第3話 花の巫女

「た、助かりました! ありがとうございます!」


 少女は額を地面に擦り付けるようにして深々とお辞儀をした。

 ヤマトは少し居心地が悪そうにそれを辞めさせると、彼女に付いた泥を払う。健康的な肌ツヤはしているが、見た目通りの華奢な身体つきだ。

 しかしふたりの身長差はそれほど無い。立てば同じ高さに目線が来る。

 確かにヤマトは十七歳の男子としては小柄なほうではあるが、それをして少女の体型は大人びてスリムであった。

 目があってヤマトは急に気恥ずかしさを覚えた。青空みたいに綺麗な瞳だ。そんな心を悟られまいと、ごく自然に彼女との間に距離を取る――。


「……気にするな。こっちも届け先に人が居ないと困るんでな」

「届け先? あ、ウォン商会の」

「そういうこった」


 ヤマトはあらためて花の入った育成ポットを彼女に手渡した。

 すると少女の顔は、それこそ大輪の花が咲いたかのように明るくなって、きつく育成ポットを抱きしめる。


『おかえり……おかえり……』


 うっすらと目に輝く雫の意味も、聞きなれぬ異国の言葉で繰り返される「おかえり」の意味もヤマトには分からない。でも、とても慈愛に満ちた表情だと感じた。

 どこか懐かしさを覚えて古い記憶を辿ると、それが母親の顔だと気付いた。

 不思議と充実感が湧き上がる。

 騎馬隊に追い回されながらも届けた甲斐があったなと。


「あ、そういやアンタ名前は? 受け取り作るからさ」


 ヤマトはそう言って、懐から台帳を取り出した。物思いにふけってはいても仕事は忘れない。

 すると少女は涙で濡れた長いまつげをそっと拭って「花女です」と答えた。


「はなめさん。変わった名前だ」

「花女は、花の巫女という意味で本名じゃないんです」

「じゃあ本名は?」


 花女は「ふふふ」と微笑んでヤマトを見返した。

 あまりにも可愛らしい表情で、彼は自分が普段はらんでいる毒気のすべてが一気に浄化されたのでは無いかとすら感じた。

 そんな彼女が言うには、ヤマトらの世界には存在しない言葉なので発音しても聞き取れないらしい。「じゃあ花女でいいよ」と簡単に応じたヤマトは、彼女から受け取りのサインをしてもらった。


「花の巫女さんか。そういやこっちの人間は、キチガイみたいに花を大切にしてやがんな」

「ええ。わたしたちの世界では、花は人命より尊いのです。決して害してはならない」

「はあ? そりゃまたなんで」

「神さまとの契約です。花を愛でよ。花の数だけ奇跡を起こす。心せよと――代々その教えを守護しているのが、わたしたち花女の一族なのです」

「ははーん。それであいつら俺が花畑にジープで突っ込んでも追いかけて来なかったのか。えらく迷信深いこって」


 ヤマトが数時間前までの騎馬隊からの逃走劇を思い出し感慨深げにしていると、急に血相を変えた花女は慌てた様子で彼の身体に飛びかかった。

 あまりの急変ぶりに、逆にヤマトが狼狽せんばかりだ。


「だ、大丈夫ですか? お怪我はしていませんか?」

「え? あ、ああべつに問題無いけど……」

「たとえば吐き気がするとか、頭が痛いとか、あと――あと心臓が破裂しそうとかっ」

「ちょい待て! そんなにヤバイのか、花をないがしろにすることがっ」

「最悪、国家が滅びます」

「な――」


 ただでさえ顔色の優れないヤマトの表情から血の気が引いた。

 花女は告げた。お帰りには十分お気をつけください、と。


「そ、そうか。帰ろう。向こうに着けばこっちのルールなんざ関係ねえだろうし」

「はい。本当にありがとうございました。これでわたしも『聖地』へ旅立てます」

「あ? いまなんて言った?」

「だから『聖地』へ」

「『聖地』ってここじゃないの」

「ここは神殿。花女の『聖地』は他にあって、これからこの花を植えに行きます」

「アンタひとりで?」

「はい」

「どこまで――」


 そうヤマトが問うと、花女は育成ポットを片手に抱いたまま遠くを指差した。そこにはゆるく稜線を引く峰があった。頂上近くは雲でかすみ、万年雪の帽子をかぶっている。

 見た目ほど遠くは無いかもしれない。

 だが少女の脚で一体何日掛かることやら。

 ヤマトは彼女の抱く大輪の花をチラと見た。どこの国かは知らないが、この花を狙っている奴らがいることは確かだ。しかし花が巫女の手に渡った今、果たしてまだ追ってくるのだろうか。


「この花は特別なものなんだな?」


 ヤマトは花女に念を押す。

 彼女はコクンと小さく頷いた。


「ええ……少なくともわたしにとってはとても」

「そうかい。分かった。準備してきな」

「え?」

「一緒に行くって言ってんだよ。俺は『届け屋』だ。その花はまだアンタの心に届いてねえ」

「『届け屋』さん……」

「ヤマトだ。俺は『届け屋』のヤマト。一旦、引き受けた仕事は必ずやり遂げる」


 かくしてヤマトは花女を伴い『聖地』へと旅立つのであった。

 ふたりの頬を撫でる風が、優しい蜜の香りを運んでくる。『異世界』の空は高い。

 ヤマトは颯爽とジープに飛び乗った――。

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