第7話

口の中が乾いていた。

今すぐにでも水分を取りたい気分だったが 、高坂は目の前の男の発言に耳を傾けた。

「朔太は非常に頭の良い子供です。彼は私と出会い、自分の中にヒラカズを形成した。この世に存在する人間を、自分の中に存在させた。話し方、物の考え方、仕草は誰にでも特徴があって、朔太はそれを全て脳内に記録したんです。そしてストレスが限界にたどりついたとき、ヒラカズの人格が現れ、ヒラカズに嫌な現実を押し付ける。自分は逃げて眠っているから、ヒラカズとして起きている記憶がない」

「……」

「貴方が思っている以上に、朔太の脳は複雑なんです。朔太は記憶力がいい。きっと貴方と会話した内容を一文一句間違えずに話すことができる」

「なら、ヒラカズとしての記憶はどこにあるんだ」

「記憶は記録として残る。ヒラカズとして行動していた時の記憶もどこかに残っているはずだが、彼は無意識下でその記録を隠している。誰にも見つけられないところに」

誰にも見つけられないところに、凶器を隠した。ヒラカズはそう言っていたのを思い出す。

「私と会うことで虐待によるストレスは軽減していた。助けてくれる人がいる、そう思っていたのかもしれない。けれど突然現れなくなった。ストレスの行き場を失った彼は、自分の中にヒラカズを作った。そしてヒラカズに母親を殺させた」

そう言い終えると、平和は指を軽く組んで、真っ直ぐ高坂を見た。その仕草はヒラカズそのもので、目の前の男の発言を信じられずにはいられなくなった。

凶器は見つからない。見つかって朔太の指紋が検出されたとしても、虐待されたことと心神喪失で無罪判決がでる。

朔太には殺した記憶はなく、ヒラカズには殺した記憶がある。だがヒラカズの記憶は、朔太の脳内のどこかに隠されている。

ドアがノックされた。こちらの返事を待たずに、ドアは開けられる。中に入って来たのは寺内主任だった。高坂の上司にあたる。

「少しいいか」

平和を部屋に残し、廊下に出る。寺内は目線を部屋に向けて、後頭部をボリボリと搔いた。

「今のがあの子の父親か?」

「はい」

「あの子の引き渡し許可が下りた」

「何故…」

押し殺した声で、寺内をせめる。

「上からの命令だよ、高坂。あとこの事件から手を引け」

「そんなの、おかしいですよ」

「おかしいのはわかってる。あの男、桜庭の坊ちゃんだろう? 桜庭の親父さんも表沙汰にしたくないんだろう。息子が未成年で外の女を孕ませて、それからその女が死んだなんて噂が広まったら大変だからな」

「だからって…」

「高坂」

寺内は高坂の肩を軽く叩いた。高坂は何も言えず、俯く。

「事件当時、桜庭平和は親父さんのパーティーに参加していたそうだ。何人も目撃している。犯行に及ぶのは不可能だ」

「ですが、朔太くんはヒラカズが殺したと…」

「子供の証言だろう? 犯行現場には親子以外にいた形跡がない。そうなると必然的に殺したのは息子の朔太になるが、彼に殺害は無理だ」

「何故ですか」

「凶器は刃渡り十五センチの刃物らしいんだが、深くまで刺されていたらしい。押し込む力が、あの細い男の子にあるのか? かけられる体重も少ないし…」

桜庭平和には犯行当時のアリバイがある。犯行現場にいたのは被害者とその息子。犯人の可能性がある息子には体力的な問題で殺害は不可能。そうすると別の人間が犯人になる。だが第三者がいたという形跡も目撃証言もない。

「どうせ証拠不十分で朔太は親戚の元に預けられる。まあ、親戚を調べる前に現れてくれたけどな」

「おかしい…」

「それはわかってる。けど、犯人をつかむ証拠も何もないんだ。手を引くしかない」

諦めろ。そう言い残して、寺内は去る。

扉の向こうにいる平和が、笑っている気がした。

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