ききった荒れ地に占められる。
人を追い、化け物を追って荒野に入る銃士たちにとって、大きな荷物もかさばる馬車も邪魔なだけだ。さらに言えば、彼らは魔銃という圧倒的な火力に馬という自在の機動力を重ねる事で、人馬一体の比類無き
「……コイツはまた」
――立派な馬だ。
目を釘付けにしたヴェクに、馬も横目で値踏みするような視線を返す。
心の内が通じたわけではないだろうが、馬は興味深そうに彼に首をやり、誇らしげに低い鼻息を鳴らした。
「おまえ牝馬か、いいねえ最後に
おい名前は？ ああ、名札があるのか」
馬の首に掛けられた木札を確認し、ヴェクは納得の手つきで黒い肩を撫でる。
「美しいが棘がある〈
青毛の牝馬――メルは耳を横にパタリと振って、彼に首を預けたのだった。
＊＊＊
朝日が城壁から顔を出さんとする早朝。
人っ子一人いない王立大のメインストリートを、新たな銃士を乗せた馬が三騎、門へと駈け進んでいく。
見送りはない。
それは下級生たちには謎でも、教官や新士にとっては自明の事だ。
彼らは門を出て銃士になるのではない。ただ修行の場を荒野と
黒の牝馬メルに跨るヴェクを、栗毛の兄弟牡馬を駆るラファムとソシアが追う。
それぞれこれが初駆けとは思えないほど人馬とも息が合い、手綱も
三騎が門にさしかかれば、それは静かに開いて行く手に世界を示した。
「止まれ、敬礼っ！」
馬を止めたラファムの号令に、ヴェクとソシアも馬を返して学舎を仰ぎ見る。
〈
その心臓に手を当てる礼は、かつては正義と忠義に心臓を捧げるという意味があったそうだ。
三人は静かに心臓を朝日へと、法と契約の神へと捧げた。
「ゆくぞ！」
今度はラファムを先頭にして、彼らは四年ぶりに……若干そうでない一名がいるが、とにかく四年ぶりに外の世界へと駆け出していった。
王立大の付属市街を走り抜け、わずかな森と緑地をくぐって。
町外れの丘に至った三人は、その頂からの光景に忘れかけていた畏怖を呼び起こす。
地平線まで果てなく続く岩砂漠。ホコリ草が転がり、立つものは枯れ木とサボテンだけ。
これが、これこそがフレアヒェル。世界で唯一、人が住まう厳しき大地だ。
「久しぶりに見るが……たまんねえな」
「なに、ブルってるの？」
並走するラファムのわざとらしい辺境訛りに、ヴェクは楽しげに舌打ちする。
「いいやワクワクしてるのさ！ ハイドゥ！」
鳴らした手綱にメルが足を速め、ヴェクは二人を抜き去って風になった。
もし来世ってのがあるとして
――ギリリ、歯を鳴らして彼は笑った――来世が用意されてるんなら、次はマトモでなくていいから楽しい人生を頼む。そうだな、さしあたって〈銃士〉はナシでお願いするぜ。
ヴェクは吹き付ける荒野の風に負けじと、力の限り叫んでいた。
「ま、俺はもうちょっとこの人生、楽しんでからにするけどな！」
第一話 「アラサー新人銃士、爆誕」 終幕、次話へ続く
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