第2話 ブリェアイナ・カルデ

 追手を完全に振り切ったヤマトは、再びジープを巡航速度で走らせる。

 あたりは相変わらず見渡す限りの花畑だったが、道路は次第に赤土の大地から石畳の舗装路へと変わっていった。前方には馬車の残した轍が続き、ジープの車輪もそれにならう。

 乗り心地が格段に良くなり気分もいい。

 後部座席に揺れる花も、どこか喜んでいるように感じられた。


 道路が整備されているのは目的地が近づいている証拠だった。

 これから向かうのはこちらの世界の神殿である。

 ウォン商会の社長が言うには「大変高貴なお方なので粗相の無いように」だそうだ。

 スラム出身『届け屋』風情に礼儀作法を求めるなんざイカれてる――そう思いながらもヤマトは胸元にしのばせた、こちらの挨拶をメモ書きしたあんちょこを手にした。


「あ、あるざーど、でぃち、ぶりぇええな、かーで? 言いづれえなこんちくしょう」


 慣れない発音に悪戦苦闘していると、やがて景色は一変する。

 造形も見事な巨石の杜に守られた聖域。凛と張りつめた空気が車内にも伝わってくる。プンと香ってくるかがり火の煙は、松ヤニにも似てヤマトの鼻腔をくすぐった。

 一体どこからが神殿なのかも分からず、のろのろとジープを走らせるうち、巨大なアーチ型の門をくぐり抜けた。そこでまた景色は新しい表情を見せる。


 庭園だ。


 花々と蝶の舞う美しい庭があった。低く切りそろえられた立木や、丁寧に刈り込まれた緑が道を作りヤマトを幻想の世界へと誘った。彼はそこで初めてジープを降り、胸いっぱいに空気を吸い込んだ。

 甘い香りがする。蜜の匂いだ。

 土と光が生み出す荒々しい大地の臭いもする。全身の毛が逆立つようだった。

 これが自然に触れるということだと、ヤマトはこちらの世界に来るたびそう思う。しかしこの庭園はいつもの比では無い。ここがこちらの世界における聖域であることがよく分かった。


 鋭敏になったヤマトの感覚が、自分以外の何者かの気配を捉えるのにさほど時間は掛からなかった。その人物は銀色のジョウロ片手に、不思議そうな表情をしていた。

 色とりどりの花の只中に立ったひとりの少女は、よく日に焼けた健康的な肌をしている。

 長い金髪をアップにまとめ上げ、白いエプロンを身につけていた。


「あ、えーと……あるざーど、でぃち、ぶるえぇ――」

「ブリェアイナ・カルデ。『お会い出来て光栄です』という意味です」


 少女はそう微笑んだ。

 長いまつげが陽に当って目元に影を落とす。

 呆気にとられたヤマトは、砂まみれの黒髪をクシャリとやった。


「なんだこっちの言葉喋れるんじゃねえか」

「はい」


 傍らにあったテーブルにジョウロを置いて、少女はあらためて返事をする。

 太陽のような笑顔に、ヤマトは一瞬心を奪われた。だがすぐに果たすべき目的を思い出すと、彼は愛車ジープの後部座席へと身を滑り込ませる。

 ヤマトは花の入った育成ポットを車内から降ろした。

 その姿はまるで赤ん坊でも抱いているかのようだ。

 ほんの数時間とはいえ共に死線をくぐり抜けてきた仲である。多少の情はわくというもの。


「これがアンタのご注文の品で間違い無い……ってあれ?」


 振り向くとそこには少女の姿は無かった。

 花々は風に揺れ、小鳥が枝をくわえて空へと飛んでいく。まるで一枚の絵画でも見ているようだとヤマトは思う。

 そこに人など最初から居なかったような雰囲気だ。

 だがテーブルの上には使われたばかりのジョウロが、水滴に濡れて光っている。そして耳の奥には彼女の愛らしい声がまだ残っていた。

 まさか自分は幻でも見ていたのかとすら錯覚する。

 そんなバカな――ヤマトは花を抱いたまま、彼女が立っていた場所へと走り出した。すると、


「す、すみませ~ん。た、助けてくださ~い」


 どこかで彼女の声がする。

 決して遠くは無い。どちらかと言うとかなりの近距離に居るはずだ。しかしどこかくぐもった声で、まるで大地から湧いてくるかのようだった。

 ヤマトは全身をセンサーにして周囲をくまなく見渡した。だが彼女の姿はどこにも無い。

 これはいよいよもってオカルトだ。


「どこだ! どこにいる!」

「こ、ここですぅ~」

「はあ?」


 ゆっくりと声のする方へと近づいてみると、そこには大きな穴がポッカリと空いていた。

 さほど大きくはないが、とにかく深い。

 深度に従って暗くなる穴の底には、さっきまで花と戯れていた少女がいた。


「……何やってんだアンタ」

「ご、ゴミ捨て用に掘ってもらった穴があったの忘れてました……」

「――あ、そう」


 呆れたヤマトはジープのウィンチからワイヤーロープを引き出し、穴底へと降ろした。

 数分後、泥で汚れた少女は無事に地上へと帰還したのだった。

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