第4話 追跡ふたたび

 神殿から出発してかれこれ二時間が経過した。花女をして『聖地』と言わしめる霊峰も、随分と間近に感じられる所までやってきている。

 あたりは相変わらずの景色だ。大草原に花木が揺れる。

 ここまでの道すがらふたつほど町を通ってきたが、いずれも平和そのものだった。

 少女曰く「花の賜物」だそうである。


「つまりはこの世界の国々は、花を奪い合うために戦争してんのか?」

「ええ。悲しいことに」


 花女を助手席に迎え、ジープは快調に飛ばしている。

 走り始めは彼女がはしゃいで大変だった。異世界交流の進んだ昨今といえども、自動車に乗るなど彼女にとって未知の経験である。

 この棒は何だとか、何を踏んでいるんだとか。

 どうやって動いている? さっきのウィンチはどう使うんだ?

 普段、神殿に引きこもっている彼女にとって、とにかく興味は尽きない。

 しかしそれも小一時間まで。代わり映えのしない風景に、口数も次第に少なくなる。

 町で買ったおやつにも飽いて、いよいよやることが無くなったとき、車内は自然とこの世界の成り立ちの話題になっていた。


「たしかにアンタらが俺たちの世界へやって来たとき、どこかの王さまが最初に命じたのが『花を集めよ』だったらしいからな――」


 と、時折ミラーをちら見しながらのヤマト。

 口の周りをクラッカーで汚して花女に笑われている。「拭きましょうか?」と彼女に問われて慌てて手の甲で拭うなど。

 花女に彼の緊張感は伝わらないらしい。


「こちらの世界では今、花の数が減ってしまっているのです。だから各国の王は、ヤマトさんたちの世界へ花を求めているのですね……」

「なるほどね。まあ俺たちにはすでにアンタらの侵攻に抗えるほど力は無かったし、ウォン商会みたいに上手く立ち回ってのし上がった奴らもいる。石油も鉱物資源も、今じゃこっちの世界に頼りっきりだ。花くらいはどうぞ好きにしてくれって感じだな」


 ヤマトはジープのハンドルを叩いて悪態をついた。

 一方、卵型の育成ポットを胸に抱いた彼女は、そのあどけない顔に暗い影を落とす。


「たしかに花は人命よりも尊い存在です。でも人命を賭してまで奪い合うものではありません。いつからか世界はそんなことも分からなくなってしまった。花の巫女として責任を感じます」


 花女は神の意思を継ぐ一族の末裔である。

 だが考えてもみればまだ自分と同い年くらいではないか。

 花の巫女だか何だかよくは知らないが、随分と厄介な運命を背負わされているな――。

 ヤマトは同情とも憐憫ともつかない複雑な感情に悩まされている。

 こんなことは初めてだった。


「それにしても――」


 ようやく顔を上げた彼女は、ゆっくりと後ろを振り向いた。

 ジープが巻き上げた砂塵の向こうに、かすむ黒影が躍動しているのが見えた。

 ヤマトもまた先ほどから何度もバックミラーで同じものをちら見している。


「なんでわたしたちはお馬さんに追われているのでしょう?」

「アンタ、人の話聞いてたか?」


 現在、彼らの後方には十を越える数の騎馬が迫っている。

 それはあたかも数時間前の出来事の再現だった。

 花女はヤマトからその件について聞かされていたにも関わらず、助手席のシートに膝立ちになって迫りくる騎馬隊を暢気に眺めている。


「奴らの狙いはその花だ。俺がこっち側へ来る前から狙われてる。よっぽど大事なもんらしい」

「そんな……。この花はたしかに特別ですけど、そういうのじゃ――」

「おっと! 舌噛むぜ! 口閉じときな!」

「きゃああっ」


 ジープの前方からさらに新手が現れる。いよいよもってあの時の再現だ。

 先陣を切って駆けてくる騎馬には、一際立派な甲冑を纏った騎士が跨っていた。振り上げた手には大槍が握られ、地響きと共にやって来る。


 二度目の挟み撃ち――懲りない奴らだと、ヤマトは急ハンドルを切る。

 直角カーブに揺られたジープは、板バネ式のサスペンションを軋ませながらロールする。

 車内では花女が大狂乱の真っ最中だ。シートにしがみついて、ヤマトには聞き取れない見知らぬ言語で喚いている。


「へへっ。何度来ても同じだぜ。花んなかに突っ込みゃこっちの勝ちだ」

「だ、ダメですよ! そんなことしちゃダメ!」

「お、おい!」


 全速力のさなか、助手席から花女の手が伸びる。

 ハンドルを掴んだ彼女は、見よう見まねでステアリングを切った。

 さきほどの比では無い悪魔の挙動がジープを襲い、片側のホイールが完全に浮いた。

 すぐさまカウンターステアをあてるヤマトだったがコントロールが利かない。車体が横転しないようにするので精一杯だった。

 地面には泥酔した大蛇がのたくったような軌跡が残り、えぐれた赤土が砲弾をくらったように飛び散っている。

 壮絶な片輪走行がしばらく続き、ジープは美しい花畑を前にしてようやく止まった。


「し、死ぬかと思った――」


 ハンドルに額をつけたヤマトが項垂れている。心底命拾いしたと思った。

 いつの間にか後部座席に吹っ飛んでいた花女は、花を抱いたまま放心状態である。

 やがてふたりが心の平静を取り戻し、周囲の気配に気付いたころには、すでにジープは夥しい数の騎馬兵に取り囲まれていた。


「――花女さん。ライフル取って……」

「らい、ふる?」


 花女は足元で無造作に転がる猟銃を、視界の端に捉えた。

 だがときはすでに遅し。


 ジープのボンネットが『ぼんっ』という鈍い音と共に沈み込んだ。ヤマトの視界にはフロントガラス越しに二本の脚が屹立している。ゴツいアーマーを装着してなお感じられる強靭さに、ヤマトは思わず息を呑む。

 そして次の瞬間、フロントガラスを突き破り大槍の穂先が飛んできた。


「きゃあああああああっ!」


 花女の叫び声がするなか、鋭利な穂先がヤマトの頬をえぐる。

 肉が裂け、鮮血が滴り落ちる。あえて外したらしいが、傷は決して浅くはない。

 ボンネット上で槍を構えている騎士は、騎馬隊のなかにあって先ほどから目立っていた先陣の男だった。兜越しにもその勇猛果敢さが表情ににじみ出ている。

 そんな彼が何かを言っている。当然だがヤマトには言葉が分からない。


 すると業を煮やしたか。

 男は一度槍を抜いて、再び構え直した。今度は明らかにヤマトの胸元を狙っている。

 一秒が永遠にも感じられる刹那の時間だ。

 ヤマトの脳裏には、はっきりとひとつの言葉が刻まれた。


 殺られる――。


 ヤマトがシートから逃れようとしたとき、突如として背後から柔らかな二本の手が現れた。

 その手は彼の胸元を絶対的な狂気から守るようにして覆う。

 花女だ。

 震えながら彼女は、小さな声で何度も何度も同じことを繰り返している。それでも彼女の華奢な腕はヤマトの身体を抱きしめて離さなかった。

 ヤマトには言葉が分からない。全身が弛緩して彼女の腕を振り払うことも出来ない。

 だが命を救われたことだけはかろうじて分かった。

 自分よりもなお震える、細くて儚げな両腕に。

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