バッド・コンディション
真野てん
第1話 花咲く異世界
茫漠とした広い大地をひた走る一台のジープがある。
走破性に優れ、かつては軍用車として採用されたオリーブ色の無骨なデザイン。
もはや軍隊など無く、国家すら無い。
何度目かの全面核戦争のあとに残されたのは、廃墟と化した地上だけだった――。
ハンドルを握るのはひとりの少年だ。
ジープと同じく砂にまみれたボロをまとい、大きなゴーグルでまだあどけなさの残る顔を隠していた。彼の名はヤマト――崩壊した世界を生き延びた人類のひとりである。
ヤマトがバックミラーをちらりと見た。
映っているのは後部座席に鎮座まします一株の植物だ。大輪の花を咲かせ、外気に触れないよう卵型の特殊な育成ポットに入っている。
彼には花の名前など分からない。
ただ目的地まで届けろと依頼されただけ。
仕事を持ってきたのはウォン商会を名乗る大陸系の組織だ。彼らは崩壊後の世界に突如として現れた『異世界』との流通でのし上がったことで有名である。
かくいうヤマトも、彼らが『異世界』との取り引きをしているからこそ物流なんてものが壊滅したこの時代に『届け屋』などという商売をやっていけるのだが。
「チッ……しつけえな」
バックミラーに映っていたのは、美しい花だけでは無かった。
遠く地平線に砂塵を舞い上げて接近する、陽炎の集団を見つけて彼はごちる。
その正体は五十を超える数の騎馬である。背には甲冑を身に着けた騎士を乗せ、疾風怒濤の如くジープに肉迫しようとしていた。
大地を駆ける蹄の音が、ジープの排気音すら凌駕する。
ヤマトは助手席に放り投げてあったライフルに手を掛けつつ、視線をバックミラーから前方へと戻した。するとそこには幅数キロにも続く、巨大な光の壁があった。
まるで北極の夜空を彩るオーロラのようだ。
だがその向こう側は透けておらず、ただ不思議なうねりが幾重にも渦巻いている。
ヤマトはライフルから離した手をシフトレバーに乗せ、ギアを三速に落とした。
シフトダウンと同時にアクセルはベタ踏み。スタック寸前のタイヤは、しかし大いに砂を掻き出して前へと加速していった。
騎馬といえども所詮は生き物だ。
本気を出したガソリン車に敵うわけが無い。
ヤマトはそのまま直進を続け、巨大な光の壁へと飲み込まれていった。
光の壁は一瞬で抜けた。
ゴーグル越し。
ヤマトの視界に飛び込んできたのは、大草原の只中だった。砂漠から一転、まばゆいばかりの緑の大地に目をすがめる。
ギアを上げアクセルを緩めると、しばしジープの走りを惰性に任せた。
異世界――。
光の壁に分断されたもうひとつの世界。それは崩壊後の地上に突如として現れた。
そこは手付かずの自然の残された活気ある場所だ。
度重なる戦争に傷ついた自分たちの世界とは比ぶべくも無い。
ヤマトはこちらの大地を走るとき、いつもそんな風に感じていた。
心地よい日差しにゴーグルを外す。砂まみれのストールも一緒に緩めた。
黒髪に鳶色の瞳をした少年は、いかにもアジア系の顔をしている。だが肌はすこぶる白く、目元もダレていた。お世辞にも健康状態がいいとは思えない風貌である。
そんなイマイチ生気を感じられない彼の表情が、安穏としていられたのもほんの僅かな間だけだった。彼は「クソが」と小さくつぶやいてブレーキを踏む。
クラッチを切り、制動力がジープの慣性を上回ると車体がガクンとノーズダイブした。
ヤマトの三白眼の先には、横隊に展開された騎馬兵の陣が広がる。
待ち伏せだ――そう直感したヤマトがギアをバックに入れようと後ろを振り返ると、向こうの世界で振り切ったはずの敵影が見えた。
「挟み撃ちかよ。こりゃ万事休すって奴か?」
諦観ともつかない悪態が口をついて出た。
後部座席にはカプセルに入った花がある。蒼穹を溶かして染めたような美しい花弁は、荒々しいエンジンのアイドリングに合わせて微震していた。
「花か――」
ヤマトは何かを思いついて周囲を見渡した。あたりは岩場すらない草原の大地である。
前門の虎に後門の狼。あるいは袋のネズミ。
しかし迫ってくるのは戦上手の馬たちである。
手綱を握る騎士共がときの声をあげた。もはや一刻の猶予も無いと思われたとき、ヤマトはそれを草原のなかに見つけた。
ギアを乱暴に叩き込み、床が抜けんばかりにアクセルを蹴っ飛ばす。
ゼロ発進で重くなったステアリングを力任せにこじっていくと、ジープは鼻先を九十度曲げて走り出した。
とにかく急げと、ジープはひたすら加速していく。
騎馬隊のスピードも上がってきた。なかには馬上で弓をつがえる騎士もいる。
ヤマトは蒼白とした額に脂汗を浮かべたが、同時に口の端を「にぃ」と持ち上げた。
ジープが向かった先は大草原に広がる色とりどりの花畑だ。
極彩色に包まれた花の絨毯を、ごつい十六インチのブロックタイヤが蹂躙していく。舞い上がる花びらと土飛沫が、ジープの幌に積もっていった。
快調に飛ばすヤマト。
一方、騎馬隊は広大な花畑を前に進軍を止めていた。
その隙を突いたヤマトは悠々とその場をあとにする。残されたのは縦横無尽に刻まれた、花畑のタイヤ痕だけだった。
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